2012年2月20日月曜日

上野千鶴子『ケアの社会学』太田出版

 

journal1-150.jpg・ケアということばが介護の意味に使われるようになったのはそれほど昔のことではない。英語としては「気遣う」「気をつける」といった意味で日常的に使われることばだし、「世話をする」という場合でも、老人に限らず乳幼児や障害者に対しても使われている。もちろん、このことばは他者に対してだけでなく、自分にも向けられるものである。この本は、そんな多義的なことばが老人の介護だけに限定して使われるようになった傾向に異議を唱えるところから書き始められている。ここで使われる「ケア」の定義は、次のようなものである。


依存的な存在である成人または子どもの身体的かつ情緒的な要求を、それが担われ、遂行される規範的・経済的・社会的枠組みのもとにおいて、満たすことに関わる行為と関係。(p.39)

・この簡潔な定義はメアリ・デイリーのものだが、著者はそこに込められた意味が重要だという。つまり、「成人または子ども」としたことで「介護、介助、看護、そして育児までの範囲」が含まれるし、「身体的かつ情緒的」としたことで「ケアの持つ「世話と配慮の両面」がカバーされる。「規範的・経済的・社会的枠組みのもと」で満たされる「ケア」という行為には「ジェンダー」「人種」そして「階級」の問題が入りこむし、「ケア」の規範それ自体を「社会的文脈」の変数にして「規範」を脱構築することができる。そして何より「ケア」は相互作用的な「関係」である。この本は2段組で500頁を超える大著だが、著者の主張は、このケアの定義とその解釈のなかにほとんどすべて込められていると言っていい。

・高齢者を基本にした介護保険制度が日本で施工されたのは2000年だった。「高齢者人口比7%以上の社会を『高齢化社会』、14%以上の社会を『高齢社会』と呼ぶが、それにしたがえば、日本は1970年に『高齢化社会』に突入し、1994年に『高齢社会』の段階に入った。」(p.106)恍惚の人、寝たきり老人、痴呆性老人といったことばが流行し、高齢社会の問題が現実化してからすでに20年もたつとも言えるし、わずか20年ばかりしかたっていないとも言える。いずれにしても、僕にとっては社会問題としては大きいとは感じられても、個人的にはほとんど他人事の異世界の話だった。

・『ケアの社会学』は、その前半が「ケアとは何か」「ケアとは何であるべきか」「当事者とは誰か」「ケアに根拠はあるか」「家族介護は『自然』か」「ケアとはどんな労働か」「ケアされるとはどんな経験か」「『よいケア』とは何か」といった章が続き、後半は官民協私の福祉の歴史を詳細にたどり、現状のフィールドワークを生協の取り組みを評価的に扱いながらおこなっている。

・僕は一昨年の夏に、80代の後半になって体調を急に悪化させた父親のことで、ケアの問題に唐突に直面させられることになった。介護保険の仕組みを勉強し、介護施設を訪ね、ショート・ステイを手配などしたのだが、介護される父、介護する母、そして弟や妹を含めて、子どもとしてどのように、どこまで対応する必要があるのかなど、いろいろ話し合い、時には怒鳴りあいの喧嘩にまでなることを何度か経験した。

・僕はこんな事態になるまで、そうなったらどうするかと言うことについて、ほとんど考えたこともなかったが、それは当の両親も同じだった。母に全面的に頼ることを自明視する父と、子どもの支えを当てにする母という構図は、家族介護を自然とする規範そのものだが、高齢者の母一人でできることでないこと、それぞれに家を離れて自立している子どもたちにとっても、できることには限度があることは明らかだった。だからこその「介護保険」を十分に活用すること、必要なら介護施設に入ってもらうことなどを説明し説得をしたのだが、それを理解し納得してもらうことはきわめて難しかった。

・介護責任は家族が担うべきであるという「規範」に対して、他人による「労働」としての「ケア」をどう組み込んでいくか。「ケアされる抵抗感」は本人だけでなく、家族にとってもあるものだが、その意識とどう対処していくか。施設を利用するとしたら、それは当人にとって、家族にとって、どのようなものが好ましいのか。そんなことに実際に悩まされる経験をしている者にとって、この本は全体から細部にわたって示唆的な記述に溢れている。もちろん、それだけでなく、福祉社会の現状と未来を考える上で的確なモデルを提供してくれてもいる。

