1997年7月5日土曜日
リービング・ラスベガス』マイク・フィッギス(監)ニコラス・ケイジ(主)
1997年7月1日火曜日
ガンバレ野茂!!
・三年目の野茂がもたついている。6月29日の試合に負けて7勝7敗、オールスター出場は今年もダメなようだ。話題も伊良部に集まっていて、新聞やテレビ゙のスポーツ・ニュースに取り上げられるのも地味になった。「どうした?」などと書かれることもない。何となく寂しい感じがしているが、本人にはかえって気楽になれるいい機会なのかもしれない。
・実は、ぼくは野茂がアメリカに行くと言ったときから、かなり強い関心を持ち続けている。できるかぎり生中継を見ているし、それがダメなら、再放送、ドジャーズのホームページには必ずアクセスしているし、ニフティのSNPBASE(スポニチ)から毎日の大リーグ情報も入手している。小学生からのスワローズ・ファンだが、日本のプロ野球にはほとんど関心がなくなってしまった。独走のせいもあるが、マスコミの清原イジメや阪神ファンの相変わらずのとらぬタヌキにはもううんざりといった思いなのだ。
・で、野茂の話だが、実は今年は特に調子が悪いというわけではない。去年も同じ時点では8勝7敗だった。もちろん野茂の防御率は年々落ちていて、三振の数もハデにとることが少なくなった。フォーク・ボールをむりやり強振しなくなって、じっくりボールを見極めるバッターが増えてきた。四球がからんで早い回から点を取られてしまう試合も少なくない。しかし、ダメなのはドジャーズ打線のふがいなさにある。とにかく先行する試合が少ないのだ。それがプレッシャーになって、のびのび投げられない。そんな感じがする。他の先発ピッチャーが好投しながら勝てないのに腹を立てて、野手陣、フロントとの間がギクシャクしているといったニュースがSNPBASEにはよく報じられている。ラソーダとラッセルの監督手腕の差なのかもしれない。
・ギクシャクした関係といえば伊良部と日本からの報道陣の間も相当のようだ。殴りかかったとか、ボールをぶつけるまねをしたとか、鼻クソを投げたと話題は尽きない(これもSNPBASE)。記者の方も相当カリカリして記事を書いている。対照的に長谷川にはきわめて好意的だ。インタビューでも、信じられないくらい流ちょうな英語で受け答えをしている。
・野茂の相変わらずのぶっきらぼうさをふくめて三人三様で、それはそれでおもしろいと思う。野茂はトンネルズのインタビューなどにはちょっと冗談もいれてキサクに話をする。たぶん伊良部だって相手次第ではもっと素直になれるに違いない。野茂にも伊良部にも日本の報道陣は大リーグへの道をふさぐ存在として立ちはだかった。で活躍し出すとやたらハデに持ち上げる。たぶん野茂はそんな姿勢にしらけているのだ。伊良部もちょっと大人げないところがあるが、反省すべきはまず、報道陣のほうだと思う。
・スポーツは最高のレベルでは、当然世界を相手にする。しかし、オリンピックで金メダルいくつといったことを除けば、日本人には、そのような意識はこれまで希薄だった。それが野茂や伊達(テニス)や岡本(ゴルフ)といったプロ・スポーツの世界で自覚されはじめている。ワールド・カップへの出場が果たせなければサッカーのJリーグの成功もない。そして、そんな意識から一番ずれているのが、日本のプロ野球と、それを支え、そこに寄生するスポーツ・ジャーナリズムなのだ。日本のプロ野球なんてマイナー・リーグの一つになってしまえばいい。そんな気がする。
1997年6月23日月曜日
『ブルー・イン・ザ・フェイス』 ポール・オースター、ウェイン・ウォン
1997年6月16日月曜日
津野海太郎『本はどのように消えてゆくのか』(晶文社),中西秀彦『印刷はどこへ行くのか』(晶文社)
・ワープロからパソコンに乗り換えたのは、DTP(卓上印刷)が理由だった。ガリ切りから始まって新聞やチラシ、ミニコミを何種類も作ってきたぼくには、印刷を手作りするというのは、長年の念願だった。で、やっとスムーズに日本語が使えるようになったマックに飛びついたが、プリンタ、スキャナ、それにフォント(字体)などを買うと、お金が150万円を軽く超えた。もう9 年も前の話だ。現在のマックは5台目で、ポストスクリプトのレーザー・プリンターが自宅と研究室に一台づつ、学科の共同研究室にはカラーのレーザー・プリンターも入った。お金はもちろん、時間もエネルギーも、ずいぶんな浪費をしたが、おかげで今のぼくには、印刷屋さんに頼まなければならないことは何もない、とかなり自信をもって言えるようになった。
