2017年11月27日月曜日

『オン・ザ・ミルキー・ロード』

 

journal3-169-1.jpg・去年の9月に久しぶりに映画を見に行って以来、たびたび出かけるようになった。ただし、映画館はその時々で甲府、三島、新宿と、まったく違っている。シネコンがあちこちにできたとは言え、マイナーな映画は、どこでもやるわけではない。だからその時によって、東に北に南と車で出かけることになる。今回は三島の「サントムーン」で上映期間が短かったから、日時が限られていた。日曜日でショッピングセンターは一杯の人だったが、見た映画の観客はわずか13名だった。しかも同世代の人ばかりで、若い人はいなかった。スクリーンをいくつも持つシネコンがあちこちに作られていればこそだと思う。

・「オン・ザ・ミルキー・ロード」は、ボスニア・ヘルツェゴビナ出身のエミール・クストリッツァが監督する、戦時下の農村を舞台にした喜劇映画である。特に場所は明らかにしていないが、ユーゴスラビア分裂後の紛争地であることは間違いない。戦争中で銃撃戦があり、大砲の音が鳴り、ヘリが上空を旋回するなかで、村人たちは何ごともないかのように働いている。泣き叫ぶ豚を屠殺場に引っ張り込み、殺処分した後の血をバスタブに流し込むと、アヒルたちが次々飛び込んで、羽根を真っ赤にする。すると虫がたかってきて、アヒルたちはそれを次々食べ始める。卵をひたすら割る人たちがいて、空襲警報が鳴ると卵を抱えて家に避難する。そんななかで、主人公の男がロバにまたがり日傘を差して牛乳を調達に出かけるのである。

・映画は最初から、えーっと驚くようなシーンが続く。出くわした熊にミカンを食べさせたり、こぼれたミルクを飲みに来た蛇に絡まれたり、なついいているハヤブサが時に彼の右肩に、時に頭の上を旋回したりする。村の男たちも女たちも豪放磊落で、飲み食い、大騒ぎをし、歌を歌い踊るが、そこは同時に戦争中の場所で、突然空爆や銃撃戦が始まるのである。物語はイタリアから逃げてきた美しい女と恋に落ちた主人公が、その女を追いかける兵士たちから逃れて、女と一緒にさまよう展開になる。主人公を演じたのは監督自身で、共演の女優はモニカ・ベルッチだ。

・ユーゴスラビアは第二次大戦後に、チトー大統領によって独自の社会主義を基本にして、東にも西にも距離を取る立場を取る国になった。しかし、その死後、以前からあった民族や地域的な対立が起こり、ソ連が崩壊し、東欧諸国が非共産化すると、ユーゴスラビアからスロベニアとクロアチアが独立を宣言し、内戦状態になった。隣人同士が殺し合うその様子は長期化とともに悲惨さを極めたが、6つの共和国になって終結したのは2006年のことで、戦争は15年も続いたのだった。

・クストリッツァは、これまでにも第二次世界大戦からユーゴスラビアの分裂と内戦にいたる壮大な物語を描いた『アンダーグラウンド』(1995)で、カンヌ国際映画祭パルム・ドールを獲得している。もっともこれは2回目の受賞で、最初はまだ20代だった85年の『パパは出張中!』である。他にも『黒猫・白猫』でヴェネツィア国際映画祭で監督賞、初の長編作の『ドリー・ベルを覚えている?』ではヴェネツィアで新人賞を得ている。ジム・ジャームッシュやジョニー・デップが敬愛し尊敬する監督のようだ。僕はこの監督のことをこれまで何も知らなかった。

・クロアチアやスロベニアは最近では、日本人旅行者の訪れる観光地として人気になっている。自然はもちろん、その歴史や人々の気質など、日本とはずいぶん違うようだ。この映画を見て、そんな違いも実際にこの目で見て確かめたいと思うようになった。そのためにもこの監督の映画をもっと見ることにしよう。

2017年11月20日月曜日

不倫とセクハラ

 

