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・NHKの夕方のテレビを見ていたら、直木賞作家の阿刀田高が出ていました。今年で91歳になるようです。お元気そうで、まだ執筆活動も続けているということでした。僕は彼の作品は全く読んでいませんが、ユーモアを大事にするという執筆の姿勢はインタビューにも良く表れていました。その中で、「今大事にしていることは?」といった質問に「キョウヨウですね」と答えたことに興味を覚えました。それは「教養」ではなく「今日用」だったからです。歳をとると暇な分、毎日することがなくて、無為に過ごしがちになります。だから今日の用事を探したり、作ったりすることが大事になるという話でした。僕はそれに強く共感しました。 ・退職して毎日が日曜日になるのは、年季奉公から解放されて自由の身になることを意味します。僕はずっとそれに憧れていて、定年の2年前に退職をしたのです。しかし、いざ自由の身になると、何も予定がなくてすることがない日が続いたりしました。何かやることはないかと、今日の用事を自分で作る必要を感じるようになったのです。 ・もっとも、田舎暮らしですから、やらなければならないことはたくさんありました。冬のストーブ用の薪作りは、日に2時間ほどと決めての作業ですが、寒い時期に何ヶ月もかかる重労働です。身体にも負担になりますが、薪が少しずつでき上がるのを見て、無上の喜びを感じたりもするのです。あるいは家のメンテナンスとしてやる大工仕事やペンキ塗りも、毎年どこかをということになります。もちろん家事も分担して、毎日の中でやることを決めているのですが、それでもやっぱり、何もすることがなくてだらだらしたり、退屈を感じたりすることは少なくありません。 ・退職して間もない頃は、山歩きにも出かけ、湖畔を一周する自転車にも頻繁に乗りました。しかし最近では山歩きは近くの低山をたまにとなりましたし、自転車に乗るのも億劫に感じるようになりました。河口湖が観光客で溢れるようになって、のんびり自転車でといったことができにくくなっています。それを避けて早朝にということになりますが、それでは暖かくなってからに限定されてしまいます。 ・本を読むのが仕事だったのに、それも退職してからはめっきりしなくなりました。辞めても研究活動は続けるという人には敬意を表しますが、僕は退職したら研究もやめると決めていました。特に追いかけたいテーマがなかったですし、根っからの勉強好きでもありませんでした。しかし、ホームページをずっと続けてきて、週一回の更新だけは止めないようにしています。一月半に一回は本やCDの紹介をしなければなりませんし、どこへ行ったとか、何をしたとかいう材料も定期的に作る必要があるのです。 ・ですから、僕にとっての「今日用」はホームページの更新を続けるための材料集めが一番だということになります。週一回とは言え、ネタ探しには苦労することが多いです。専門書を読まなくなったので、興味のありそうな本を見つけるのに苦労するようになりました。本棚に積読している本の中から選ぶこともありますが、改めて読もうかと思う本は多くありません。退職前に作った20ほどの書架には5000冊以上の本がつまっているのにです。困っているのはCD、つまり音楽でも同じです。好みのミュージシャンは誰もが高齢化して、もう新曲は作らなくなったり歌うことすらしなくなりました。かわりに、亡くなったと聞いて書く追悼文が多くなりました。ちなみに、1500枚を超えるCDの多くにはカビが生えています。 ・そんなわけで、「今日用」は、今後ますます、僕にとっての大事なことばになりそうです。そのためには、何かを探すアンテナの感度が衰えないよう、何をするにも必要な体力の維持に努めるよう、改めて自分に言い聞かせている今日この頃です。 |
2026年4月27日月曜日
キョウヨウが大事です
目次 2026
4月
27日キョウヨウが大事です
3月
30日 ボブ・マーリーについて
23日 世界が壊れはじめている
2月
16日 Bob Dylan "Shadow Kingdom" Patti Smith "Horses"
1月
26日 ケヤキと格闘中です
19日 久米宏とテレビの終わり
12日 黒川創・滝口夕美編『加藤典洋とは何者だったか?』SURE
1日 今年もよろしくです
2026年4月20日月曜日
半月滞在の客人と過ごした日々
