2010年11月15日月曜日

ウィリアム・ソウルゼンバーグ『捕食者なき世界』文藝春秋

 

・生物の多様性を守るための会議「COP10」が名古屋で開かれた。さほど大きなニュースとして扱われなかったし、また画期的な提案がなされたわけでもなかったようだ。しかし、1年間に約4万種もの生物が絶滅していっている現在の状況は、本当はもっともっと、深刻な問題として真剣に考え、対処しなければならないことなのだと思う。何しろ、その原因のすべては人間にあって、現在の絶滅速度を放置すれば、やがて人間そのものが絶滅することになるからである。

journal1-139.jpg ・ウィリアム・ソウルゼンバーグの『捕食者なき世界』は生き物の生態を研究し、その変調を突きとめ、原因を究明した生物学者たちの物語である。現在地球に生きる生物は、自然環境に適応して進化してきた種である。そしてそれぞれの種が安定して生きつづけるためには、それぞれの間にあるバランスが保たれなければならない。肉食獣が草食獣を食べ、草食獣が植物を食べる。植物が肥やしにするのは動物の死骸や排泄物、そしてもちろん、朽ちて土に帰った植物だ。だからそのバランスが一つ崩れれば、その影響は生物全体に及ぶ。

・生物の頂点にいるのは他の生物を補食しながら、みずからは被食されない動物だ。アメリカ大陸では、移民が始まり、開拓が進むにつれてオオカミやコヨーテ、そしてピューマといった猛獣が人間の手によって駆逐された。人や家畜を襲う危険で恐ろしい生き物として敵視されたからだ。人はこのほかにも、肉や毛皮を取るためにアメリカ・バイソンやラッコ、狐といった動物も殺して、その数を激減させている。一方で鹿などは狩猟の獲物として保護されたりもしたようだ。

・捕食動物がいなくなれば、被食動物の数は当然増える。北アメリカでは鹿の種類が急増して、森の木や草が食い荒らされてしまった。その典型はイエローストーン公園で、そのことに気づいてカナダで捕まえたオオカミを放つと、鹿の数は減り、森が再生しはじめたのだという。被食動物はたえず捕食される危険を意識しながら生きているが、簡単に捕まって食べられてしまうわけではなく、場合によっては捕食動物に傷を負わせたり、反対に殺してしまうほど反撃もするようだ。イエローストーン公園に放たれたオオカミとワピチ(シカ)の関係もそのようなもので、オオカミが捕食できるのは怪我をしたり体の弱いものや子どもだった。けれども興味深いのは、ワピチにはしばらく忘れていた被食という恐怖心がよみがえって、その分、オオカミに捕食される以上に数が減ったということである。

・この本には、そんな生き物間の捕食と被食の関係が人間の手によって崩された結果の例がいくつも登場する。アリューシャン列島に住むラッコは18世紀に、その毛皮を求めた者たちに次々殺されて絶滅の危機に瀕した。

1911年にラッコ・オットセイ保護条約が結ばれ、言うなれば休戦が宣言されたが、そのころには捕獲できるほどのラッコは見つけられなくなっていた。殺戮がはじまってから一世紀半で、50万から90万匹のラッコが太平洋から消えたのだ。

・生き延びたわずかのラッコが再生して、大群となる地域が確認できるようになったのは1960年代になってからである。その大群が繁殖する地域と、ほとんどいない地域を観察した生物学者が見た違いはジャイアント・ケルプという昆布の有無だった。ラッコの住む海にはジャイアントケルプが森のように繁茂して、それを食べるウニやさまざまな生き物が豊富に生きている。ところがラッコのいない海では昆布を食い尽くしたウニだけになり。やがてウニもいなくなった。

・日本では今年もあちこちで熊や猿が住宅地にやってきて人を襲ったというニュースが頻発している。また、鹿によって森が荒らされて危機的な状況にあると言われるようになって久しいし、イノシシによる農作物の被害も甚大だという。鹿を捕食するニホンオオカミは絶滅しているし、植林が進んだ日本の森では、広葉樹がもたらす栗やドングリ、あるいはブナの実などが減っている。もちろん、手入れをしない森は草も生えないほどに荒れている。捕食動物がいないのなら、生物の多様性を保つのは人間の仕事なのだが、儲かることにしか関心がないから、付け焼き刃的な対策しかとれていないのが現状だ。

・生物の多様性は、その頂点に位置する捕食動物によって守られる。しかし、その捕食動物の多くが絶滅の危機に瀕している。その原因が人間だということは、人間こそが地球上に生きる最強の捕食動物だということだろう。始末の悪いことに、人間にはその自覚がなく、しかも何であれ、なくなるまで食べ尽くし、取り尽くすという性悪の性質を持っている。世界中の生物学者が訴える現状は、絶望的なほどに危機的だが、そこを自覚し、生物の多様性の保存に本悪的に取り組む姿勢は、人間には持ちようがない気がしてしまう。

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