2011年4月25日月曜日

原発事故で見えてきたこと

・光ケーブルでインターネットを使うようになって、利用のし方がずいぶん違ってきた。動画を見たり、ラジオを聞いたりすることが増えたのだが、東日本大震災と福島原発の事故の後は、特に顕著で、それによって、新聞やテレビの報道のあり方と、国や企業との関係があからさまになった気がする。

・その第一は、東電が新聞やテレビにとって大口、というよりは最大の広告スポンサーであったということだ。電力は日本を10に地域割りした上で、10の電力会社によって独占的に供給されている。だから巨額の広告費を使う必要はないはずだが、原発が安全で安価で環境に優しいものであることを繰りかえし徹底して説得しつづけてきたのである。こういった教化は小中学校の授業でもおこなわれたようで、原発の推進はまさに、国策に基づくものであったのである。

・だから当然、チェルノブイリ事故に匹敵する事態になっても、原発事故の報道に、行政や電力会社に対する根本的で強い批判は起こらない。反原発のデモが数万人の規模でおこなわれても、大きく扱うところがほとんどない。深刻なデータや現状の分析が、海外のメディアによって報道されてはじめて、政府や東電によって追認されたりもした。首相の支持率については頻繁に世論調査をしても、原発の是非について世論を調べることには新聞もテレビも消極的だったが、東京新聞が都民を対象にした調査では、電力不足を危惧して6割の人が原発の存在を肯定したという結果を記事にした。巨額の広告費を使った効果の大きさ、強さを改めて知らされた思いがした。

・対照的にYoutubeやUstreamでは、原発に対してずっと批判的な立場で研究をしてきた人や、原発の設計者たちが登場して、今回の事故の重大さや危険を訴える番組が次々と流された。聞いていてぞっとすることも少なくなかったが、「直ちに健康に被害を与えるレベルではない」といった曖昧なことばの方が、かえって不安を募らせること、最悪の事態はこうだと知らされことで、現実を見つめる姿勢や考え方をはっきり自覚する必要性を迫られた気がした。

・原発なんて、本当は今でも必要ない。既存の火力発電所をフル稼働すれば、電力は十分足りるし、将来的には太陽光や風力を使った発電に変えれば、十分供給できる体制は可能だ。こんな発言は、今でも、多くの日本人には納得しがたいものと思われている。けれども、欧米ではすでに、原発よりは自然エネルギーを使った発電の方がコストが安くなるほど普及しているし、その割合は急速に増えているようだ。太陽光発電の技術では先端にある日本で、それが普及しない理由は、国が本気で政策として進めてこなかったこと、電力の供給が発電と送電ともに電力会社によって独占されてきたことにある。つまり、電力を生産しても、それを送り届けるのに、電力会社の送電線を使わなければならないから、自由にならないのである。

・送電を発電と切り離して別会社にする。こういう必要性を耳にして気づくのは、NTTが独占してきた電話回線に民間企業が参入する際の難しさ、BSやCS放送、そして地デジ化を巡る既得権の行使と共通した、日本の行政のあり方だ。国が許認可権を持ち、既存の企業を優先して、新規に参加しようとする企業や、起業する人たちに道を開かないから、新しい試みがさっぱり育たない。そこをしっかり認識して、大きな政策転換を図ることこそが、大震災と原発事故から得る教訓の一つであることは間違いないと思うのだが、マスコミにはそういう世論を育てようなどという姿勢はほとんど見られない。

・P.S. ネットで知った「菜の花パレードはまおか」に参加するために、静岡まで出かけた。参加者は800人ほどで、浜岡原発から50kmしか離れていない街ののんきさに違和感を持たされた。ずいぶん久しぶりにデモをして歩いた。その様子はもちろん、メディアに取りあげられることはない。取材に来ていたのは静岡第一テレビだけだが、Ustreamでは、その様子が最初から最後まで流されている。

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