2011年11月21日月曜日

レジャー・スタディーズとは?

 

Chris Rojek "leisure Theory" 2005, palgrave
"The Labour of Leisure" 2010, Sage

・来年度の後期に研究室に集まる人たちを中心にして「レジャー・スタディーズとツーリズム」というタイトルの特別企画講義をやることにしている。その準備のために、レジャーについて、改めて勉強し直すことにした。今年は校務に追われて、仕事らしい仕事は何もしていない。そろそろはじめなければ、錆が出てきてしまう。で、以前に翻訳をしたクリス・ロジェクの本を何冊か読んだ。


leisure1.jpg ・レジャーは余暇と訳されてきた。この領域を研究する学会も日本では「余暇」と名がついている。なぜ余った暇なのかというと、それは寝ることや食べること、そして何より働くといった、必ずやらなければならないことのほかに生まれる余剰の時間だからである。したがって「レジャー=余暇」というとらえ方には、「仕事に特権を与え、レジャーをそれに付随する変数とする」前提がある。

・とは言え、レジャーそのものに注目すれば、そこには個人を豊かにすることや、快楽のために意識的に使われる時間として探究できる材料はいくらでもある。レジャーは、その語源からして何より自由なもの、自発的なものであり、お金を気にせずに時間を自由に使える人は有閑階級(leisure class)と呼ばれて、大衆からは羨望のまなざしを受ける存在だった。彼や彼女たちが暇な時間にするさまざまな遊びやスポーツ、その時身につける衣服や道具が、大衆消費社会になるとファッションや娯楽の産業として発展していった。

・ロジェクはさらに「レジャー」の中には、人びとの協同や相互理解、あるいは心身の健康や幸福観といった社会的に定義された目標を達成する機能的な活動が含まれると言う。レジャーはこれらを統合して分析する必要のある、きわめて今日的な研究テーマだというのがこの本の基本的な視点で、そのために彼が提示するのは「行為分析」という概念である。

行為へのアプローチはレジャーを単に自発的な行為の蓄積としてみなさない。反対に、レジャーは、行為者をレジャー実践の決定論的な軌道に位置づける文化的、経済的、そして社会的強制力として分析される。この軌道はまた、行為者を差別化する。ここから、レジャーの軌道は個人の本質的な満足の追求という私的な投資を示唆するだけに留まらず、個人を階級、文化、ジェンダー、人種、宗教、そして地位基準に分類するのである。

leisure2.jpg ・「レジャー」という行為は快楽や感動を経験し、教養を身につけ、心身を健康にし、豊かな人間関係を作り、維持することを目的にする。ロジェクはもう一冊の本では、それによって得られるものを「感情知性」(emotional inteligence)と名づけ、それが「感情労働」(emotional labour)と呼ばれる仕事と大きく関連していることを指摘する。彼によれば、「感情知性」とは、私たちが出会う多様な社会的、文化的、そして経済的状況のなかで、私たちが有能で信頼がおけて適切にふるまう人として認められるために必要な「衆人知」(people knowledge)と技術にほかならない。

・レジャーの多くは商業化し、産業化している。だからレジャーの形式と実践は「コード化」され、多様なやり方で表象されている。ロジェクはレジャーを表象のシステムとして考察し、それを富や権力、つまり経済資本、文化資本、そして社会関係資本との関係で読み解く必要があると言う。なるほどと思ったが、急ぎ足で読んでポイントだけつかむような読み方だったから、講義が始まる前にもう一回、きっちり読まなければ、とも思った。講義のためにはもうひとつの課題である「ツーリズム」についても勉強しなければならないが、ロジェクはこの分野でも編著を出している。

2011年11月14日月曜日

紅葉を探しに

 