2012年2月13日月曜日

アムネスティとボブ・ディラン

 "Chimes of Freedom"

journal2-126-1.jpg・「アムネスティ・インターナショナル」は「国際法に則って、死刑の廃止、人権擁護、難民救済など、良心の囚人を救済、支援する活動を行っている」NGO(非政府組織)である。その活動50周年を記念して、ボブ・ディランのトリビュート・アルバムが作られた。4枚組のアルバムには70曲を超える歌が収められている。歌っているのは80組以上のミュージシャンで、その多くはこの記念アルバムのために収録されたものだ。CDのほかにデジタル版もiTuneなどで配信され、そちらの方が3曲多いようだ。

・ジョニー・キャッシュで始まり、ディラン自身の"Chimes of Freedom"で終わるこのアルバムに参加しているのは、パティ・スミス、ピート・タウンゼント、スティング、マーク・ノップラー、ジャクソン・ブラウン、ジョーン・バエズ、カーリー・サイモン、シニード・オコーナー、クリス・クリストファーソン、ピート・シーガー、マリアンヌ・フェイスフル、ブライアン・フェリー、エルビス・コステロなど有名なミュージシャンのほかに、初めて聞いた名前の人やバンドが少なくない。誰もが皆ディランの曲をそれぞれにアレンジして歌い演奏していて、アルバム自体としても聴き応えがある。中でもとりわけ秀逸なのは95歳になるピート・シーガーがラップのように歌う"forever Young"だ。

・このアルバムの収益はもちろん、全額、アムネスティの活動に捧げられる。アムネスティの50年はディランの50年でもある。その関係の深さについて、アルバムには次のような文章が寄せられている。


アムネスティ・インターナショナル・ミッションとボブ・ディランの結びつきについては、何ら説明する必要のないほど明らかで自然なことのように思われます。半世紀の間アムネスティは、独裁的な権威に抗する個々の良心の尊厳という立場から、世界中の迫害され、投獄された人びとの基本的人権の保証を訴えてきました。同様に半世紀にわたってボブ・ディランの芸術は、人びとがおかれた現代の状態に対する苦悩と希望を模索し表現したものでした。

・このアルバムの題名にした"Chimes of Freedom"には「無数の混乱させられ、非難され、虐待され、だまされたり、もっと悪くされた者たちのために」鐘が鳴っていた、という歌詞がある。それはまさしくアムネスティの賛歌なのである。もちろん、アムネスティの主旨を表す曲はほかにもたくさんある。「風に吹かれて」「時代は変わる」、そして「アイ・シャル・ビー・リリースト」等々。その70数曲が納められているこのアルバムは、まさにこの半世紀の間に世界中で起きた迫害や抑圧に対する良心の声だと言っていい。

アムネスティ・インターナショナルのサイトには、現在実行中の活動として、シリアの反政府運動に対する残虐な攻撃と、それに抗議する国連決議案に拒否権を発動したロシアや中国、チベット人の抗議デモに対する中国政府の武力行使などへの批判のほかに、袴田事件の再審要求、ロシアの人権擁護活動家ナタリア・エステミロワ殺害の徹底的な捜査と犯人の処罰の訴え、シェル石油がナイジェリアで起こした原油流出事故とその被害、ノーベル平和賞を受賞したあとも投獄されたままの劉暁波、内戦が続くコロンビアで暴力や迫害を受ける人びとなどが数多く報告され、支援が求められている。

・このアルバムを聴きながらまず思うのは、アムネスティの活動やディランの表現にもかかわらず、世界は少しもいい方向には向かっていない、というよりは悪くなるばかりだという絶望やあきらめだ。しかしこういった訴えや活動がなければ、状況はもっとひどかったのも明らかだろう。その意味で、よりひどくなる状況を少しでもくい止めるためにする努力の必要性と、その志を持続させることの大切さを感じるアルバムであることは間違いない。

2012年2月6日月曜日

寒波と地震

 