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・3月の中旬から4月の初めまで、アメリカの友人二人が我が家に滞在した。何しろこれほど長い期間の客は初めてだから、どうなることかと心配だった。そんな不安は迎えに行った羽田で現実になった。二人をクルマに乗せて首都高を走っていると妹のアリスがポシェットがないと言い出した。どうしようか思案していると、ほどなくして、羽田の駐車場に落とし物があったと電話があった。ひどい渋滞でやっと新宿まで来たのに、また引き返すことになった。何しろ二人は84歳と82歳の姉妹で、こんな長旅は人生で初めてのことなのである。これは先が思いやられると、ますます心配になった。
・半月のスケジュールは、事前にどこに行きたいか、何が見たいか聞いて作っておいた。有名なところやにぎやかな場所には行きたくないということだったので、まずは近くの神社や古民家の里に行き、スーパーでの買い物や、おいしいパイの食べられる店やレストランに出かけた。彼女達は顔を出した富士山に見取れ、河口湖や山中湖、そして西湖の風景に「ビューティフル」を連発した。折から春分の日をはさんだ3連休で、どこも観光客でいっぱいだったから、誰も来ない取っておきの場所にと、青木ケ原の洞窟にも連れて行った。最初の外泊は下部温泉のホテルで、身延の満開の枝垂れ桜や温泉を楽しんだ。トイレにポシェットを忘れ、長湯で湯あたりして鼻血を出したけれど………。
・3日に1日はどこにも行かずに家で過ごすという予定を組んだので、食事の手伝いもしてもらった。パン焼きやギョウザ作り、天ぷらにカキフライやピザ、あるいは朝食に出しているカスタードクリーム等々、妹のアリスはノートを取って熱心だった。一人を好む姉のサリーはゲストルームではなく工房のロフトで夜を過ごした。彼女は日本酒が好きで夕食には欠かせない飲み物になった。
・日程の後半は八ケ岳に日帰りで出かけ、孫達に会うために1泊で東京に出かけた。孫の作ったちらし寿司で昼食をとり、スカイツリーが間近に見えるホテルのレストランでディナーの会食して、楽しい時を過ごした。彼女達には特に東京で見たいところはなかったので、帰りがけに浅草の雷門、隅田川、東京駅、皇居前を走り、東京タワーでトイレ休憩をして家に帰った。長いようで短い2週間が過ぎて、羽田まで送ってバイバイした。やれやれ。無事に過ごせて何よりだった。久しぶりに濃密で楽しい時間を過ごしたせいか、彼女達が帰った後はちょっと呆けてしまって、しばらくは何もしない日々だった。
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2026年4月13日月曜日
デモはネットでしか伝えない
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・アメリカで起きている反トランプデモには800万人もの人が参加したようだ。YouTubeにはその模様がいくつもアップされていて、見切れないほどだった。それはそうだろうと思う。トランプの暴走は危険この上ないし、口汚いののしりは聞くに堪えないほどだ。ちょうどアメリカから知人が訪ねてきていて、一緒に見たが、彼女達にとっても嫌悪の対象でしかないようだった。トランプはイランを悪玉化し、野蛮な国であることを公言するが、それはトランプにこそ当てはまることなのである。 ・デモにはおなじみのブルース・スプリングスティーンやジョーン・バエズが登場し、懐かしいジェーン・フォンダが威勢のいい発言をして、ロバート・デ・ニーロがニューヨークでのデモの先頭に立った。おそらくテレビでも大きく報道されたのだと思う。そんな反対の声に対してトランプは意に介さないような発言を繰り返しているが、戦いが思うようにいっていない現状に不満や不安を感じていたはずだ。何とか2週間の停戦に漕ぎつけて勝利宣言などしているが、内心びくびくだったにちがいない。 ・高市首相が訪米して、自衛隊の参加が憲法を理由にできないことになって、それを成果として評価する声が聞こえてくる。しかしそれは憲法のおかげであって、高市の交渉力によるものではない。彼女はむしろそんな憲法を邪魔扱いして改正を狙っているのである。抱きつきとおべんちゃらしかできなかっただけでなく、トランプの真珠湾発言には何の返答もせず、意味不明の英語で嘲笑されている様子がホワイトハウスの公式ページに公表されているが、日本のメディアはそのことをほとんど伝えていない。 ・レーガンと中曽根の「ロン・ヤス」以来、ファースト・ネームで呼びあうことが日米関係の親密さを表すかのように思われてきた。そんな慣習を高市も踏襲して、何度もドナルドと呼びかけたが、トランプはサナエどころかタカイチとも言わず、日本の首相という言い方を繰り返した。