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・今年は秋の深まりが遅い。いつまでも暖かい日が続くから、山の色づきも鈍かった。忙しかった前期と違って、後期は土日に出校することも少なかったので、月曜日は山歩きにしようと決めた。 で、10月の後半から近くの山に出かけることにした。陣馬山は高尾山の西にある。八王子から藤野や上野原に抜ける旧甲州街道の和田峠まで車で行き、そこから歩いた。標高は857mで登ったのもたいしたことはなかったのだが、久しぶりの山歩きで、途中から腿やふくらはぎが痛くなった。当然だが周囲の紅葉はまだまだだった。jinbayama.jpg
mizugaki1.jpg ・翌週は山梨と長野の県境にある瑞牆山(みずがき)へ行った。花崗岩の山が浸食されて、奇岩や巨岩がたくさんある。以前から行こうと思っていた山だ。2230mと高いから、こちらは麓が紅葉真っ盛りだった。先週からの筋肉痛が直っていなかったので、頂上まで登らずに、不動滝で引き返した。乗り換えたばかりの車で川上村から秩父にぬける林道を走ったが、予想以上の悪路だった。
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・11月になって出かけたのは陣馬山から相模湖をはさんで南にある石老山(せきろうさん)。ここも奇岩や巨岩がある山で、岩の一つ一つに名前があり、謂われがあった。ここは杉や檜の森で、紅葉は一部しかなかったが、二カ所ある見晴台からは眼下に相模湖がよく見えたし、山頂からは丹沢の山並みが一望できた。さて、次はどこに登ろうか。sekirosan1.jpg

2011年11月7日月曜日

BSがおもしろくなくなった

・地デジ化されて3ヶ月が経った。アナログ波がとまって、ザラザラ画面とは言え見えていたチャンネルの多くが見えなくなった。自治体にかけ合ってBS経由で地デジが見られるようになったが、それは山梨県で視聴可能なNHK2局と民放2局に制限されている。すでに書いたように、これは、見えるのにわざわざスクランブルをかけて見えないようにする総務省の方針のためである。地元放送局の保護と、全部見たければ地元のケーブルテレビと契約をせよ、というケーブル普及を意図した露骨な戦略で、新聞もテレビも自分の保持する既得権の問題だから、どこも何も言わないのである。

・BSだから、どのチャンネルも今までとは比べものにならないほど鮮明になったが、以前より見る気になったのはNHKの教育テレビぐらいだ。BSで見られる民放の地上波はNTVとTBSだが、きれいな画面になってもCMの多さばかりが気になってしまう。CMと言えば、BSでも民放チャンネルはCMが多くなった。地デジ化で視聴者が増えたためだろうが、CM が少ないからこそ、BSを見ていたのに、うんざりしてしまう。

・それに、昼と言わず夜と言わず、どのチャンネルでも韓流ドラマばかりやるようになった。たまたま見たライブドアのサイトに「地上波では4つの放送局が6作品を、衛星放送では7つの放送局が29作品を放映中」という記事を見かけたが、この数は半端ではない。デモをして反対することでもないが、自前で制作のできない局がいくつもチャンネルをもつのは、電波の無駄遣い以外の何ものでもないだろう。デジタル化によってあいた電波域はテレビではなく、通信に使うべきなのに、テレビ局は既得権を主張して、電波枠を手放さないようだ。

・10月の末からBSに新しいチャンネルができた、有料放送で最初は無料で見ることができたが、スカパーやスポーツ、そして競馬などのチャンネルで、CSとも光とも重なり合うものばかりだから、当然、新たに契約したいものはなかった。そもそも、光テレビと契約したときに、基本契約のチャンネルのなかに映画専門の局がいくつもあったから、BSのWowowも解除したのだった。

・NHKのBSは3局から2局に減った。その分番組を強力にするような前宣伝だったが、見たいと思わせる番組が減ったことは確かだ。世界中の山にアタックする「グレイト・サミッツ」など、確かにお金と時間をかけて作ったものもあるが、バラエティ形式の番組やタレントを使う番組が増えて、テーマに興味があっても途中で見るのをやめてしまうことも少なくなかった。

・と、文句ばかり書いてきたが、テレビをますますつまらないと思うようになった最大の理由はiPadがおもしろくて、今までテレビを見ていた食後の時間に、ほとんどiPadばかりをやるようになったからだ。ただで手に入るゲームがたくさんあるし、テレビ番組だって、少し立てばYouTubeなどで見ることができる。スマートフォンやタブレットの普及はものすごいスピードだから、テレビが斜陽になって取り返しがつかないほどに落ち込むのも、そう遠いことではないのかもしれないと思っている。