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forest98-3.jpg ・この冬の寒さは厳しい。日本海側ほどではないが何度か雪も降った。その雪が消えずに凍っている。最低気温が-10度前後の日が続いて、河口湖も凍りついている。-15度までいったと新聞には載っていたから、河口湖に来て一番の寒さなのかもしれない。こうなると、汗をかき、手傷を負い、身体のふしぶしの痛さをこらえてやった薪割りのしがいがあったというものである。特に去年の暮れにストーブを新調して、大型のものにしたから、薪の消費量が一段と増えた。暖かいが、こんな寒さが続くと4月にはなくなってしまうのでは、と心配になってきた。

forest98-1.jpg ・薪は1年かけて乾かさなければならない。だから、薪ストーブを使い始めると同時に翌年の薪を割り始める。11月に購入した3立米の原木は、正月休みが終わる頃にはほとんど割って、ご覧のように積み上げた。上にトタンをかぶせて、なかなかいいと、自画自賛。それではと追加の3立米を頼んだら、運んでもらう日の前日に雪が降ってしまった。こうなると、原木を運んでもらうのは雪が溶けるまで待たなければならない。雪はまだ先のことと高をくくっていたのが何とも悔やまれる。

・東京都心で久々に積雪のあった日に、たまたま大手町で「大学と企業の懇談会」があった。中央道は雪で横転した大型トラックの事故処理に手こずって明け方から昼過ぎまで通行止めが続いた。仕方なしに出かけて相模原で降りたが甲州街道が大渋滞で八王子までの大垂水峠を越えるのに3時間もかかってしまった。間に合わないと思ったが、首都高速はがらがらで八王子から霞ヶ関まで40分弱で到着した。

forest98-4.jpg・大学は授業が終わって定期試験期間中だったが、いくつもの会議の間に副査をやった博士論文の面接が2件あって、ここ2週間は特に忙しかった。地震はその間の休みの日の朝にやってきた。そのときの様子については前回の「うわー、地震だ!」に書いたが、ネットには富士山の噴火や大地震と関連させる記事がたくさんあった。噴火するにせよ、崩壊するにせよ、今ある富士の形は一時的なものでしかない。ただし、この一時は数百年かもしれないし、数千年ということもある。そう思うと、今の富士の形にいとおしさを感じたりもするようになる。

・大学では、今週入学試験が行われる。僕は地方入試の業務で松本に出かける。天気予報は雪。さて何時に出発するか。道草など食わずにまっすぐ行くことにしよう。

2012年1月30日月曜日

うわー、地震だ!

・28日の朝、メールのチェックなどをしていると、突き上げるような強い地震が襲ってきた。時間が短かったから直下型だと思ったが、案の定、きわめて震源は近かった。揺れはその後、もっと強いのが数分後にきて、さらに数回続いた。幸い、特に被害はなく済んだが、不意を襲われて心臓がバクバクするほど驚かされた。最初のは震度4、次が5弱、久しぶりに感じた強さだった。

・強い地震の危険性については、いくつもの予測がなされている。千葉県東方沖とか首都圏直下、それにもちろん駿河湾を震源とする東海地震など、いつ起きても不思議ではない巨大地震の数は少なくない。だからいつでも、地震が起こるのではといった不安を感じている。

・たとえば怖いのは車を運転しているときで、トンネルに入ったときなどには、今起きたらなどと考えることが多い。実際、元日に起きた鳥島近海を震源とする地震の時には、僕は首都高を走っていた。首都高はいつでも揺れている。渋滞で止まったときなどに結構揺れて、僕はそのたびに不安な気持ちに襲われる。しかし、元日の揺れは走っている最中で、奇妙なバウンドをして車のサスペンションが故障したのではないかと錯覚するほどだった。

・で、今回の地震だが、震源は北緯35,5度、東経139.0度。グーグルには震源地が特定されていて、それによると都留市と道志村の境目の山中のようだ。丹沢山地の北にある道志山塊で深さは20km、マグニチュードは起きた順に5.0、5.5、4.1、2.7、4.1、3.3だった。30分弱の間に6回もあったから、この後もっと強いのがくるのではと心配したが、その後はおさまってほっとした。とは言え、体に感じた揺れは20回程にもなっている。