通訳が気を使って高市首相と意訳していたが、そのこともまたメディアは話題にしなかった。高齢のせいかもしれないが、本当は名前さえ覚えてもらっていないのかもしれない。 ・トランプの暴走に危険を感じたのか、日本でも連日、国会周辺や全国各地の繁華街などでデモが行われている。若い人たちの参加が多いようで、久しぶりの光景をYouTubeで見ている。ところが例によってテレビはほとんど取り上げていない。何万人も集まっているというのにである。もっともそれは10年ほど前に「シールズ」という学生の集まりが特定秘密保護法に反対してデモをリードした時や、福島原発事故に抗議した15年前のデモの時にも同様に、極めて消極的な取り上げ方だった。 ・そんなテレビの姿勢を反省してか、元TBSで「報道特集」のキャスターを務めていた金平茂紀が「IMAJIN」と言う名のサイトをYouTubeに立ち上げて、「路上からの反戦」の取材を続けている。テレビで培った手法で、テレビが取り上げない政治的な行動を発信しようというものである。彼にしてみれば、今のテレビの姿勢には忸怩たる思いがあるのだろう。始まったばかりだが、彼が出演していた時の「報道特集」はよく見ていたから、チャンネル登録して追いかけることにした。 |
2026年4月6日月曜日
スタッズ・ターケル『仕事!』(上下)河出文庫
・スタッズ・ターケルは一つのテーマについて、100人を超える人にインタビューをして1冊にまとめるという仕方で本をいくつも書いた。その中の『仕事!』(Working)は1974年に出されていて、日本では1983年に出版された。訳者は中山容だが、彼は周囲にいる人に呼びかけて50人近い人で翻訳した。英語力は無視して、同じような職種の人に任せたから、手直しするのは大変だったようだ。僕も一つだけ訳しているが、主な仕事は訳者の助手役で、何人かの人に翻訳を頼んだりしたことを覚えている。で、晶文社から出された訳書はハードカバーで700頁にもなる大著になった。4000円近い値段だったが、話題になって増刷もした。
・その本が翻訳から40年以上も経って、河出書房新社から上下2冊の文庫で再出版された。訳者代表の中山容はすでに亡くなっていて、他にも亡くなっている人や所在の分からない人などがあったから、内容は元のままで出版されている。その序文は以下のようなことばで始まっている。
これは仕事についての本である。まさにその性質上、暴力について(からだ的にも精神的にも)の本だ。事故についてでもあり、胃潰瘍についてでもある。けんかについてでもあり、ののしりあいのことでもある。(中略)なによりもまず(あるいはなによりも底辺での)日々の屈辱についての本だ。
・実際、100人を超える人たちが話すのは、こんなつらい、腹の立つことばかりだ。しかし同時に、彼や彼女達は仕事に対して、それが自分が自分であることを確認し、他人にも認めさせる大事な手段であることも力説する。これはアメリカの1970年代の仕事の話だが、その多くは当時の日本人にとっての仕事にも当てはまっていた。そんな内容は、すでに半世紀も経った今の日本でもなお、多くの共感を得られるはずである。この本を再出版した裏には、そんな狙いや思惑があったのだろうと思う。・ターケルの翻訳については、この後も『インタビューという仕事!』(1984)、『よい戦争』(1985)『アメリカの分裂』(1990)、『アメリカン・ドリーム』(1990)を『仕事!』と同じ形で翻訳をしている。『人種問題』(1995)だけは3人の共訳で、中山容は胃ガンで1997年に亡くなっている。だから残ったターケルの著作である『死について!』(2003)、『希望』(2005)、『スタッズ・ターケル自伝』(2010)は別の人の訳になっている。 ・僕は中山容訳のほとんどに参加しているが、一つ一つの記憶はほとんどない。ただし『よい戦争』だけは、それが日本と戦った第二次大戦についてであり、反対に「悪い戦争」がヴェトナム戦争であることで、容さんといろいろ話をしたことはかすかに覚えている。いずれにしても、今回の文庫化は、30~40年前のことを思いだすいいきっかけになったことは間違いない。また話題になるといいなと思っている。 |
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12月 22日 国会議員の定数より歳費の削減を! 15日 鉄道旅に見る中国の変容 8日 紅葉が終わった 1日 工藤保則『野暮は承知の落語家論』青弓社 11月 24日 『スプリングスティーン 孤独のハイウェイ』 17日 仕事を辞めて8年も経った? 10日 ドジャース...