・津野海太郎は晶文社の編集長を長年やってきた。本作りのプロだが、一方でDTPを使ったミニコミ作りもしてきた。『小さなメディアの必要性』(晶文社)『歩く書物』(リブロポート)『本とコンピュータ』(晶文社)『コンピュータ文化の使い方』(思想の科学社)、そして『本はどのように消えてゆくのか』。彼が書いてきた本を読むと、文化としての本、つまり内容だけではなく、装丁や編集、印刷技術といったものに対する愛着心と、コンピュータを使った新しい印刷文化に対する好奇心が伝わってくる。まさに同感、というか、ほぼ同じ時期から、ほとんど同じことに関心を持ち、時間とエネルギーとお金を注いできたことに妙な親近感さえ感じてしまう。
・中西秀彦は京都の印刷屋さんの二代目である。そして、印刷業界のコンピュータ化に積極的に関わり、なおかつその印刷文化との関係を考え続けてきている。『印刷はどこへ行くのか』(晶文社)は前作『活字が消えた日』(晶文社)に続く、彼の2作目の本で、この二冊を読むと、印刷というか文字文化とコンピュータの間に折り合いをつけることの難しさにあらためて驚かされてしまう。
・先代、つまり彼の父親は、世界中の文字(活字)を集めることに熱中した人だった。だから1969年のカンボジア、タイ、香港からはじまって、死ぬ前年(1994年)のブルキナフォソ、ガンビアまで、文字(活字)を求めて訪れた国は軽く百ヶ国を越えている。京都には大学がたくさんあって、中西印刷にくる注文も大学や研究者からのものが多いようだ。当然、さまざまな言語の文字や豊富な書体の漢字が必要になる。だからこそ、どんな文字の注文にも応えられることが先代の誇りだった。中西秀彦はそのような父親の意志を受け継ぎながら、なおかつ、文字のデジタル化、つまり活字の放棄を決断する。
・ DTPを使って作れるものは新聞、雑誌、書籍、パンフ、チラシ、名刺と多様である。けれども、いろいろなホームページにアクセスし、また自前のものを作るようになってから、DTPが過渡的な方法だったのでは、という疑問をもちはじめた。DTPが活字を不要にし、レイアウトや切り貼りの作業をデジタル化したとは言え、最後はやっぱり、紙に印刷する。つまり、できあがったものは何世紀も前から作られていたものと変わらない。モニター上で作ったものを、紙に印刷して完成というのは、何かおかしくないか?そんな疑問を改めて、感じはじめたのである。ホームページに慣れるにつれ、モニタ上で読むことが、あまり苦痛でなくなってきたのである。この感覚の変化は、たぶん重要だ。
・津野も中西も、それぞれの本の中で同じような発言をしている。「印刷革命が最後までたどりついたと思ったのは、紙の上というごく狭い範囲の印刷でしかない。このあと印刷と出版は紙という呪縛から解き放たれる。」(中西)「この三年間は、私のうちでDTPへの関心がうすれ、それに反比例して、デジタル化されたテキストをDTPではないしかたで利用する方法への関心がつよまってゆく過程だったらしい。」(津野)
・辞書や事典などCD-ROMが充実してきた。膨大な情報量の中から一部分を検索するという作業はパソコンにとってもっとも得意なところである。紙に印刷された文章を1ページから順に読んでいくという作業がなくなるとは、もちろん思わない。けれども、そうやって読まなければならない印刷物は、実際には今でもすでに多数派ではない。ぼくは英語の本をかなり買うが、テキストの方がキイ・タームを検索しながら能率的に読めるのにと思うことがよくある。翻訳ソフトがもっと賢くなれば、一気に日本語に変換させて読むといったことだってできるはずだ。いずれにせよ、読書の質が変わっていくことは間違いないから、紙に印刷といった形態が主流でいられる時代がいつまでも続く保証はどこにもないはずである。せっかくDTPをわがものにしたぼくにはちょっと寂しいことだが、同時に、ホームページにもっともっと時間とエネルギーを割いてみたいという気もしている。
1997年6月10日火曜日
学生の論文が読みたい!!