・それにしても、しょっちゅう揺れている。それも北海道から沖縄まで、まんべんなく発生していて、その頻度も尋常ではない。3.11の東日本大震災が1000年に一度の大きなものならば、それに続いて巨大地震が起きても不思議ではない。そんな予測をする専門家も少なくないが、政府はパニックや風評被害を避けるという名目で、危険を訴える機関や研究者のブログを閉鎖したり、削除させたりしている。

・地震や原発事故に関連して開かれた政府の会議に議事録が残されていないという報道があった。会議に議事録を残すのはどこの組織でも当たり前のことで、緊急時とはいえ、残していなかったというのは作為的であったとしか思えない。記録しておかなければ、責任を追及されにくくなる。そんな発想が、大地震と原発事故以降いろいろな所や局面でくりかえし露呈していて、しかも、それを改めようとする姿勢が全く見えないのが現状だ。

・災害などの不測の事態にパニックを起こすのは一般人ではなく支配層だ。そのことを実証的に明らかにしたレベッカ・ソルニット『災害ユートピア』には、被災した人びと間にはパニックによる混乱ではなく「相互扶助」の意識に基づく「自生の秩序」の発生が指摘されている。そのことを考えたときに何より恐れるのは、政府の動転ぶりであり、そのために生ずる混乱こそなのである。東海や首都直下の地震が起きたら、富士山が噴火したらどうするか。どうせ「想定外」といって責任回避に懸命になる政府など当てにはできないのだから、自分なりに折に触れて考える必要がある。今度の揺れで思ったのは、何よりその一点である。

2012年1月23日月曜日

大河ドラマの見方

 ・NHKの大河ドラマは見始めると一年つきあうことになる。だから、見るか見ないかを最初のところで判断するのだが、今年の『平清盛』はなかなかおもしろそうだと思った。中井貴一(清盛の義父)、吹石一恵(清盛の母)、伊東四朗(白河法皇)などがよかったし、映像や音楽などにも工夫が感じられたからだ。

・ただ、初回の視聴率は17.3%(関東地区)で、半世紀続いた大河ドラマ史上3番目に低いということで、批判的な記事もあった。出だしだけではわからないだろうと思ったが、批判の中に一つ気になるものがあった。兵庫県知事(井戸敏三)が「画面が汚くて見る気がしない。神戸のイメージダウン」と発言して、改善を求めたというのである。これに対してNHKの返答は「画面が汚いと思われるかもしれないが、平安時代をよりリアルに映像体験できるように務めています」というものだったようだ。

・平安時代をリアルに映像体験するためにどういう工夫をしているのかというと、「平安末期という時代感を出すために、コーンスターチやスモークを入れて当時の舗装されていない時代の空気感を出す。」「(カメラで)コマ数を縛ることで躍動感を出している。(加えて)色を調整して陰影をつけて、よりリアルな映像に近づけたい。」また「武士と貴族という対比を分かりやすく伝えようとしており、貴族の描写については(汚いと言われる)そういうような描写はほとんど使っていません。これから清盛が出世して国の頂点に立つに従って清盛や平家の扮装もドラマチックに変わっていく。」といったことのようである。

・このような工夫が効果的であることを、僕は見始めてすぐに感じ取った。NHKのBSではたまたま(?)テレンス・マリック監督の『シン・レッド・ライン』を放送していて、その戦争映画としては異例の描写を久しぶりに見たところだったから、その共通性に注意が向けられた。この映画については2000年のこのコラムで、僕は次のように書いている。

たとえば、壮絶な戦闘シーンの中に、ワニやトカゲやオウムを映したシーンが挟み込まれる。人間達がくりひろげる狂気とは無関係にすぎる生き物の世界。鳥の雛が卵からかえって動き始める。撃ち合いがあってばたばたと兵隊が倒れた後に生まれる一瞬の静寂。すると雲に覆われていた戦場に日が射し込んで枯れ草が黄金に輝く。戦闘シーン自体に派手さは全くないが、このコントラストが戦争の無意味さを際だたせる。背景に流れる音楽は全編鎮魂歌のように静かで暗い。

