・「ジョーカー」は『バッドマン』に出てくる最強の悪役である。この映画の舞台も同様に、ゴッサム・シティというニュー・ヨークに似た架空の都市だ。物語は「ジョーカー」が誕生するいきさつを描いたものだということだが、そんな架空のことではなく、きわめてリアルな話のように感じられた。
・主人公はピエロのメイクをしてサンドウィッチマンをしたり、病院に入院する子どもたちを慰問する仕事をしている。コメディアンとして有名になるという夢を持っているが、すでに中年になって、母親を介護して一緒に暮らしている。そんな母思いで子ども好きの男が豹変するきっかけは、黒人少年たちの悪ふざけだった。同僚が護身用にと貸してくれたピストルを持ち歩くことで、地下鉄で三人を撃ち殺すことになる。女性をからかう男たちを見て、突然笑い出したことが原因だった。彼には発作的に笑い出すという病気があって、その症状が出てしまったのだった。
・母親は自分の父が町の有力者だと言うのが口癖だった。しかしそれを確かめると、それが母の妄想にすぎなかったことがわかる。それだけでなく、母は幼い自分を虐待してきたことなどもわかってくる。で脳梗塞で入院した母を、病室で窒息死させ、ピストルを貸してくれた同僚をはさみで刺し殺す。疲弊した町で不満を鬱積した人たちが、ピエロを英雄視し、仮面をかぶってデモをするようになる。たまたまテレビ出演をすることになって、憧れていたはずのキャスターを撃ち殺して逮捕されるが、その護送車が襲われて、彼は自由になる。
・この映画を見ていて、その展開に引き込まれたが、同時にまた、最近起こった悲惨な出来事を思いだした。京アニの放火事件、障害者施設での殺傷事件、あるいはちょっと古いが秋葉原での無差別殺傷事件等々である。もちろん、アメリカで頻発している銃連射事件のこともだった。思い通りに行かない自分の境遇や人間関係のつまずきに対する悩みや不満が、他人に向けた暴力に向かう。そんな傾向は車のあおり運転や子どもに対する暴力などにもありふれている。
・映画を見ていてもうひとつ考えたのは『タクシー・ドライバー』との類似性だった。大統領候補の事務所で働く女性に好意を持って近づくが、嫌われてしまうことで、候補を暗殺しようと思う男の話だ。ところが、少女売春の現場でひもを殺して少女を解放することで、メディアからヒーロー扱いされることになる。どう転ぶかわからない、そんな社会の不条理さがテーマだった。70年代の映画で、これを見た時には、リアルさと言うよりアメリカ社会の怖さを覚えた記憶がある。ところが『ジョーカー』に感じたのは、身近にもありそうなリアリティだった。
・『タクシー・ドライバー』を思いだしたのは、ロバート・デ・ニーロが出ていたせいなのかもしれない。彼はバラエティ・ショーの人気司会者役で、発作的な笑いがおもしろいと「ジョーカー」を抜擢して番組に登場させて、番組中に彼に撃ち殺されるのである。主人公の名前はアーサーだが、放送中に初めて、自分を「ジョーカー」だと名乗り、殺人鬼であることを国中に印象づける結果になった。
・この映画は日本でもヒット中のようだ。けっして荒唐無稽ではない怖さを感じさせる映画を、どんな思いで見ているのだろうか。そんな興味もあるが、映画館では決して多くはない観客の多くが、紙コップにあふれるポップコーンをもって座席に着いていた。そんなもの食べながら見る映画ではないだろうにと思ったが、ちゃんと食べたかどうかはわからなかった。客席を見回す余裕のないほど没入してしまったからである。
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unknownさんではなく、何か名前があるとうれしいです。