Chris Rojek "leisure Theory" 2005, palgrave
"The Labour of Leisure" 2010, Sage
・来年度の後期に研究室に集まる人たちを中心にして「レジャー・スタディーズとツーリズム」というタイトルの特別企画講義をやることにしている。その準備のために、レジャーについて、改めて勉強し直すことにした。今年は校務に追われて、仕事らしい仕事は何もしていない。そろそろはじめなければ、錆が出てきてしまう。で、以前に翻訳をしたクリス・ロジェクの本を何冊か読んだ。
・レジャーは余暇と訳されてきた。この領域を研究する学会も日本では「余暇」と名がついている。なぜ余った暇なのかというと、それは寝ることや食べること、そして何より働くといった、必ずやらなければならないことのほかに生まれる余剰の時間だからである。したがって「レジャー=余暇」というとらえ方には、「仕事に特権を与え、レジャーをそれに付随する変数とする」前提がある。
・とは言え、レジャーそのものに注目すれば、そこには個人を豊かにすることや、快楽のために意識的に使われる時間として探究できる材料はいくらでもある。レジャーは、その語源からして何より自由なもの、自発的なものであり、お金を気にせずに時間を自由に使える人は有閑階級(leisure class)と呼ばれて、大衆からは羨望のまなざしを受ける存在だった。彼や彼女たちが暇な時間にするさまざまな遊びやスポーツ、その時身につける衣服や道具が、大衆消費社会になるとファッションや娯楽の産業として発展していった。
・ロジェクはさらに「レジャー」の中には、人びとの協同や相互理解、あるいは心身の健康や幸福観といった社会的に定義された目標を達成する機能的な活動が含まれると言う。レジャーはこれらを統合して分析する必要のある、きわめて今日的な研究テーマだというのがこの本の基本的な視点で、そのために彼が提示するのは「行為分析」という概念である。
行為へのアプローチはレジャーを単に自発的な行為の蓄積としてみなさない。反対に、レジャーは、行為者をレジャー実践の決定論的な軌道に位置づける文化的、経済的、そして社会的強制力として分析される。この軌道はまた、行為者を差別化する。ここから、レジャーの軌道は個人の本質的な満足の追求という私的な投資を示唆するだけに留まらず、個人を階級、文化、ジェンダー、人種、宗教、そして地位基準に分類するのである。
・「レジャー」という行為は快楽や感動を経験し、教養を身につけ、心身を健康にし、豊かな人間関係を作り、維持することを目的にする。ロジェクはもう一冊の本では、それによって得られるものを「感情知性」(emotional inteligence)と名づけ、それが「感情労働」(emotional labour)と呼ばれる仕事と大きく関連していることを指摘する。彼によれば、「感情知性」とは、私たちが出会う多様な社会的、文化的、そして経済的状況のなかで、私たちが有能で信頼がおけて適切にふるまう人として認められるために必要な「衆人知」(people knowledge)と技術にほかならない。
・レジャーの多くは商業化し、産業化している。だからレジャーの形式と実践は「コード化」され、多様なやり方で表象されている。ロジェクはレジャーを表象のシステムとして考察し、それを富や権力、つまり経済資本、文化資本、そして社会関係資本との関係で読み解く必要があると言う。なるほどと思ったが、急ぎ足で読んでポイントだけつかむような読み方だったから、講義が始まる前にもう一回、きっちり読まなければ、とも思った。講義のためにはもうひとつの課題である「ツーリズム」についても勉強しなければならないが、ロジェクはこの分野でも編著を出している。