・テレビや週刊誌は、もっぱら不倫とセクハラの報道で賑わっている。視聴者や読者が喜ぶからなのかもしれないが、もういい加減にしろと言いたくなる。と言って、そんなものにつきあって、見たり読んだりしているわけではない。週刊誌の見出しやテレビの番組欄を見ているだけで、反吐が出てきそうになるのだ。もっと報道すべき大事なことがたくさんあるじゃないかと思うし、性倫理を盾に弱い者いじめをする心理がおぞましい。そして何より、権力にとって邪魔な者を執拗に追いかけるくせに、権力の側についた者については、知らん顔をする。そんな姿勢があまりに露骨過ぎるのである。

・伊藤詩織さんが元TBSワシントン支局長の山口敬之にレイプされたと訴えている事件は、新聞やテレビではほとんど取りあげられていない。ジャーナリスト志望の彼女に近づいて、酒や睡眠薬を飲ませてレイプした事件は、警察の捜査で逮捕直前までいきながら、警視庁本部の刑事部長(中村格)の指示で中止されて不起訴になり、再審請求でも「不起訴相当」という判決が出た。山口は安倍首相お気に入りの記者だから、上からの力が働いたのだろうと言われている。しかし、彼女が本(『ブラック・ボックス』文藝春秋)を出しても、外国特派員協会で発言をしても、メディアはほとんど取りあげない。タレントの不倫どころではない、れっきとした犯罪なのにである。

・他方で、不倫ごときで執拗に取りあげられる人もいる。衆議院議員の山尾志桜里に対する週刊誌の取材は現在でもしつこく行われているようだし、議員が不倫などとんでもない、といった論調が相変わらずよく聞かれる。しかし、不倫は犯罪ではない。道徳心や倫理観を盾にすればもっともらしく聞こえるが、性に対する意識は人それぞれでいいし、議員としての能力に関係するわけでもない。そもそも、本人はずっと否定し続けているのである。そして何より、ここにも政権にとってやっかいな奴は叩いてしまえといった意図を感じざるを得ない。

・アメリカでは有名な映画プロデューサー(ハービー・ワインスティーン)が長年にわたって大勢の女優にレイプや性暴力を含むセクハラをくり返してきたことが明るみに出て、あらたに被害を名乗り出る女優が続出している。さらにそれを機に、有名なスターの性的スキャンダルが次々に話題にされるようになっている。力のある者がその地位を利用して行うセクハラはアメリカでも、明るみに出にくいことだった。そんなことを改めて実感した。

・こんなニュースが飛び込んできたら、テレビや週刊誌は、日本ではどうかと騒ぎはじめても良さそうなものだが、やっぱり力ある者には弱いのか、そんな話題はとんと聞かない。かつての映画スターたちの武勇伝の中に、セクハラと言うべき行いが数限りなくあったのではないか。あるいは現在の芸能界で、自らの地位を利用してセクハラ行為を強制する者がかなりいるのではないか。そんなことは容易に推測できるが、おそらく、踏みこんで取材をしようなどという人はいないのだろう。

・伊藤詩織と山尾志桜里。奇しくも同名の二人だが、僕はどちらも頑張って欲しいと思う。地位や権力を笠に着たセクハラに、泣き寝入りせず訴える姿勢が当たり前になるべきだし、有能な女の政治家として現政権を揺るがす力を持っていると期待できるからである。

・それにしても、日馬富士の暴行容疑に対する新聞やテレビの報道ぶりはあきれかえる。

2017年11月13日月曜日

やっぱり、紅葉と薪割り

 

forest145-1.jpg

forest145-2.jpg・この秋の富士山は初雪が遅い。そう思っていたら、10月の末に雪化粧をした。ところがその後の台風で、綺麗さっぱり消えてしまった。その後もうっすら白くなるが、またすぐに消えてしまっている。他方で、今年の紅葉は鮮やかで長持ちしている。10月初めに急に寒くなって色づきはじめた後、暖かい日が続いたせいかもしれない。湖畔を車や自転車で走るのは気持ちがいいが、見物客が年々増えて、人や車で溢れるようになってきた。だから、自転車に乗ることが少なくなった。暖かいとは言え、朝は10度以下になる。寒いところで汗をかくと手足に湿疹が出たりするから、ついつい控えがちになってしまう。

