・ビルバオからはバスでサンタンデールへ、ここでバスを乗り換えてサンティヤーナ・デル・マールに。ホテルに着くとすぐに、教科書で見たアルタミラの遺跡まで2kmほどを歩いた。劣化が激しくて今世紀になって入場が禁止され、その代わりに、大きな洞窟が掘られてレプリカが作られた。立派だが、ニセだと思うとありがたみはどうしても失せてしまう。ここでもやっぱり入場者は多い。何しろヴァカンス・シーズンまっただ中で、小さな村も人でごった返している。
・近隣のコミージャスにはカタロニア以外では珍しいガウディ設計の建物がある。レストランとして使われているというので食事を楽しみに出かけたのだが、入場料を取って見物するだけの場所になっていた。コミージャスはカンタブリア海に面していて海水浴場もあり、しかもその日は市が立っていたから、村の道路は大渋滞だった。その村を海岸から山手まで一回り歩いた。
・スペインの北岸には狭軌の鉄道が通っている。その電車に乗ってオビエドまで移動した。各駅停車で時間はバスの倍かかるが、景色がいいというので一日がかりの電車の旅を選んだ。山あり川あり海ありのなかなかの光景だったが、乗客はにぎやかで、午前中からワインに酔った若者達が乗ってきた。ろれつの回らないスペイン語でしきりに話しかけてくる。「儀礼的無関心」がまるで通用しない世界に来た。楽しくもあるがちょっと煩わしい。単線の電車は時に30分以上も停車したままで、バスで2時間の距離を遅れて、5時間半もかかってオビエドに着いた。
・オビエドは特に見るものや出かけるところがあったわけではない。アストゥリアス州の州都でビルバオ同様、鉱工業で発展した町だ。中心街には新しいビルが林立し、大きなデパートがいくつかあって道路や公園も綺麗に整備されている。たまたま見つけた大聖堂では結婚式があって。大勢の人の祝福を受けていた。
・オビエドからルーゴまでの移動はまたバスで、これも5時間半という長旅だった。どのルートを通るのかわからなかったが、何と100km以上も南下してレオンを経由した。途中岩肌がむき出しになったカンタブリア山脈をぬうように走り、山脈を越えると緑はなくなり、スペインらしい赤い乾燥した大地になった。レオンは予定外の場所だったが、バスは街には入らずに、わずかの停車で、今度は西に向かった。
・バスが走り出すとすぐに、リュックを背負って道路脇を歩く人が目につくようになった。サンチャゴ・デ・コンポステーラまでを歩く人たちだ。自転車も結構いる。ぞろぞろと言うほどではないが、ゴールまでの300km以上の距離を考えると、今歩いている人は何千ではすまないだろう。フランスやドイツやイタリア、そしてイギリスなどからも歩く人がいるから、今サンチャゴに向かって歩いている人は数万人になるのかもしれない。すごいブームだと思った。
・バスがルーゴに着いてホテルにチェックインした後、すぐに世界遺産の城壁を歩いた。ローマ時代に作られたもので、旧市街をぐるっと囲っていて、その上を歩くことができた。ローマ帝国は占領した土地に城壁や橋や水道など、入念な計算と大がかりな土木工事を必要とするものをたくさん作っている。城壁を歩いてみて、今さらながらにそのすごさを実感した。
・翌日はバスで巡礼路のポルトマリンまで出かけた。昨日バスで追い越した人たちはまだここまでは来ていない。ミーニョ川に架かる橋を渡り石の階段を上ると、休憩地のポルトマリンの村なのだが、階段を上るのが何ともきつそうな人もいた。何でこんな苦行を、と思うが、歩いている人たちから宗教性を感じることはほとんどない。どちらかと言えば、長いトレッキングをしているといった様子だ。
・ルーゴに戻るとホテルの近くでバイオリンを弾くストリート・ミュージシャンがいた。「アベマリア」の曲に1€を払った。
・翌日はいよいよサンチャゴ・デ・コンポステーラへ。バスに巡礼者が乗ってきて、少しの間乗るとまた降りていった。足を引きずる人もいて、大変な行程だったことがよくわかった。大聖堂に行くと大勢の人たちでごった返していた。