・いよいよ衆議院選挙がはじまる。もう間近だと言われてから、2年近くにもなるが、その間に国内はもちろん、世界の状況もずいぶん変わった。日本の首相もころころ変わったが、選挙での訴えやマニフェストを斜め読みしても、相変わらずといった印象が強い。だから、政治家に何かを希望したりする気もまったく起こらない。人里離れた所に住んでいるから、選挙運動の声がうるさいということもほとんどないだろう。興味がないと無視してしまうのは楽なのだが、そうすればするだけ、そのダメさ加減に腹が立ってくる。
・各党の党首達は当然、全国を飛びまわって、街頭演説をくり返している。その様子を伝えるテレビのニュースを見ていて気になるのは、何を訴えているのかではなく、どう訴えているかという、その口調にある。「国民の皆様」「ご理解願いたい」「ご支持をよろしくお願いいたします」といった言い方を聞いていて思うのは、それは政治家の口調ではなく、商人が客に対する話し方じゃないの?という疑問だ。一票ほしさに腰を低くしてお願いする。そんな気持ちばかりが目立つのである。
・人びとの支持の取りつけ方にはいろいろある。国民受けするパフォーマンスで人気を得た小泉元首相以来、政治家は国民のご機嫌伺いをいっそう気にするようになったようだ。「ポピュリズム」(大衆迎合主義)と呼ばれて、批判されるやり方だが、それを小泉ほどの演技力がない政治家がやると、票集めしか頭にない無能な政治家丸出しになってしまうから、何ともみっともなく見えてしまう。この国の財政はとっくに破綻していて、年金や健康保険などの社会保障もいつダメになるかといった現状なのに、マニフェストに並ぶ政策は、自民も民主も景気のいいばらまきばかりなのである。
・そんな国民への媚びへつらいの姿勢が目立つのは、自分の政治哲学を提示して、国民を説得しようという意思がないからだろう。広島と長崎の原爆の式典では、市長が口をそろえて、オバマ大統領の核廃絶の宣言に続き、それを推進する役割を果たそうと宣言した。ところが、それに声高に賛同する日本の政治家はほとんどいなかった。世界的な不況を乗り切る政策は同時にエネルギーや環境の問題と重ねあわせてやらなければならない。そんな「グリーン・ニューディール」の提案も、日本の政治家達には馬の耳に念仏でしかない。とにかく景気を回復させてというだけの自民党と、高速道路の無料化を目玉にする民主党の政策のどこに、環境やエネルギーの問題に対する危機感があるのだろうかと疑ってしまう。
・環境やエネルギーの問題に真剣に対処するためなら、今の生活レベルが下がってもいい。そう考える人の割合がかなりあるという調査結果があった。あるいは、社会保障を確かなものにして安心できるなら、消費税が上がっても仕方がないと考える人の割合も少なくないという。そういう国民の意識を自覚して、日本という井の中にとどまらず、世界を見据え、将来を見通した政策を提案できる政治家や政党の出現を期待したいのだが、選挙運動の流れを見る限りはそんな動きは皆無のようだ。