・時代感をリアルに映像体験するという方針は、今年の大河ドラマが初めてではないだろう。『竜馬伝』で岩崎弥太郎は汚かったし、高知の町はいつもほこりにまみれていた。同様の手法は年末に何年にもわたって放映された『坂の上の雲』でも感じられたから、この方針は、NHKではすでに定着したものだということができるだろう。兵庫県知事の発言は、こういった傾向を無視したものだが、そこには大河ドラマが果たしてきた役割に基づいた確かな理由もある。

・大河ドラマの舞台になった土地は新たな、あるいは再注目された旧跡として観光名所になる。大型バスで団体客が訪れ、饅頭や煎餅などの新しいお土産ができる。地元に落ちる金は、経済の活性化に大きく寄与する。だから、大河ドラマには、大きな話題になり、視聴率が高くなって大勢の人に見てもらうことを使命とする役割も担わされているのである。神戸にとってそれがどれほど切実なものかはわからないが、ところによっては沈滞した経済が活性化した土地もあるようである。

・大河ドラマのそのような役割を否定するつもりはない。ただ、そのことを第一にして作られるものであれば、おそらく見る気にはならないだろう。全国ネットのテレビはできるだけ多くの人に視聴してもらうことを原則にしている。視聴率競争がテレビ局にとって死活問題であるのは、NHKとて例外ではないのは明らかだ。しかし、そのことだけで番組が作られれば、番組は画一的で浅薄なものばかりになってしまう。インターネットが力を持つようになった時代のテレビがどういう番組を提供したら、その役割を維持できるのか。大河ドラマの政策方針には、そのような模索が確かに感じられると思う。その意味で、過去の視聴率と比較してだめだなどという批判とは違う評価をすべきなのである。

2012年1月16日月曜日

今年の卒論(2011年度)

 


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・今年のゼミは20名で留年生が3名でした。2年生からの継続は11名で、3年生からの履修が例年になく多い年でした。そのせいか、ゼミの中でも学生同士のコミュニケーションは不活発で、一人孤立しているような人もいたようです。ゼミの飲み会(コンパとは言わないようです)も結局、一度もやらずじまいでした。何度もやった昨年とは大違いで、年によってこれほどゼミの雰囲気が違うのもめずらしいことでした。
・今年は3月に巨大地震があり、原発事故がありました。地震の被害や近況をメールやポータルでやりとりして、全員が大きな被害なく過ごしていることを確認しましたが、一ヶ月遅れの新学期がはじまっても、全員が顔をあわせることはほとんどありませんでした。僕が学部長になって急な会議でゼミがつぶれたことや、就職戦線が一段と厳しくなって、大学に来る余裕が学生になかったことなど、理由はたくさんありました。
・今年の表紙は関口君の作です。タイトルの「卒悶集」も彼が考えました。それはまさに彼が卒論と格闘したことを意味しますが、だめ出しを何度もされて、書き直しをした多くの人にとっても共感できる題名だったようです。ただ、表紙に描かれた僕がこんなに怖そうなのには、ちょっと異論があります。心を鬼にするのは、学生のためにやむを得ずであって、本当は仏のように優しくなりたいと思っているからです。もっとも、新しく来年のゼミにやってくる2年生や3年生には、いい加減ではすまない怖い先生なのだということが印象づけられていいかもしれません。


1.「ハケン」の真実‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥平瀬 圭
2.四感から見る日本人の非言語コミュニケーション‥‥‥‥‥‥‥山口 篤史
3.殺戮する精神‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥関口 健介
4.リンク栃木ブレックスが地域にあたえる経済効果‥‥‥‥‥‥‥金子 憲太
5.地域密着型のスポーツ経営を探る‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥阿瀬 裕美
6.日韓ワールドカップに見るサッカーとメディア‥‥‥‥‥‥‥‥持田 絵美子
7.高知よさこい祭りを通して見る高知‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥公文 美穂
8.クール・ジャパン,アニメやマンガから見る現代Japonisme ‥‥大藤 みなみ
9.折込みチラシについて‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥福原 千織
10.東日本大震災と公共広告‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥黒川 瑠美
11.男女を分けることは必要なのか‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥吉川 美里
12.真の「男らしさ」、「女らしさ」について‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥片桐 啓
13.前衛的音楽‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥安井 裕人
14.ストリートライブ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥畠山 敬徳
15.学校給食と食育の問題と課題‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥鈴木 身知子
16.犯罪からみる心理について‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥茂山 太雄
17.捕鯨問題を考える‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥倉田 秀明
18.「AKB48」に至るアイドルの変遷‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥田村 彩子