1997年6月7日土曜日
『恋人までの距離』Before Sunrise 、『Picture Bride』
1997年5月31日土曜日
Van Morrison "The Healing Game"
・アイルランド出身のミュージシャンには個性的な人たちが多い。U2、エンヤ、シンニード・オコーナー、そしてヴァン・モリソン。サウンドはそれぞれにずいぶん違うが、彼/彼女らの誰もが、アイリッシュであることを表に出す。だから、アイルランドが政治や宗教、そして民族といったさまざまな問題を抱えた国であることが否応なしに自覚される。
・数年前にU2のコンサートに行ったときに、ボノが「今夜はみんなアイリッシュだよ」と言った。ぼくはそのことばにちょっと違和感を感じた。「ここはファー・イーストだよ。『血の日曜日』という曲は知ってても、アイリッシュの心に共感したくてコンサートに来たヤツなんていないだろ」。そう、ぼくにとって、アイルランドは遠いなじみのない国。だから、彼や彼女らの音楽にはたまらなく惹かれる気持ちを持っても、そこにいつでもつきまとう「アイリッシュ」には、できれば脇に置いておきたいという感じを持っていた。
・先日BSでアイルランドを訪れる番組を見た。黒ビールとパブとケルト人の遺跡を訪ねるのがテーマだった。ほとんど木が生えていない土地。というよりは、岩盤の上にわずかに堆積した土だけでできている土地。そこにしがみつくようにして生きてきた人たち。そんな土地からも追い出された人たち。そして、アメリカに逃げた人たち。アイルランドはアメリカに一番近いヨーロッパである。そのアメリカにはアイリッシュの子孫が数千万人も住んでいる。
・長田弘は『アメリカの心の歌』のなかでヴァン・モリソンにふれ「内なる土地」ということを書いている。生きるには厳しすぎる環境、だからこそ、かけがえのないものとして育まれた独特の文化。そんな土地からの追放という歴史が、自らの文化への愛着を持続させる。アイルランド人は心の中にもうひとつの土地を持つ。「内なる土地」は「どこでもない場所であるすべての場所」、「精神の国」。U2が僕らに言ったのはその場所、その国のことだったはずだが、ぼくにはそんなことはわからなかった。だとしたら、その時ぼくは、U2の音楽に何を聴いていたのだろうか?
・ヴァン・モリソンは「ゼム」のリーダーとして「ビートルズ」や「ローリングストーンズ」と同時代にロック・ミュージシャンとしてデビューしたが、1968年にソロ・シンガーとしてはじめてのアルバム『Astral
Weeks』を出した。『T.B.Sheers』(1973)『Wavelength』(1978)などの初期のものから『Irish
Heartbeat』(1988)『Avalon Sunset』(1989)などを経た最近の『Too Long in
Exile』(1993)に至るまで、歌のテーマもサウンドもほとんど変わっていない。変わったことがわかるのはアルバム・ジャケットで見る彼の外見だけである。
ここにまた俺がいる
この街角に戻ってきた
いつも俺はここにいた
すべてが同じ
何も変わっていない
この街角に戻ってきた
癒しのゲームの中で
・『The Healing games』は今年出た彼の最新のアルバムである。歌詞の通り、何も変わっていない。けれども、いつも新しい。というよりは新鮮と言うべきだろう。彼の歌にはいつでも、僕らがとっくになくした、あるいはいまだ手にしたことがない「ハートビート」が確かにある。 (1997.05.31)
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・ インターネットが始まった時に、欲しいと思ったのが翻訳ソフトだった。海外のサイトにアクセスして、面白そうな記事に接する楽しさを味わうのに、辞書片手に訳したのではまだるっこしいと感じたからだった。そこで、学科の予算で高額の翻訳ソフトを購入したのだが、ほとんど使い物にならずにが...
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・ 今年のエンジェルスは出だしから快調だった。昨年ほどというわけには行かないが、大谷もそれなりに投げ、また打った。それが5月の後半からおかしくなり14連敗ということになった。それまで機能していた勝ちパターンが崩れ、勝っていても逆転される、点を取ればそれ以上に取られる、投手が...