・ロックのボーカルはテナーが多い。ビートルズからずっとそうだし、最近は特にその印象が強い。男らしさよりは繊細さや色っぽさが魅力、とりわけ女の子たちを夢中にさせる要因だったということだろうか。そう言えば、カントリーには低音の魅力といえるミュージシャンが多い。典型はジョニー・キャッシュで、僕が最初に彼の声を聴いたのはディランとデュエットしたナッシュビル・スカイラインだった。しわがれ声のディランが珍しく素直に歌ったアルバムで、キャッシュとの対照で、ディランの声の高さが改めて印象づけられた。
・歌の魅力はまずメロディー、そして歌詞にある。けれども、歌手の声や歌い方も欠かせない。テナーというよりはボーイ・ソプラノのようなニール・ヤングの声は、デビュー以来少しも変わっていない。対照的にディランの声は、だんだん太くなって、年齢も感じさせる。
・たとえば、好きなミュージシャンを思い浮かべてみると、声の高低で偏りがあるわけではない。ルー・リード、ヴァン・モリソン、ブルース・スプリングスティーン、ライ・クーダー、マーク・ノップラー、そしてトム・ウェイツと声の低いミュージシャンはかなりいる。しかも、美声というよりはだみ声が多く、そのがらがらでしわしわの声が、猥雑で浮き沈みのある人生の機微や襞を感じさせることが少なくない。それに比べると高音は透き通っていて、非日常的な世界や気分に引き込んでくれるようだ。
・その日常と非日常、濁と清の対照は、たとえば低音と高音のデュエットなどを聴くと一層強調される。たとえば、ルー・リードのライブ盤 "Animal
Serenade"には二人の高音の歌手が登場している。その一人アントニーの声はずいぶん印象的だったが、ディランの伝記映画 "I'm Not
There" のサントラ盤を聴いたら、彼が'Knockin' On Heaven's
Door'を歌っていて、やっぱり、他の曲を歌うミュージシャンとはずいぶん違う印象を受けた。で、さっそく2枚買って聴いてみた。アルバムのジャケットそのままに、アントニーの声はまるで天使のようだ。
・同じような印象を受けたミュージシャンがもう一人いる。ずいぶん前にアイリッシュ・ミュージックのオムニバス盤を買って、やっぱりその声に惹かれた歌手がいた。北アイルランドのベルファスト出身のブライアン・ケネディの声は、他のミュージシャンに比べてひときわ高音で透明感があった。そのオムニバス盤で気に入ったミュージシャンのアルバムをさがして買い求めたのだが、彼のだけは見つからなくて忘れていた。ところが、最近Amazonで偶然見つけて、さっそく注文した。ベルファストでのライブ盤で、おなじみのアイリッシュ・ミュージックをたくさん歌っている。
・もちろん、テナーの声は誰でも透明感を感じさせるというわけではない。スティングの声には氷のような冷たさや鋭さを感じるし、ジェームズ・テイラーには正反対の暖かさや穏やかさを感じる。U2のボノには色気と熱気、エリオット・スミスには繊細さと針のような棘………。そういった声の肌理はまた、当然ながら、サウンド全体にも共通し、歌の中身、つまりメッセージとも重なりあう。
・アントニーとケネディの声の肌理にはどんなメッセージがこめられているのだろうか。残念ながら、今ひとつわからない。ただはっきりしているのは、彼らの声は、じぶんひとりではなく、誰かとの対照でこそ、その存在感を増すということだ。ルー・リードとアントニーの組みあわせはその最適な例だろう。こんな視点でこれまで聴いた歌を思いだしてみると似たような効果を狙ったものが少なくないことに気がついた。エリック・クラプトンとベビー・フェイス、ヴァン・モリソンとチーフタンズ、R.E.M.とQ-Tip等々。単なるバック・コーラスというよりは、極端に違うものを共存させて、じぶんを目立たせる。あくの強いミュージシャンであればこその手法だと思った。