ザビエルの父方の家
・パリからボルドー、そしてバイヨンヌまではTGVでの移動だった。2列の座席は余裕があるのだが、新幹線と違って座席が回転しないから、後ろ向きの座席ばかりになってしまった。僕は前を向きたいから、この座り方は好きではない。ただし、何の音もなく出発し、車内放送もごくかぎられていて、日本のお節介な放送とはずいぶん違って、気持ち良かった。
・TGVは改札がない。ボルドーまでは車内検札もなかったから、切符なしで乗ろうと思えば簡単だ。ただし、見つかれば高額な罰金を払わされる。自己責任の徹底した国で、改札があってしかも車内検札がある日本の鉄道との違いに、いつも感心してしまう。
・ボルドーはワインで有名だが、訪ねたのはワイナリーではなく、ボルドーの歴史を中心にしたアキテーヌ博物館である。ネアンデルタールとクロマニヨンから始まって、ラスコーの壁画、ケルト、ローマ帝国と続き、中世から近代を経て現代まで、見応えのある陳列物で、しかも無料だった。港町だから、大航海時代には活況を呈したようで、奴隷貿易にも積極的に関与したという。それ以前には一時期イギリスの統治下にあったようだ。
・泊まったホテルの近くの通りは観光客でごった返していたが、この博物館の周辺に来る人はほとんどいなかった。何とももったいない。ボルドーの街は衰退から再開発を目ざして、路面電車を復活させたり、「月の港ボルドー」として街全体を世界遺産に登録している。
・次に泊まったバイヨンヌは近くのサン・ジャン・デ・ポーとともに、司馬遼太郎の『南蛮の道』を読んで行きたいと思ったところだ。彼の目的は聖フランシスコ・ザビエルにあったのだが、僕はこの本に出てくる彼が泊まったホテルとパブに興味があった。残念ながらホテルは米国系のホテルに変わり、パブは別の地区に移転していた。何より違うのは寂れた通りが観光客で賑わう繁華街に変わっていたことだった。そしてここでも、観光ルートを一歩外れると、ほとんど人通りのない、寂れた地区になってしまうことだった。
・バイヨンヌではバスク博物館を訪ねた。ボルドーのアキテーヌ博物館が良かったせいで、有料なのにそれほどでもない感じを強く持ってしまった。フランス語だけでなく、せめて英語での説明をもっと丁寧にしてもらえたら、と残念だった。
・サン・ジャン・デ・ポーはバイヨンヌからバスで1時間半ほど南に行ったところにある。ピレネー山脈の麓で、峠を越えればもうスペインである。街全体が丘にあって、城壁がぐるっと街を囲っている。丘の上には当然城がある。サンチャゴ・デ・コンポステーラまでの巡礼の出発地でもあって、リュク姿の人が多かった。僕もほんのちょっとだけ巡礼路をあるいて、巡礼者の気分を味わってみた。
・ここは『南蛮の道』によれば、ザビエルの父方の家があるというので探してみたら、本の通り表札があった(トップの画像)。家々にはほかにも、建てられた年と屋号がバスク語で書かれていて、それらを見ていくのもまた面白かった。
・フランスからスペインへは鉄道を乗り継いで移動した。EUとは言え、国境には間違いない。しかし、川を電車が通過しただけで何ということもなかった。そこから、最近美食の街として話題になっているサン・セバスチャンで乗り換えてビルバオまで、狭軌の私鉄(EUSKO・TREN)は各駅停車で、3時間半もかかった。この電車に乗ってびっくりしたのは、人々の話し声が大きいことと、何となく中南米の人に顔が似ていることだった。大航海時代以降移民したのは、海沿いに住んで船を操ることに長けたバスク人とガリシア人だったというのが納得できる気がした。
・ビルバオで泊まったホテルはグッゲンハイム美術館の前で、着いてさっそく、花で飾られた巨大な犬と金属を積み上げたような建物を見に出かけた。
・ただし、翌日はゲルニカに行き、ピカソの「ゲルニカ」のレプリカやバスクの議会を見た。あいにく博物館は閉まっていたが、代わりに月曜だけの市がたって、多くの人で賑わっていた。フランコに痛めつけられ、ヒトラーの空爆を受けて廃墟になった街は今、やっぱり観光客で賑わっている。
・次の日に行ったグッゲンハイム美術館も大賑わいだった。鉄鋼の街だったビルバオが再生したのは、この美術館ができたからで、街は地下鉄や路面電車を整備し、サッカー場も新設した。ここをホームにする「アスレチック・ビルバオ」はマドリッドやバルセロナと違って、バスク出身の選手だけで構成されているにもかかわらず、今シーズンは4位だった。そもそも、スペインのサッカーは、鉄鋼業の関係でイギリスと縁があったビルバオから広まったようである。
・ビルバオに興味を持ったもうひとつはネルビオン川にかかるビスカヤ橋だった。大型船がビルバオ市内まで遡るために、橋の高さを50m以上にし、橋の代わりにゴンドラを吊して人や車を渡している。料金は一人35セントと低額だが、エレベーターで上まで上がって歩くとどういう理由か7€もする。ぼくはもちろん、上に登って164m
を歩いた。ビルバオの街はもちろん、ビスケー湾に浮かぶ船も間近に見えたが、下が透けて見える木の板を歩くのは怖かった。
・高いところといえばもう一つ、散歩していてたまたま見つけたフニクラに乗ってアルチャンダ山に登った。ここからは真下にビルバオの街を見ることができた。旧市街は赤い煉瓦の屋根で統一されていたが、再開発の進んだ新市街には様々な形をしたビルが建ち並んでいた。
・旧市街の中心にあったバスク博物館は無料で、展示したものはボルドーに負けない程豊富だった。旅はまだまだ続きます。次回がガリシアから。
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unknownさんではなく、何か名前があるとうれしいです。