・武田百合子の『富士日記』(中公文庫)は友人のクロちゃんの愛読書である。わが家に来た折りに持参して、忘れて帰ってしまったのが、読むきっかけになった。何度も読みかえしているという彼女の話を聞いて不思議な気がしたが、読んでみると、その理由がなんとなくわかるようになった。どこから読みはじめてもいいし、どこでやめてもいい。同じところをくりかえして読んでもいい。ぼくは1ヶ月ほど前から、寝る前に読むようになって、やっぱり、行きつ戻りつしながら、やっと3冊目まできた。
・武田百合子は作家の武田泰淳の奥さんで、河口湖から富士山に登る途中にある富士桜高原に別荘を買って昭和39年から暮らしてきた。『富士日記』はその記録で、昭和51年まで続いている。もちろん、公表を念頭において書いたものではないが、その量は3巻本で1500頁近くになっている。「武田が死ななければ、活字にしていただけるようなこともなく、日記帳は押入れの隅の段ボール箱にしまわれていたものと思われます。彼方の岸から武田は言っているのではないかしら、『百合子何やってるんだ、俺がいなくなったら。ーー恥ずかしい』と」。しかし、この日記は昭和52年に田村俊子賞を受賞している。そんな気もなく書き続けたものだが、読めばたしかに良質の日記文学になっている。
・ぼくは武田泰淳の作品はほとんど読んだことがない。だから、最初に感じたおもしろさは、泰淳自身やその家族のプライベートな一面ではなく、河口湖周辺の40年ほど前の様子だった。昭和39年は東京オリンピックがあった年で、河口湖周辺も、大きく変化をしはじめた頃だった。経済成長の波に乗って、ゴルフ場や遊園地(富士急ハイランド)ができ、別荘地が開発された。冬の厳しい寒さと溶岩台地の痩せた畑で貧しい暮らしをする人が大半だった地域にも、戦後の豊かさが訪れはじめている。この日記を読むと、そんな変化が随所に読み取れる。
・たとえば、彼女は地元でよく買い物をし、すぐに親しくなることを特技にしてるが、地元の女たちに「奥さんは毎日何をやってるだね」と聞かれるところがある。「洗濯や掃除、買い物………」とこたえると「そんなこたあ、仕事のあいまにするもんずらー」と言いかえされてしまう。専業主婦は都会の中流家庭に限られた、新しい夫婦の役割分担にすぎなかったのである。
・もちろん、この時代に別荘を持って都会から通うといったライフスタイルは、ごく限られた人(有閑階級)だけに可能な特権だった。しかし、それだけにまた、快適で安楽な一面ばかりではなかった。例えば高速道路はないから、東京からの道のりには3,4時間はかかってしまう。東名高速が厚木まで開通したのが昭和43年(1968)で、中央自動車道の八王子ー河口湖間が開通したのは翌44年(1969)である。あるいは、自動車の性能も、今とは比較にならないほど心細いものだった。運転するのは彼女一人だが、よくパンクをし、故障もしている。事故を目撃したという記述もひんぱんにあるが、事故による死亡者数が最も多かったのは、1970年で、1万6765人に達している。ちなみに彼女も一度追突され、痛めた背骨の後遺症で、その後ずいぶん悩まされている。
・武田泰淳にとって百合子は妻であるだけでなく、専用運転手であり、また有能な秘書でもあった。彼が病に倒れてからは、口述筆記の作業も任されている。おもしろいのは泰淳の書いた原稿を河口湖駅に行って列車便に乗せるという作業だ。これだと、3時間弱で新宿駅まで届く。電話や速達で出版社にその旨連絡するのだが、電話は別荘にはない。それほど売れっ子の作家ではなかったと思うが、河口湖に来れば必ずその仕事がある。あるいは、急な電話が管理人のところにかかってきたり、郵便局員が速達を運んできたりと、なかなか忙しい。
・別荘に建てられた家も、現在のものとはずいぶん違う。水道が凍って破裂する。雨、風、雪で破損箇所が出る。防寒対策が不十分で、家の中まで凍りついてしまう。そんなことへの対応も、地元の業者とのやりとりとなっておもしろく語られている。作業に来た人にはお茶だけでなく、食事も振る舞い、ビールなども出していたようだ。そういえば、地元の人も、そして彼女もアルコールを飲んでの運転に罪悪感をまるで持っていない。今では考えられないことだが、思いかえしてみれば、そんな風潮になったのはつい最近のことで、河口湖周辺では今でも、飲んで車で帰宅といった例は少なくないようだ。
・もうひとつ、季節に対してもった違和感も書いておかなければならない。近所とは言え、ぼくの家と彼女の別荘では、気候が少し違う。富士山の麓は傾斜地で、わずかの距離でも海抜が100mも200mも違ってくる。だから、夏はともかく、冬の寒さにはかなりの違いが出てくる。けれども、その差を差し引いても、この本の書かれた40年前に比べて、最近の冬は温暖だ。第一に秋や冬の訪れが半月から1ヶ月ぐらい遅くなっている。今はもう10月で、本では紅葉の様子がくりかえし語られているが、わが家の森はまだ、緑一色である。おそらく、10月の後半にならなければ、本格的な紅葉は始まらないだろう。
・こんなふうに、読みながら考えること、想像すること、ふりかえることが少なくない。別荘に来ると作者は精力的に車で走りまわり、あちこちに出かけている。今とはずいぶんかわったところ、相変わらずのところなど、いろいろあって、ただ読むだけでなく、実際に出かけて確認したくもなってくる。おそらく、ぼくにとってもクロちゃん同様、読み終わったらおしまい、というのではなく、時折開いては少し読むといった種類の本になるのだと思う。今日の食事=朝、昼、晩。今日の買い物=肉、野菜、缶詰………。こんな記述ばかりがくりかえされる内容だが、奇妙におもしろい。武田百合子の観察眼と文体のせいだろうか。だとしたら、それは門前の小僧として習得したのか、それとも彼女の才能なのか。