2012年1月23日月曜日

大河ドラマの見方

 ・NHKの大河ドラマは見始めると一年つきあうことになる。だから、見るか見ないかを最初のところで判断するのだが、今年の『平清盛』はなかなかおもしろそうだと思った。中井貴一(清盛の義父)、吹石一恵(清盛の母)、伊東四朗(白河法皇)などがよかったし、映像や音楽などにも工夫が感じられたからだ。

・ただ、初回の視聴率は17.3%(関東地区)で、半世紀続いた大河ドラマ史上3番目に低いということで、批判的な記事もあった。出だしだけではわからないだろうと思ったが、批判の中に一つ気になるものがあった。兵庫県知事(井戸敏三)が「画面が汚くて見る気がしない。神戸のイメージダウン」と発言して、改善を求めたというのである。これに対してNHKの返答は「画面が汚いと思われるかもしれないが、平安時代をよりリアルに映像体験できるように務めています」というものだったようだ。

・平安時代をリアルに映像体験するためにどういう工夫をしているのかというと、「平安末期という時代感を出すために、コーンスターチやスモークを入れて当時の舗装されていない時代の空気感を出す。」「(カメラで)コマ数を縛ることで躍動感を出している。(加えて)色を調整して陰影をつけて、よりリアルな映像に近づけたい。」また「武士と貴族という対比を分かりやすく伝えようとしており、貴族の描写については(汚いと言われる)そういうような描写はほとんど使っていません。これから清盛が出世して国の頂点に立つに従って清盛や平家の扮装もドラマチックに変わっていく。」といったことのようである。

・このような工夫が効果的であることを、僕は見始めてすぐに感じ取った。NHKのBSではたまたま(?)テレンス・マリック監督の『シン・レッド・ライン』を放送していて、その戦争映画としては異例の描写を久しぶりに見たところだったから、その共通性に注意が向けられた。この映画については2000年のこのコラムで、僕は次のように書いている。

たとえば、壮絶な戦闘シーンの中に、ワニやトカゲやオウムを映したシーンが挟み込まれる。人間達がくりひろげる狂気とは無関係にすぎる生き物の世界。鳥の雛が卵からかえって動き始める。撃ち合いがあってばたばたと兵隊が倒れた後に生まれる一瞬の静寂。すると雲に覆われていた戦場に日が射し込んで枯れ草が黄金に輝く。戦闘シーン自体に派手さは全くないが、このコントラストが戦争の無意味さを際だたせる。背景に流れる音楽は全編鎮魂歌のように静かで暗い。

・時代感をリアルに映像体験するという方針は、今年の大河ドラマが初めてではないだろう。『竜馬伝』で岩崎弥太郎は汚かったし、高知の町はいつもほこりにまみれていた。同様の手法は年末に何年にもわたって放映された『坂の上の雲』でも感じられたから、この方針は、NHKではすでに定着したものだということができるだろう。兵庫県知事の発言は、こういった傾向を無視したものだが、そこには大河ドラマが果たしてきた役割に基づいた確かな理由もある。

・大河ドラマの舞台になった土地は新たな、あるいは再注目された旧跡として観光名所になる。大型バスで団体客が訪れ、饅頭や煎餅などの新しいお土産ができる。地元に落ちる金は、経済の活性化に大きく寄与する。だから、大河ドラマには、大きな話題になり、視聴率が高くなって大勢の人に見てもらうことを使命とする役割も担わされているのである。神戸にとってそれがどれほど切実なものかはわからないが、ところによっては沈滞した経済が活性化した土地もあるようである。

・大河ドラマのそのような役割を否定するつもりはない。ただ、そのことを第一にして作られるものであれば、おそらく見る気にはならないだろう。全国ネットのテレビはできるだけ多くの人に視聴してもらうことを原則にしている。視聴率競争がテレビ局にとって死活問題であるのは、NHKとて例外ではないのは明らかだ。しかし、そのことだけで番組が作られれば、番組は画一的で浅薄なものばかりになってしまう。インターネットが力を持つようになった時代のテレビがどういう番組を提供したら、その役割を維持できるのか。大河ドラマの政策方針には、そのような模索が確かに感じられると思う。その意味で、過去の視聴率と比較してだめだなどという批判とは違う評価をすべきなのである。

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