2024年10月7日月曜日

クリス・クリストファーソンについて

 

Kris1.jpgクリス・クリストファーソンが亡くなった。88歳だった。この欄で死んだ人を取り上げるのは今年三人目だが、去年も四人だった。若い頃からずっと聴き続けてきた人たちが、次々いなくなっていく。そんなことを身にしみて感じている。

クリストファーソンの一番のヒット曲は「ミー・アンド・ボビー・マギー」だろう。ただしこの曲を有名にしたのはジャニス・ジョプリンのカバーだった。ジョニ・キャッシュやウィリー・ネルソンと並んで、カントリーの大御所だが、二人に比べたらずっと地味な存在だった。

雨が降りはじめて、ディーゼルに親指を立てた
そのクルマは私たちをニューオリンズに運んだ
赤いバンダナに指したハーモニカを吹くと
ボビーがブルースを歌いだした
ワイパーが時を刻み、私はボビーの手を握った
私たちは運転手が知っている歌のすべてを歌った
彼はまた、俳優として何本もの映画に出演している。彼がビリーを演じた『ビーリー・ザ・キッド』には音楽を担当したボブ・ディランも出演し、「ノッキング・オン・ヘブンズ・ドア」が主題歌になった。ディランを「ボーイ」と読んで子ども扱いするビリー役のクリスが格好良かったことが今でも記憶に残っている。共演したリタ・クーリッジと再婚したが、その彼女とも離婚している。ただし三度目の結婚も含めて、クリスには8人の子どもがいるようだ。

僕が彼の映画で一番印象に残っているのは、三島由紀雄原作の『午後の曳航』で、船乗りとして息子に尊敬されていた父親が、陸に上がって、その息子に幻滅されて殺されるという話だった。あるいは、バーバラ・ストライザンドと共演した『スター誕生』や大型トラックの運転手役だった『コンボイ』などもあった。その意味では、シンガーよりは役者として有名だったと言えるかも知れない。

大柄で低音といったマッチョの典型といった外見だったが、若いミュージシャンから慕われる人望の篤さがあった。印象的に覚えているのはボブ・ディランの30周年記念コンサートに出たシニード・オコーナーがヤジに怒って舞台から降りた時に、なだめて舞台に連れ戻したのがクリスだった。そこでシニードはディランではなく、ボブ・マーリーの'war'を歌った。

クリスが死んだというニュースを見て、久しぶりに彼の歌を聴いた。そういえばもうずいぶん、彼の歌を聴かなかった。半ば忘れていたのだが、ギターをつま弾きながら、語るように、つぶやくように歌う。そんな姿をYouTubeで見ながら、自分の人生と重ね合わせて振りかえる一時を過ごした。

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unknownさんではなく、何か名前があるとうれしいです。