2015年7月6日月曜日

がんばれ!"SEALDs"

 


SEALDs.png ・大学生が政治問題に目覚めてやっと動き始めた。毎週金曜日の夜に国会議事堂前で、土曜日に渋谷で集会やデモをやっている。その動きは京都や札幌、そして沖縄などに広がって、数百、数千人の若者達が集まっているようだ。思い思いのプラカードを掲げ、マイクを握って発言し、ラップなどでメッセージを伝えてもいる。僕は出かけていないが、Youtubeではその模様をいくつも見ることができる。

・集会やデモをリードしているのは"Students Emergency Action for Liberal Democracys"(自由と民主主義のための学生緊急行動)という名の組織だ。略して"SEALDs"と言う。

・若者達の意識が変わりはじめた。そう思うと、どうしようもない政治状況に暗くなっていた気持ちの中に、ひとつの明かりがさしてきた気がした。参加したフォーク歌手の中川五郎はツイッターで「なんと美しき光景かな。未来を生み出す若い人々とこの時代を生きていることを心の底からうれしいと思う。未来は彼らと共にある。」と興奮気味に書いている。

・そんな気分になるのは僕にもよくわかる。大学生が抗議行動に率先して立ち上がったのは半世紀ぶりで、僕らの世代が高校生や大学生だった時以来だからだ。"SEALDs"のFacebookには岡林信康の「友よ」がリンクされたりもしているから、余計に懐かしさを感じたりもしてしまった。

・とは言え、そんな興奮をゼミの学生に話しても、彼や彼女の反応はいまひとつだ。僕の勤める大学のキャンパスにも、そんな動きはまだ見えない。渋谷に2000人といっても、まだまだごく一部の学生なのだと思う。内向きで政治には無関心の学生の意識を変えるのは大変だが、ほかの誰より自分たちに一番関わる問題であることに早く気づいて欲しいと思っている。

・だからこそ、この動きは大切にして、芽を摘みとるようなことが起こらないようにとも思う。たとえば"SEALDs"のサイトには「私たちは、戦後70年でつくりあげられてきた、この国の自由と民主主義の伝統を尊重します。」といった声明がある。そしてこれに対して、自由で民主的な日本がどこにあるのか、それを作ろうといったい誰が努力してきたのかといった批判をして、その認識の甘さを突く声もある。

・戦後に作り上げられてきた民主主義を守るのではなく、むしろその民主主義なるものの欺瞞を撃つことから始めなければという批判は、至極まっとうなものである。けれどもそんな批判を頭ごなしにしても、それはやっと芽生えた動きの芽を摘みとる働きしかしないだろう。身近にいる大学生達とつきあっていて肝に銘じているのは、叱るよりはまず褒めることであるからだ。とにかく行動し、その後で、自分で考えながら気づいていく。教師としてはどうしても、そんなふうに考えてしまう。

・学生達は何より空気を気にするから、この流れが身近な人間関係に及ぶことが必要だ。その意味で不思議に思ったのは、"SEALDs"のサイトのSNSにFacebookやTwitter、それにYouTubeがあるのにLineがないことだ。僕のゼミの学生達の多くはLineしかやってない。たぶん多くの大学生も同じなのだろうと思う。

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unknownさんではなく、何か名前があるとうれしいです。