・ここのところ、NHKなどでエコやCO2をテーマにした番組が目立つようになった。それ自体は悪いことではないが、見ていて何とも違和感がある。
・たとえば、いかにして資源の無駄づかいをを工夫するかといった話をする。出演のタレントたちが、まるで目から鱗といった感じで驚き感心したりする。そんなこと、今まで何度もお目にかかっているはずなのに、と思うと、そのわざとらしさが何とも嘘くさい。タレントが無知を演じているということは、視聴者が無知であることを前提にしているわけで、その相変わらずの啓蒙的な姿勢にあきれてしまう。
・一方に地球の平均気温が一度上がっただけで変貌する恐ろしい環境変化という現実がある。ところがその対処として出てくるのが、スーパーのレジ袋や天ぷらにつかった廃油の再利用、あるいはトイレやシャワーの水の節約だったりする。そんな程度でどうなるものでもないことはわかっているはずなのに、まずはここからということになる。しかし、その先には進まないから、何か機会があるごとに、また一から繰りかえすだけで終わる。今回はもちろん、北海道で開かれるサミットのせいだ。
・違和感をもつ話はほかにもたくさんある。レジ袋の代わりにつかうトートバッグが新たなビジネス市場になって、高額のブランド品に人気が集まっているとか、CO2の排出量を企業間や国家間で売り買いするといったビジネスの発生だ。あるいは、CO2を循環させるバイオ燃料が「エコ」の切り札のように言われたと思ったら、今度は、そのおかげで世界的な食糧危機がもたらされたと批判がわき起こっている。また、原油の高騰の原因には、需要の高まり以上に投機的な介入があるという。投資家が悪者扱いされたりするが、その資金はまた、年金運用目的で調達されてもいる。
・エコの問題は実際、ものすごく大きな矛盾の上に立っている。そもそも、現在進行中の環境問題は、産業革命、つまり近代社会の誕生と発展に関連している。現在地球上に生きる人間の数は60億人を超えたが、1800年には9億人だった。このまま行くと、2050年には90億人を超えると予測されている。当然、エネルギー消費量も爆発的に増えてきた。現在問われているのは、この爆発がもたらす変化をどう沈静化させるかということで、それができなければ、地球環境は持続不可能になるという問題のはずなのである。他方で、消費資本主義は半永久的に成長し続けなければ、破綻するという性格を持っている。
・横浜で「アフリカ開発会議」が開かれた。この会議は日本政府が提唱したもので、1993年以来、これまでいずれも東京で開催されてきた。 4回目の今回はU2のボノも来て、アフリカの貧困の現状を訴えるメッセージがテレビで報道された。産油国を中心に経済成長のめざましい国が出はじめている。ところが、それが貧富の拡大をもたらしたり、政情不安の原因になったりしている。それをどううまく舵取りして、すべての人に豊かさを実現させてゆくか。会議の目標はそういうところにあった。そのこと自体は結構な理想だと思う。けれども、それはまた環境問題と大きく矛盾するという難問をはらんでいるし、現実的には、アフリカの資源や新たな市場を先進国が奪い合うというビジネス競争の場にもなっている。
・「地球に優しく」などという言い方が相変わらず、多くの人の口から出てくる。しかし、温暖化は今の環境のなかで生存できている生き物にとっての危機なのであって、地球にとってのものではない。第一、地球は温暖期と寒冷期を繰りかえしていて、数千年前の縄文時代には、東京湾の海水は低地では50km近くも内陸に入りこんでいた。温暖で食べ物に恵まれた豊かな時代だったようだ。だとすれば、困るのは、そういう変化を知らずに、あるいは無視して作った人工物に及ぶ被害ということだろう。大きな地震が怖いのは、そこにさまざまな人工物があり。多くの人が住んでいるからで、そうでなければ、被害ははるかに小さくてすむ。
・僕は一方では、こういう知識のほとんどをテレビをきっかけにして学んでいる。けれども、そのテレビが、それらの知識とは矛盾する情報や話題を繰りかえし提供して、根本的な問題から目をそらせている。最近のエコ番組を見て思うのは、まずそんな能天気さに対する呆れだが、実はそれはテレビが独自にもつ性格なのではなく、現代の社会がよってたつ仕組みそのもので、それを思うと、もう諦めるしないのかな、と思ってしまう。人類なんて滅んだっていい。何か生き物が生き延びれば、また別の地球環境が出来上がる。最近、そんなSFのような世界に強いリアリティを感じてしまう。