2016年7月27日水曜日

テレビをおもしろくした人たちの死

・癌で長いこと闘病生活をしていた大橋巨泉がなくなった。永六輔が亡くなってまだ日が経っていなかったから、一層、時代の変わり目を感じた。二人ともテレビで活躍し、テレビの面白さを作り出した人だったからだ。最近のテレビのつまらなさのひとつは,この二人のようなパーソナリティが皆無なことにある。そんなことを改めて感じた。

・大橋巨泉はジャズ評論家だったが、彼が有名になったのは「11PM」の司会だった。夜11時からの深夜番組で、1965年から始まっているが,巨泉の司会は翌年からだったようだ。競馬や釣り、そして麻雀といった娯楽や性風俗を取り上げたり、裸に近い若い女の子を登場させたりしたが、また政治や社会の問題を取り上げて、高校生だった僕には,ずいぶん刺激的で見たい番組になった。しかしもちろん、見ればいつでも親に怒られた。

・巨泉は他にも「巨泉X前武ゲバゲバ90分」(1969〜1971)、「クイズダービー」(1976〜1992)、「世界まるごとハウマッチ」(1983〜1990)などの番組に企画段階から参加して、テレビ番組の形を作りだしている。そう言えば,のちに「11PM」の司会をした愛川欽也や「ゲバゲバ」の前田武彦も今は亡き人である。ちなみに「ゲバゲバ」は当時の学生運動の中で使われていた「ゲバルト(暴力)」から来ていて、バラエティ番組が当時は社会や政治に目を向けていたことがわかる名前でもある。

・永六輔は「上を向いて歩こう」の作詞で知られている。しかし彼もテレビ番組の構成に関わり、出演もして、あるべき形を作りだした人でもある。「夢で会いましょう」(1961〜1966)、「遠くへ行きたい」(1970 〜)などがあるが、彼はラジオ番組にも多く出演していて、「誰かとどこかで」(1967〜2013)、「永六輔の土曜ワイド」(1970〜1975、1991〜2015)など、最近まで続けていた。巨泉や欣也同様、政治や社会に対する歯に衣着せぬ発言も多く、オピニオン・リーダーとしての役割は,ごく最近まで大きかったようだ。彼はまた野坂昭如や小沢昭一と「中年御三家」を結成(1974)してコンサート活動なども行ったが、野坂も小沢もすでに他界している。

・この世代は第二次大戦中に少年時代を過ごし、青年期に進駐軍の占領時代を経験している。そこから戦争の悲惨さや軍国主義への回帰の愚かさや恐ろしさを説き、表現の自由の大切さや,個人として生きる権利の正当さを主張してきた。そんな人たちが次々いなくなって、つくづく時代の変わり目を感じるようになった。折しも今は戦前回帰と経済成長の時代を一緒くたにした安倍の悪政の時代である。テレビは萎縮して自制し、政権のご機嫌伺いばかりでジャーナリズムの役目を放棄している。バラエティ番組は救いがないほどのアホな内容ばかりだ。

・永六輔や大橋巨泉、そして愛川欽也が残した遺産は、今ラジオには受け継がれている。Podcastを使えば、全国のラジオ番組が聴取できて、おもしろいものが少なくない。荒川強啓や大竹まことといった同世代だけでなく、荻上チキや津田大介といった若い人たちがキャスターとして政治や社会の問題を話題にしている。あるいはネットの動画番組にも「デモクラTV」や「Videonews」など、硬派でも視聴者の増えているものが多くなった。

・参議院選挙の期間中にはろくに報道しなかったテレビが,選挙当日に各局一斉に特番を組んだ。番組開始と同時に当選確実が大量に出るといった現状では、面白さは半減以上だし,結果が出てからとやかく言ってもしょうがないわけで、ジャーナリズムとしてのテレビの無力さを露呈するばかりだった。もちろん僕は、そんな番組はまったく見ていない。

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unknownさんではなく、何か名前があるとうれしいです。