2013年12月2日月曜日

JFK暗殺から50年

・アメリカ大統領だったケネディが暗殺されて50年になる。アメリカではその記念行事がおこなわれ、日本ではちょうど娘のキャロライン・ケネディが駐日大使になったことで、いろいろ話題にされた。NHKのBSが放送した、J.F.ケネディをテーマにしたドキュメントを続けて見て、僕も改めて50年前のことを振り返ってみた。

・ケネディがテキサス州のダラスを遊説中にライフル銃で狙撃されたのは1963年11月22日午後1時のことである。僕はそのニュースを23日の朝刊で知った。なぜ覚えているかというと、勤労感謝の日の朝で高校受験のための公開模試を受けるために家族より早く起きて、最初に新聞を読んで、驚いて家族を起こしたからだった。このニュースに対する驚きはもう一つ、日米間の衛星中継の最初の放送が、この暗殺というニュースだったことにある。事件が起きたのは日本時間の午前3時で、実験放送は午前5時から20分間、午前8時58分から17分間行われ、ケネディの暗殺が報じられたのは2回目だったようだ。

・僕がテレビでこのニュースを見たのは模試を終えて帰宅した後の夜のニュースだったと思う。大統領暗殺というのもショックだが、それが瞬時に衛星中継によって狙撃シーンまでが放送されたのも驚きだった。ケネディ大統領に対しては、その格好の良さや説得力のある演説、そしてキューバ危機をめぐるソ連のフルシチョフ首相との緊迫したやりとりと、第三次世界大戦が始まるのではといった不安について、中学生ながら関心を持っていた。米ソは保有する核爆弾の量で競い、有人宇宙ロケットで争っていたが、僕は断然ケネディ支持だった。

・BSでは「ダラスより速報 午後1時ケネディ死す」からはじまり、「ケネディ大統領への背信 強硬派との対立」「ケネディ大統領への背信 キューバ危機 そして反転攻勢へ」「リンドン・ジョンソン〜ケネディの後を継いだ男〜」「秘密映像 忘れ得ぬJFK 」「ケネディ家 宿命の子どもたち(前・後編)」「コールド・ケース "JFK"〜暗殺の真相に迫る〜」といった題名のドキュメントが2週間にわたって放送された。

・1963年は日本では東京オリンピックの1年前で、名神高速道路が一部開通し、東海道新幹線もオリンピック開催に合わせて開業するという状況だった。年10%を超える経済成長で所得が倍増すると言われた時代だが、世界では、米ソが衝突する一触即発の危険状態にあったし、米ソに中国そしてフランスなどが行った核実験は福島第一原発事故以上の放射能を世界中にまき散らしてもいた。あるいはヴェトナムに介入したのもケネディで、その戦争を拡大したのは副大統領から大統領になったジョンソンだが、彼はまたケネディのもとではなかなか進展しなかったアメリカの黒人達が主張する公民権法を成立させた人でもある。

・自分の記憶と、これまでに読んだ何冊かの本を思い出しながらドキュメントを興味深く見た。ケネディを英雄視する見方は今でもアメリカでは強いようだ。暗殺についてのCIA陰謀説やマフィアの関与は今のところ否定されているということだった。放送されたドキュメントの中ではケネディ家に続いた悲劇を扱った「ケネディ家 宿命の子どもたち(前・後編)」が、フランス製作ということもあって、距離を置いた描き方をしていて一番おもしろかった。

・その生き残りとも言えるキャロラインがこの時期に駐日大使として日本にやってきた。日本では歓迎ムード一色だが、日米間に生じている問題にどう取り組もうとしているのか。彼女の言動からはまったく読み取れない。TPPや秘密保護法、そして沖縄の基地問題などが、彼女の笑顔でうやむやにされたのではたまらないという気になった。

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