2012年1月9日月曜日

消費者としての大学生

 内田樹『下流志向』講談社文庫

・単位とか成績に関係なく、自分の興味や関心に従って勉強する。そんな姿勢の見える学生が少なくなった。それは一つには、就職難という状況がある。たとえば僕の所属する学部では数年前に「企業コミュニケーション」という専攻を新たに作ったが、学生の希望がここに集中して、僕が担当する「現代文化」専攻は激減した。もちろん音楽好きや映画好き、あるいはアニメやファッションに関心があるという学生は今でも少なくない。けれども大学での勉強は就職に役に立つものを選択する。よく言えば、将来のことを考えた学生の選択だが、その分、余裕がなくなった学生の態度に、物足りなさを感じることが多くなった。

journal1-149.jpg ・内田樹の『下流志向』には「学ばない子どもたち、働かない若者たち」という副題がついている。ずいぶん前から話題にされていることでそれほど目新しい指摘ではないのだが、読んでいて、教育の場が子どもたち、そして学生たちにとって消費の場になっていて、彼や彼女たちは自らを「消費者」として認識しているのだという解釈には、思い当たることもあって興味を持った。
・消費者は大事なお客様だから、売る側は買ってくれるのなら、あるいは買いそうなら、相手が4歳の子どもだろうが、ボロをまとったホームレスだろうが、分け隔てなく丁重に対応する。消費者はお金を使う人間で、その評価は使うお金の額にあって、年齢や人格や社会的属性にはないからである。
・現代の子どもたちは、その社会的活動を「労働」ではなく「消費」としてスタートする。消費するものは何であれ「商品」であるから、消費者が何かを買う時には、「それが約束するサービスや機能が支払う代価に対して適切かどうか」が重要になる。だからこそ、モノを作り売る側、サービスを提供する側は、その魅力やお買い得であることを宣伝し、説得し、消費者を神様のように扱いもするのである。

・現代の高度な消費社会では「教育」も商品として買われるものになっている。そのことは大学にも当てはまるから、どこでも商品価値を高めようと懸命だ。ブランド力を高めるため、サービスや機能を充実させるため、そして何より宣伝に努めるために教職員に求められることが多くなった。最近の就職難を反映して、その力点はますます、就職に役立つ資格や技術や能力の獲得に向いているから、大学のカリキュラムのなかにキャリアアップの科目がどんどん増えて、何の役に立つのかわからない講義が減らされる傾向も顕著になってきた。

・大学が消費の場であるとすれば、そこに通う学生たちにが履修しなければならない科目に対して「この授業は何の役に立つのか」と問うのは自然なことである。けれども大学の授業は、これまで、「何の役に立つか」という問いを考慮せずに設けられ、続けられてきたものがほとんどだった。内田はその理由を「学びとは、学ぶ前には知られていなかった度量衡によって、学びの意味や意義が事後的に考慮される」ダイナミックなプロセスであることに見つけている。


学び始めたときと、学んでいる途中と、学び終わったときでは学びの主体そのものが別の人間である、というのが学びのプロセスに身を投じた主体の運命なのです。

・もちろん、就職に役立つ資格や技術や能力を獲得しようと学べば、学びの主体は別の人間になる。けれども大学とは、もともと、何の役に立つかではなく、わからないことをわかるようにする、というよりは何がわからないかを見つけに行く場であったはずで、その意味や意義の希薄化は、大学そのものの存在を見失うことにもなりかねないのである。

・一昔前に大学はレジャーランドにたとえられたことがあった。学生が勉強しなくなったことを指摘してつけられた比喩だが、そこにはまだ知と戯れる余地が残されていたように思う。それさえ希薄になった大学を今、たとえるとすれば、それはコンビニをおいてほかにはない。消費者としての大学生とコンビニとしての大学。僕のように「就職しないで生きるには」を実践して大学の教員になった者には、この変容は何より居心地の悪さでしかない。