・「模倣」という行為は、得てして低い評価をされがちだ。コピーではなくオリジナル、偽物ではなく本物、ものまねではなくクリエイティブなものをというのが、一般的な発想だろう。しかし、人間にとってほとんどの能力は、まず「模倣」から始まるのも事実なのである。そしてその重要性は、さまざまな社会学者によって繰りかえし強調されてきた。
・たとえば、群集や公衆の分析で有名なタルドは、その『模倣の法則』のなかで、「模倣」が生殖に匹敵する社会的な反復作業だと指摘している。つまり、生殖が遺伝子情報の伝達であるように、「模倣」は社会や集団に記憶された情報の伝授だというのである。誰に習わなくても本能としてできることと、まねをし、学習をして身につけることの違いと考えたら、それは生物全般に共通した、生きるために必要なふたつの情報や能力だということはわかるだろう。そして、人間には、他の生物に比べて、圧倒的に、後天的に身につけなければならないものが多いのである。
・このことは、自分が誰であるかを確認する「アイデンティティ」ということばに注目したらよくわかる。それは何かに「同一化」することによって自分を確定させる行為であって、もともとあったものを見つけることではないのである。これはフロイトの「超自我」、G.H.ミードの「me」、そしてエリクソンの「アイデンティティ」などに共通した認識である。ただし、そうして自覚していく「私」という意識が、自分のからだ、とりわけ脳のなかのどこにあるのかということは、つい最近になるまでほとんど問題にされてこなかった。脳のどこかと考えることはあっても、それは何か神秘的な領分として、曖昧にされたままだったのである。
・ところが、最近の脳科学のめざましい進歩が、人間の意識や能力について、脳のどこの部分のどんな働きによっておこなわれ、制御されているのか、といったことが明確になりつつある。脳のなかで情報の処理と伝達をおこなう組織は「ニューロン」と呼ばれる「神経細胞」である。その動きは、具体的には電気と化学物質によっておこなわれるから、さまざまな実験をして、その動きを突きとめれば、何をした時に脳のどの部分でどんな働きが起こるのかがわかるのである。
・「ミラーニューロン」は別名、「ものまねニューロン」と呼ばれている。他者が何かをしている時に、それを見るという行為のなかで、脳が反応する部分は、同じことを自分がする時にも同様の反応をする。それはたとえば、何かを手に持つという行為や、何かを食べるという行為など、ありとあらゆることに及ぶものである。しかも、同様の反応は猿などにも見られるが、人間は比較にならないほど強く複雑であるようだ。もっとも、発見のきっかけになったのは猿を実験した時の思わぬ結果からだった。
・「ミラーニューロン」を発見したのは、『ミラーニューロン』の著者であるイタリアのパロマ大学に所属する、ジャコモ・リゾラッティとコラド・シニガリアを中心としたチームである。もう一冊の『ミラーニューロンの発見』はアメリカのUCLAに所属するマルコ・イアコボーニが書いている。その発見の当事者たちと、研究仲間という違いがあるが、二冊の本に書かれていることはよく似ている。
・「ミラーニューロン」は人間という生き物に特に顕著に見られる脳の組織で、「模倣」という行為に大きく関連したものである。ということは、「模倣」は常識的に考えられているように低級な行為ではなく、きわめて高度な能力なのだということになる。だからこの本を読んでの教訓は、けっして「模倣」を馬鹿にしてはいけないということだろう。人間のクリエイティブな能力は、「模倣」によって獲得した土台があってはじめて発揮されるものである。そうであれば、オリジナリティへの評価は、もっと相対化して考える必要がある。