forest145-3.jpg・我が家の欅や紅葉も色づいて綺麗だったが、落ち葉が屋根に積もり、台風で枝もたくさん落ちた。そこで久しぶりに屋根に登って、掃除をしなければならなくなった。はしごに乗り、急な屋根をつたって上までいく。屋根の端にある雨樋にたまった落ち葉を掻き出した。慣れた作業ではあるが、歳を取るとできたことができなくなる。いつまでできるのか。それにしても、台風で落ちた枝の量ははすごかった。雨もよく降ったが、おかげで渇水状態だった河口湖の水量がずいぶん回復した。それでもまだ、マイナス1mのようだ。

forest145-4.jpg ・薪ストーブを焚き始めたら、来年の薪を作らなければならない。例年の恒例行事だが、原木をまず4㎣運んでもらって、それをチェーンソーで40cm前後に玉切りし、斧で割って、積み上げて乾かしていく。今度来た原木は大木ばかりで、切るのも割るのも大仕事になっている。細いのがなかったというから仕方がないのだが、この作業もやっぱり、いつまでできるか心配になる。できることは自分でやる。そんなふうにして暮らしてきたが、それができなくなったら、どうするか。退職をして悠々自適な生活ができるようになったとは言え、老いは避けられない。そんなことを思いながら、あれこれと仕事をしている。

2017年11月6日月曜日

ジャクソン・ブラウンとヴァン・モリソン

 

Jackson Browne "The Road to East - Live in Japan"
Van Morrison "Roll With The Punches"

browne2.jpg・ジャクソン・ブラウンの新譜"Tha Road to East-Live in Japan"は2015年の3月に来日して行ったツアーのライブ盤である。僕はこのツアーの初日に行われた渋谷のオーチャードホールのライブに出かけた。脳梗塞のリハビリで入院中だったパートナーを連れ、車椅子で道玄坂を押して辿り着いて、彼の歌を聴いた。その時の様子は、この欄でも書いている(→)。ちょうど「3.11」から4年目の日だったこととあわせて、いろんな意味で印象に残るコンサートだったし、ジャクソン・ブラウンが以前にも増して好きになった。

・このアルバムは2年半ぶりの日本ツアーにあわせて発売されたもので、僕はコンサートに行く代わりにこのアルバムを買った。前回には、その直前に"Standing in the Breach"が出されていて、それについてもこの欄で紹介した。6年ぶりの新譜だったから、2年半でまた新譜というわけにはいかなかったのだろう。しかし、前回一緒に行った知人が、感動的なコンサートだったとフェイスブックで書いていたから、よかったのだろうと思う。

・このライブ盤がどこでのものなのかは明記されていない。あちこちのものから選曲したのかもしれないが、なかでOsakaと話す部分がある。集められた曲は、古いものから新しいものまである。聴いていると、ライブの様子が蘇って、懐かしくなった。政治や社会のことを率直に歌にして歌う姿勢と音楽性の高さを兼ね備えてミュージシャンは、今、彼が随一だろうと改めて思った。

morrison2.jpg ・ヴァン・モリソンは相変わらず新譜を出し続けている。日本に一度も来たことがないから、僕が好きなミュージシャンの中で、ライブで聴いたことがない最後の人になっている。飛行機嫌いだと言うが、アメリカには何度も行っているから、日本には関心がないのかもしれない、あるいは、日本には彼の歌を好むファンなどいないと思っているのだろうか。僕はもう70年代の初めから、ずっと聴き続けている。たぶん、ジャクソン・ブラウンと同じぐらいの年月になるはずだ。

・"Roll With The Punches"は37作目で前作の"Keep Me Singing"から1年しか経っていない。批評の中に「原点回帰」といった言葉が多いように、ブルースをテーマにしたものだ。オリジナルもあるが、ボ・ディドリー、Tボーン・ウォーカー、サム・クック、そしてジョン・リー・フッカーといった人たちでおなじみのブルースの古典といった曲をカバーして、年齢を感じさせないほどに力強く歌っている。タイトル曲は「パンチで揺れる」といった意味だろうか。ロックンロールする歌と演奏は、ジャケット写真のように、まるでボクシングやプロレスを戦っているようである。

・ジャクソンブラウンもヴァン・モリソンも「歌うために生まれてきた人」だ。そして「いつまでも歌い続け」ようとする人だ。ここにはもちろんもう一人、ボブ・ディランがいる。彼らとはこれからもずっと、死ぬまでのつきあいだ思っている。