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・ インターネットが始まった時に、欲しいと思ったのが翻訳ソフトだった。海外のサイトにアクセスして、面白そうな記事に接する楽しさを味わうのに、辞書片手に訳したのではまだるっこしいと感じたからだった。そこで、学科の予算で高額の翻訳ソフトを購入したのだが、ほとんど使い物にならずにが...
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12月 26日: Sinéad O'Connor "How about I be Me (And You be You)" 19日: 矢崎泰久・和田誠『夢の砦』 12日: いつもながらの冬の始まり 5日: 円安とインバウンド ...







・日程の後半は八ケ岳に日帰りで出かけ、孫達に会うために1泊で東京に出かけた。孫の作ったちらし寿司で昼食をとり、スカイツリーが間近に見えるホテルのレストランでディナーの会食して、楽しい時を過ごした。彼女達には特に東京で見たいところはなかったので、帰りがけに浅草の雷門、隅田川、東京駅、皇居前を走り、東京タワーでトイレ休憩をして家に帰った。長いようで短い2週間が過ぎて、羽田まで送ってバイバイした。やれやれ。無事に過ごせて何よりだった。久しぶりに濃密で楽しい時間を過ごしたせいか、彼女達が帰った後はちょっと呆けてしまって、しばらくは何もしない日々だった。
・スタッズ・ターケルは一つのテーマについて、100人を超える人にインタビューをして1冊にまとめるという仕方で本をいくつも書いた。その中の『仕事!』(Working)は1974年に出されていて、日本では1983年に出版された。訳者は中山容だが、彼は周囲にいる人に呼びかけて50人近い人で翻訳した。英語力は無視して、同じような職種の人に任せたから、手直しするのは大変だったようだ。僕も一つだけ訳しているが、主な仕事は訳者の助手役で、何人かの人に翻訳を頼んだりしたことを覚えている。で、晶文社から出された訳書はハードカバーで700頁にもなる大著になった。4000円近い値段だったが、話題になって増刷もした。
・その本が翻訳から40年以上も経って、河出書房新社から上下2冊の文庫で再出版された。訳者代表の中山容はすでに亡くなっていて、他にも亡くなっている人や所在の分からない人などがあったから、内容は元のままで出版されている。その序文は以下のようなことばで始まっている。
・実際、100人を超える人たちが話すのは、こんなつらい、腹の立つことばかりだ。しかし同時に、彼や彼女達は仕事に対して、それが自分が自分であることを確認し、他人にも認めさせる大事な手段であることも力説する。これはアメリカの1970年代の仕事の話だが、その多くは当時の日本人にとっての仕事にも当てはまっていた。そんな内容は、すでに半世紀も経った今の日本でもなお、多くの共感を得られるはずである。この本を再出版した裏には、そんな狙いや思惑があったのだろうと思う。