2011年10月31日月曜日

最近買ったCD

Tom Waits "Bad As Me"
Neil Young "A Treasure"
Ry Cooder "Pull Up Some Dust and Sit Down"
Patti Smith "Outside Society"
Gustavo Santaolalla "21 Grams" "Brokeback Mountain""The Motorcycle Diaries"

・最近買ったCDはあまりないのではと思っていたが、トム・ウェイツの新しいアルバムを買ったのを機会にiTunesを調べてみたら、意外に何枚も並んでいた。車に乗っているときにはiPodをつけているから、買ったままで聴いていないというわけではないのだが、CDを聴くことがなくなったから、一枚のアルバムについての印象がすごく薄くなった。

tom1.jpg・トム・ウェイツの"Bad As Me"はハードカバーの冊子で、各曲の歌詞が見開き2ページごとに書かれ、写真が載ったものだ。簡易のアルバムもあるが、興味があったから買ってみた。ボーナストラックが一枚余計について、3曲がおさめられている。iTunesで好きな音楽だけダウンロードといった時代だからこそなのだろうか。歌詞を見ながら歌を聴く。歌詞はパソコンではなくタイプライターで打たれたものだ。


仕事を見つけろ 金を貯めろ ジェーンに聞いてみな
雨の日には傘の値段があがるってことは誰もが知っているから
で、どんなニュースもひどいもんだ "Talking at the sametme"

young10.jpg ・ニール・ヤングは次から次へとアルバムを出している。しかし買ったのは久しぶりだ。"A Treasure"は昔のライブ録音で、Tシャツつきのものもあるようだが、こちらは一番安い輸入版にした。反戦歌ばかりのアルバムを出したかと思うと、妙に商売っ気を感じさせたりと、最近はあまり手を出す気がしなかったが、評判がいいので買うことにした。80年代のもので知らない曲が多い。なかなかいいが、題名の「お宝」といえるほどの価値があるとは思えない。

ry7.jpg ・精力的にアルバムを出すと言えばライ・クーダーも一緒だ。しかし、彼が出すアルバムはどれもテーマがはっきりしていて、しかも相互に繋がりや一貫性がある。アメリカの音楽のルーツを訪ね、発掘する作業には、必ずマイノリティの視点が強くある。最初は彼のギターに惚れてファンになったのだが、最近のアルバムで発表される歌は、どれも歌詞がいい。"Pull Up Some Dust and Sit Down"に出てくるのはいじめられる移民、貧富の差の拡大、中東での終わりなき戦い、そして銀行ばかりを救済する政府に対する怒りや辛辣な怒りだが、どれもストーリーとして語られるから、訴えがシーンとして浮かびあがってくる。


かわいい子どもが徴兵されたと言った
列車が次の朝やってきて
俺は立ってバイバイと言うほかなかった "Baby join the army"

patti5.jpg ・パティ・スミスのアルバム"Outside Society"はソウルの町で見かけた。てっきり新曲ばかりと思ったのだが、シングル盤で出たヒット曲を集めたベスト盤だった。全曲リマスターだということだが、すでに持っているものとの微妙な違いに耳を傾ける趣味はないから、あまり聴いていない。ただ、すべての曲について、パティ自身がコメントをつけていて、それはそれでおもしろい。そう言えば、ここで紹介するほとんどアルバムはLPレコードでも売り出されている。デジタル化で形のあるものが不要になる時代に異を唱える人が増えているということなのだろうか。

21g..jpg ・グスタヴォ・サンタオラーラの"21 Grams"は映画のサントラ盤である。21グラムは心臓の重さで、心臓移植を巡る人間模様がテーマの映画だが、僕は画面を見ずに音だけ聴いていたから、かえって音楽が気になり、気に入って買ってしまった。サンタオーラが誰なのかもわからなかったのだが、彼はアカデミー賞を取った"Brokeback Mountain"の音楽も担当している。1951年生まれのアルゼンチン人で、チャランゴの名手だと言われている。チェ・ゲバラの南米旅行記を映画化した"The Motorcycle Diaries"のなかに、「ウスアイアからラ・キアカへ」という題名のチャランゴのソロ演奏曲がある。気に入ってYouTubeで検索すると、彼のライブ演奏を聴くことができた。もちろん、映画のシーンをかぶせたビデオもある。知らない人がまだまだいる。改めてそう思った。

