河合雅司『未来の年表』〔講談社現代新書〕
和田秀樹『この国の息苦しさの正体』(朝日新書)
『「高齢者差別」この愚かな社会』(詩想社新書)
・ただいま選挙期間中である。森友・加計問題での追求を逃れるための身勝手な解散で、世論は非難囂々になってもいいはずなのに、世論調査は自公が大勝といった予測を出している。政権支持が下落して不支持が増えているのになぜ、自民は議席を減らさないのか。この予測が実現したら、「希望」というの名の「失望党」の犯した罪は計り知れないくらい大きい。日本の将来はもう「絶望」と言うほかはない。「小池にはまってさあ大変」どころではないのである。
・安倍首相が選挙の大義に掲げたのは「少子化」である。しかし、少子化の問題はすでに何十年も前から指摘されていたことであり、歴代政権が本腰を入れずにお茶を濁してきたために、もう手遅れでなすすべがなくなってしまっているのに、何を今更とといったものである。河合雅司の『未来の年表』は、高齢化と人口減少が日本をどういう国にするかという未来図を、現在から20年先までのカレンダーとして章立てしている。それは右の表紙のような内容だ。
・これらはもちろん、脅しなどではなく、政府やその他が実施し、予測しているデータを元にしたものである。しかも、人口減は日本の経済力はもちろん、地方だけでなく都市をも衰退化させ、毎日の生活が成り立たなくなったり、国家の機能そのものが不全になることを意味している。未来の予測を現在からカレンダーにした章立てはわかりやすいし面白い。ではどうするかがこの本の後半の内容で、そこに入ると途端にリアリティを感じにくくなる。これから起こることは、それだけ、解決が難しいのだとも言える。選挙目当ての口から出任せばかり言う政治家が乱立している現状からは、近未来に訪れる待ったなしの地獄絵図にリアルさを感じるばかりである。
・もっとも、現政権に対して強い批判を加えない多数の人たちにも、現状や未来に対する不安は強く存在する。和田秀樹の『この国の息苦しさの正体』は、その不安感にその理由を求めている。「不安」だからこそ、場の「空気」ばかりを読むようになる。目上の人の顔色をうかがって「忖度」に集中する。しかし、攻撃できる相手が見つかれば、タレントであれ、政治家であれ、そしてもちろん周囲の人であれバッシングをする。そんな風潮がネットはもちろん、テレビにも溢れている。
・「不安」は一方では、自分に危害が及ばないように身を潜め、意に反する同調を促すが、他方で感情を容易に爆発させたりもする。そして、第一章のタイトルになっているように「今だけ、金だけ、自分だけ」といった考えが誰の心にも根付いている。このような意識はもちろん個人だけではない。政権を担う政治家や、大企業の経営者にまで及んで、今この国を覆っている。感情に囚われれば冷静な判断はできないし、未来を予測することなどはほとんど不可能だ。そして「不安」は何より、自分より幸運や才能に恵まれた者に「嫉妬」し、劣った者や攻撃対象になった者を差別したり、罵倒することになる。
・「忖度」や「同調」は、もともと日本人の意識に深く根づいたものだが、それが過剰な状態になって息苦しさを蔓延させ、人々の不安感を増幅させている。その原因として攻撃対象になりがちなのが高齢者である。何しろどんどん数が増えて、しかも年金や医療で国の財政を危機に陥れる原因になっていると言われているからだ。
・同じ著者の『「高齢者差別」この愚かな社会』は、高齢者に向けられた批判に逐一反論し、国の財政赤字や膨大な借金が、現在の高齢社会ではなく、これまでの政治が作り出してきたものだと批判している。あるいはアクセルとブレーキを踏み違えて事故を起こすニュースが話題になり、免許を取りあげることが必要だとする世論が作り上げられたことに対しては、実際には、事故の増加は老人の数が増えたせいであるし、割合から言えば、若年層の事故の方がはるかに多いという反論をしている。また、認知症になったり、寝たきりになった人に向ける視線の中に、生きていてもしょうがないのではといった声があることなどを指摘している。
・日本が今抱えている問題は複雑で多様なものだから、政策一つで解決がつくわけはない。ましてや「希望」だの「一億総活躍」などといった標語でどうなるものではない。そのことがわかっていながら、政治家を筆頭にして、真剣に向き合おうとしないのは、まさに「今だけ、金だけ、自分だけ」が蔓延して、それ以上のことについては思考停止になっているからに他ならない。票読みだけに明け暮れる選挙情報を見ていると、つくづく、この国はもうダメだと思ってしまう。
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unknownさんではなく、何か名前があるとうれしいです。