・辞めるとなるいろいろやるべきこと、やってもらうことがあります。そんなことが1月からずっと続きました。最後の授業、最後のゼミ、最後の教授会、そして送別会。やるべきことはなんと言っても、研究室を空にすることでした。僕の研究室は二部屋を一つにした広いものでした。その部屋の真ん中に書架を6本置いて、半分はゼミ室として使ってきました。主に院と4年生のゼミでしたが、音楽を流し、お菓子も用意して、サロンのような雰囲気にしてきました。仕切りに使っていた書架は、本を家に持って帰り、後期の初めには撤去しました。それで部屋の感じはずいぶん変わったのですが、全てがなくなると、僕がいた時間そのものが消滅したような思いに襲われました。
・その片付けが終わった後、研究室には1度だけ出かけました。最後の教授会で、その後、学部の送別会がありました。ただし、教授会終了後に3時間ほどの間がありましたから、僕は空っぽの研究室で、村上春樹の『騎士団長殺し』の続きを読みました。送別会の始まる少し前に読み終わったのですが、ストーリーの面白さに数日で一気に読んだのに、後に何も残らない。研究室と同じ「空っぽの世界」という読後感を持ちました。窓から見える風景は夕暮れで、徐々に暗くなっていきました。
・送別会の主役は僕を含めて3人でした。たまたま歴代学部長が一度に辞めるというので、いつもとは違う会になりました。学部では3年前に7人が辞めていますから、ここ数年で一気に若返ることになりました。数年前から学部の改変作業も始まっていて、中身も大きく変わることになりそうです。インターネット元年に開設されたコミュニケーション学部はこの20年の間に、社会状況の変化に合わせてカリキュラムを何度も変えてきました。新しい領域だっただけに、その改変に追い回されてきたような記憶があります。就職を第一に考えて入学する学生が増え、それにあわせてキャリア教育の必要性にも迫られてきました。
・教員生活を振り返って思うのは、何より、大学が大学でなくなりつつあるという危機感でした。それはもちろん、この大学に限ったことではありません。補助金をちらつかせて言うことを聞かせようとする文科省の姿勢はあまりに露骨です。天下り批判は氷山の一角に過ぎないでしょうし、産学協同はもう当たり前で軍学協同が推進されようとしています。その意味では、よき時代を過ごすことができたと言えるかもしれません。逆に言えば、かつての大学、あえて本来のと言ってもかもしれませんが、それを知る人が少なくなることには、強い危惧の念を感じます。
・辞めるに際して、何人もの人から、これから何をするのかといった質問を受けました。辞めるとは言っても、もう一年非常勤で、週一回大学には通います。講義もゼミもやりますから、完全にリタイアというわけではありません。その新学期も来月から始まります。終わったような、終わっていないような、中途半端な気持ちでの区切りだと答えました。しかし同時に、なぜ何かをしなければならないんだろうといった問いかけを逆に返すこともありました。ただ、毎日の生活を充実させること。それで十分でしょうという返事に、納得した人は少なかったかもしれません。