2011年10月24日月曜日

放射能と食べ物

・食料などの買い物は毎週一回、行きつけのスーパーと地元の野菜を売る店に出かけている。食べ物については我が家(主にパートナー)は自覚的で、ずいぶん前から、生産地や成分表等を確かめて買うことをやってきた。野菜は地産地消が一番だし、季節外れのものはなるべく買わない。こんな原則だから、海外で生産された野菜や果物は滅多に買うことはないし、温室育ちの季節外れの野菜もあまり食べなかった。幸い、山梨県にはおいしい米や牛乳、そして卵などが何種類もある。山国だが、隣の静岡県からは魚も来る。だからスーパーに並んでいる品物のなかから、なるべく地元や周辺のものを選ぶことはそれほど難しいことではなかった。

・とは言え、すべてを地産地消でというわけにはいかないから、生鮮食料品にしても、穀物にしても、全国各地のものを買って食べることはやってきた。大手メーカーのものであっても必ず成分表には目を通して、添加物の少ないもの、原料が国内産であるものを選んだりもしてきた。だから、買い物にはいつでもかなりの時間がかかった。時においしそうなものならそんなこと気にせずに買おうという僕と、添加物が気になるからダメというパートナーとの間で口論になることもあったが、大筋では大体の基準ができていた。

・そんな日常のルーティン(おきまり)が原発事故以降混乱するようになった。放射能はほうれん草等の葉物とキノコ類に吸収されやすい。海産物では海苔や海草類、貝、そして小魚類が危ない。そんなニュースが次々出て、新茶の時期には神奈川、そして静岡からも検出された。当然、福島県はもちろん、栃木や群馬、茨城、そして千葉で生産される農産物や太平洋岸でとれる海産物が買い控えされるようになった。政府はそれを風評被害として安全性をくり返したが、放射能の検出作業は万全と言うにはほど遠い状況だし、安全基準を引き上げたり戻したりと場当たり的だから、実際のところ信用できないというのが大方の人の感覚だろう。

・放射能の被害は内部被爆が深刻で、その多くは食べ物や飲み物から吸収される。ただし、気をつけなければならない程度は年齢に反比例して、幼い子どもや妊娠中の女性に対する影響が強いという。50歳を過ぎたらそれほど怖がる必要はないと言われているから、60を過ぎた僕は、あまり気にする必要はないのかもしれない。と言うより、福島を中心にした農業や漁業を衰退させないために、60歳を過ぎた人は積極的に、その地のものを食べる義務があると言う人もいる。京大の小出裕章さんだ。確かにそうかもしれないと思う。

・食物に含まれている放射能をきちんとはかって、個々の品物に18禁とか30禁、そして50禁、60禁と細かく表示をする。それができるだけ危険を少なくして、福島周辺の農業や漁業をダメにしないようする唯一のやり方だとすれば、そのことは、政府が大原則として政策にして、国民に理解されるよう説明をする必要がある。そこには当然、原発政策や、東電の扱いについて、国民の立場に立った政策が伴わなければならない。

・ところが、野田首相の政策が目指しているのは、原発の再稼働と東電の生き残りで、この点については自民党も変わらない。除染をして避難地域に住民が戻れるようにするといった実現できそうもない話をする一方で、食べ物については、ご都合主義の基準値を設定して、安全であるかのように思わせて消費させてしまおうとしている。安全ですと言っておいて、5年、10年経って被害が現実化したときには、やっぱり「想定外でした」などと言うつもりなのだろう。

・東京のスーパーで買い物をすると、野菜はやっぱり、福島や関東一円を産地にしたものが多い。たぶん安全だろうと思っているのかもしれないが、不安に感じながら、仕方なく買って食べている人も多いのだと思う。そこに感じる空気は、はっきりさせずに曖昧にして、その曖昧さに異議を唱えることをしない風潮だ。放射能は目に見えないし、その被害もはっきりとしているわけではない。だからこそ、はっきりした方針と基準を出して、国民を納得させて信頼関係を築く必要があるのに、政府の姿勢はずっと、ないふりをするか曖昧にお茶を濁すばかりである。

2011年10月17日月曜日

福島についての2冊の本

 

福島についての2冊の本

開沼博『「福島」論』(青土社)
佐藤栄佐久『福島原発の真実』 (平凡社新書)

・僕にとって福島は、縁のある土地だった。義母のいるいわき市には毎年のように夏休みに出かけたし、子どもと一緒に海水浴をしたり、ハイキングをした。その義母が亡くなって今年で七回忌になる。ほかに知りあいはいないので縁遠くなっていたが、大地震が原因の原発事故が起きた。だから、津波の被害はもちろん、放射能の汚染が引き起こした問題には、人ごとではない気がして、ずっと関心を持ちつづけている。

fukusima1.jpg・僕がよく訪れていた頃の福島県知事は佐藤栄佐久で、1988年から知事を務めて2006年に収賄容疑で逮捕されて辞職している。僕は誰が知事なのかも関心がなかったのだが、原発事故の後に、彼がトラブルを隠す東電を批判して、プルサーマル計画にずっと反対してきたことを知った。収賄容疑は二審でも有罪の判決が出たが、一体何が罪なのかわからない内容で、原発政策を勧める上で邪魔な知事を辞めさせるための策略だったことは明白のようだ。その点を含め、『福島原発の真実』 には、知事就任以来、原発に対してとってきた方針と政府や東電とのやりとりが詳細に語られている。

・佐藤知事は自民党の参議院議員からの転職で、最初は中央とのパイプを持った知事として仕事をした。原発についても、福島の経済を活性化させるために必要なものという姿勢をとってきた。それを反転させたのは2000年のことだ。それ以後知事は福島県のことだけではなく、原発をかかえる他県の知事をリードして、その危険性を訴え、トラブル隠しをする電力会社を批判し続けてきた。

fukusima2.jpg・福島県に原発ができたのには、ここがかつて常磐炭鉱という石炭の生産地をかかえていて、閉山後の経済の落ち込みからの脱却を願っていたことがある。あるいは、福島県には多くの水力発電所があるが、それらは20世紀の初頭から、主に東京への電力供給のために作られてきたこともある。そして、事故を起こした福島原発の地は、終戦直後に堤康次郎が広大な土地の払い下げを受けて塩田事業をした跡地に作られたものである。

・開沼博の『「フクシマ」論』は現役の大学院生が修士論文として書いたものである。そのメインテーマは副題にある「原子力村はなぜ生まれたのか」で、大地震と原発事故が起こる直前に書き上げられている。まるで事故の予言書であるかのようにして一時期話題になったが、内容はあくまで「原子力村」にある。それは一般的には政治家、官僚、電力会社、原発関連企業、マスメディア、そして大学研究者たちによって構成された閉じた組織のことを指すことばだが、この本ではむしろ、現実に原発のある地で暮らす人びとと県や市や町、そして村の政治家や役人、そして建設や土木工事などの地元企業が住人となる「村」に焦点が当てられている。

 

・中央にあって「世界有数の原子力技術の確立」を望み、その卓越性を誇示し、安全神話を作りあげてきた「ムラ」と、経済成長から取り残され、過疎化する地域の維持や発展のために原発の設置を容認した「ムラ」は、共に原子力に大きな「夢を見ていた」ことでは共通している。そして両者が抱いた「どちらの夢も幻想であったことが、時間の経過とともにますます明らかになってきた」。にもかかわらず、どちらも、その夢を捨てることができなかった。


・それは、一方では、地方の「反中央」であるゆえの自発的な服従の形成のなかから、他方では、貧しいムラの「都会」への欲望のなかから可能になった。その生産により、原子力ムラはaddictionalな自己の再生産をはじめることになった。そして、ちょうど同じ時期に、中央の原子力に関わる各アクターも閉鎖性・硬直性をもった<原子力ムラ>と呼べる集団を確立する。結果としてこの二つの原子力ムラが、原子力推進に抵抗する勢力もうまくからめとる形で、現在の「原子力推進体制」を確立する共鳴をはじめたのだった。(p.298)

・鋭い指摘だと思う。しかし、一見新しいもの、先端的なことに関わることが、前近代的なムラ組織によって支えられるという構造は、たとえば新聞とテレビが一体となった電波村にもあてはまるし、企業や学校、そして地域といったさまざまな集団の中にも容易に見ることができる、きわめて日本的な特徴である。ここまで危険性が露呈された原発をストップさせることがなぜできないのか、という当たり前の疑問に対する答えは、たぶん「ムラ」のなかにある。このような仕組みをあらためるのは、放射能に汚染された土地を除染するのと同じぐらい難しいことなのかもしれないと思う。
 

2011年10月10日月曜日

マックとの出会い

 

・アップル創業者のスティーブ・ジョブズが死んだ。iMac、iPod、iPhone、そしてiPadと立て続けに大ヒット作を出して、まさに絶頂期でのおさらばだ。新商品はほぼ出尽くした感があるから、アップルはこれから厳しい時代を迎えることになるのでは、と思う。そのことは、ジョブズが元気でいたとしても変わらないことかもしれない。

・ぼくはアップルの製品をiPhone以外すべて持っている。iPadはテレビを見る気をなくしたほどにおもしろいし、iPodは車の運転に欠かせない。そしてもちろん、マッキントッシュは仕事の必需品で、家と研究室に一台ずつと、持ち運び用に一台使っている。講義も2年前からKeynoteでやるようになった。

macse30.jpg・あらためて、今まで何台買ったか思い出してみたがよくわからない。おそらく10台は越えているだろうと思う。最初の一台はマッキントッシュSE30で、購入したのは1989年だった。まだ日本では販売されていなくて、大阪の日本橋にあるマッキントッシュを並行輸入する店で手に入れた。本体だけで90万円もして、その他に日本語のフォント、EGワードやページメーカーといったソフト、それにスキャナーとプリンターを合わせると150万円近くの出費になった。新車を買うのと同じほどのお金を投じて、一体何をやろうとするのか。そう思われても仕方のない投資だったが、その後の僕の時間の過ごし方は一変した。

・文章を書くのではなくワープロでタイプしはじめたのはその4,5年前からで、日本ではパソコンよりはワープロ専用機が家電メーカーからそれぞれ販売されていた。手書きからタイプ入力への変化は文章を書く際にはもちろん、読書ノートをつけることや、それをカードで整理することなど、さまざまに渡っていて、知的作業の一大変革がやってきたことを実感させたが、AppleのMacintoshについて書かれた記事を読んだときには、その製品以上に、それが生まれる歴史に驚かされた。

・スティーブ・ジョブズは社名のアップルをビートルズにちなんでつけている。パソコンを誕生させたアメリカのコンピュータ文化は、対抗文化が沈静化した後にサンフランシスコの郊外で生まれている。国や大企業が独占する大型コンピュータに対抗して、個人が自由な表現活動や情報のやりとりに使う道具を作る。パーソナルなコンピュータとは、まさにそんな意味でつけられた名前だった。

・現在のパソコンの原型となったのは1977年に登場したApple IIである。しかし、その後のコンピュータ社会の発展をリードしたのは、1981年にIBMが出し、マイクロソフトのMS-DOSをOSにしたPCだった。Apple社が1984年に発売したマッキントッシュには、オフィスワークの道具として位置づけられたPCを批判した60年代の対抗文化の気風が取りこまれた。僕が魅了されたのは何よりそこにあったが、その魅力はまた、パソコンとしては多くても一割程度のシェアしか持てない限界にもなった。

・スティーブ・ジョブズはマッキントッシュが発売された翌年にApple社をやめている。Apple社としての独自性を維持することとIBMPCに対抗する機能を備えること。マッキントッシュには、そんな二面性が課せられたが、ワープロと表計算が使えれば十分という風潮に風穴を開けたのは、ジョブズがApple社に復帰した後に発売したiMac(1988)だった。ジョブズは続けて、iPod、iPhoneと大ヒット作を連発したが、それを可能にしたのは、1995年から本格化したインターネットの急速な発展と映像や音のデジタル化が、多くの人に表現や通信の手段としての道具に関心を向けさせたことにある。

・そんな意味で、ジョブズが実現させた世界は、60年代の対抗文化の日常化だったと言えなくもない。しかしそれはまた、モノについても時間についても新たな浪費を生みだし、それに囚われてしまう生活の現実化でもある。マッキントッシュと出会って、できることがたくさん生まれた。しかし反面で、何もしないで過ごすことに充実感を持たせることがきわめて難しくなったことも間違いない。もうこれ以上の道具は必要ないという気になっているから、僕にはジョブズの死を惜しむ気持ちは起こらない。