2020年9月21日月曜日

「Go to~」のおかしさ、あやしさ

 

・最初に「Go to キャンペーン」ということばを聞いた時には、何のことなのか全然わかりませんでした。調べると旅行を推奨するキャンペーンだと言うのです。コロナ禍が収まった後に、閑散としてしまった観光地に出かけてもらおうという国の政策のようでした。しかし、暑くなったら治まるはずの感染者数が7月に入ってまた増加に転じて、キャンペーンの始まった頃には、第一波の数を上回るほどでした。ところが、こんなキャンペーンは火に油を注ぐようなものだという批判にもかかわらず、政府は強行したのです。ただし、感染者数の多い東京を外しましたから、どれほどの効果があったのかは定かでありません。

・トラベルではなくトラブルではないか。そんな揶揄や非難にもめげず、政府は次に「Go to イート」などと言い出しました。その他にも「イベント」や「商店街」などと続くようです。確かに「やってる感」はあるのかもしれません。しかし、コロナ禍対策としてやるべきことは、何より無症状の感染者と「エピセンター(震源地)」を特定して、広がりを抑えることにあるはずで、これをおざなりにしておいて、旅行に行け!、ショッピングに行け!、イベントに行け!と言っても、誰もが二の足を踏むでしょう。第一、行けるのは経済的にも時間的にも余裕がある人で、職を失った人とか、生活に困窮している人には、何の助けにもならない政策なのです。

・こんなふうに、政府のやっていることはコロナを甘く見ていて、企業や富裕層だけを見ているとしか思えないのですが、もう一つ、奇妙な英語の使い方も気になりました。「Go to トラベル・キャンペーン」は「旅行に行こうキャンペーン」という意味でしょうが、普通は「Go on a trip 」あるいは「Go travel」で「Go to」の後には目的地が来るはずなのです。こんなおかしな英語を政府の機関が使うのはどうかと思いましたが、あまり批判がなかったのか、次に「Go to イート」が出てきました。僕はこれを聞いて「You meと eat meat?」を思い出しました。アメリカに移住した日本人が使う英語の典型例として引用されることばです。日本人にしかわからない英語で、正しくは「Do You eat meat with me?」でしょう。

・日本人は英語が苦手です。中高6年やっても話せない、聞けない、書けない、読めないのないない尽くしです。かつては読み書き中心の授業でしたから、大学生になれば、話せなくても読むことはできました。しかし、会話教育が重視されるようになって、読むことがおろそかになった上に、話すことも相変わらずダメという結果になりました。そこで小学校から英語教育をということになったのですが、国の機関が「Go to~」などとやっているようでは、いつまでたっても英語は苦手のままでしょう。

・日本人にとっての英語は、日本人にわかればいいというものです。和製英語はそのいい例で、英語にはないことばがたくさん作られています。あるいは発音やアクセントを日本語風にしてしまって、元のことばとは全く違うものになっているものも少なくありません。帰国子女が本来の発音やアクセントで英語を話すと、周囲の生徒が冷やかしたり、いじめたりといったこともよく聞きました。で、通じない話し方に変えてしまうのです。

・ついでに「トラベル」についてです。英語には類似語として「trip」「tour」「jouney」「voyage」などがあります。辞書には 、短い旅行は「trip」、長いものには「travel」、組織化や計画化されると「tour」、ロマンチックな色合いを持つ長い旅には「journey」、そして船による長い旅には「voyage」とありました。「Go to キャンペーン」では、その利用者の多くが近隣への旅行のようですから、トラベルよりはトリップと言ったほうがいいのかもしれません。いずれにしても、思いつきで確かめもせずに、公的な名称に英語を使うというのは、感心したことではないと思います。

・と書いてきたら、「Go to イート」をめぐって、新首相と業者との間に怪しい関係があるといったニュースを目にしました。もちろん、「Go to トラベル」にもうさんくさい話がありますし、給付金をめぐる「電通」との癒着は大きな騒ぎになりました。コロナ禍を利用して利権を漁ることに長けた政権はアベノマンマ内閣で、政治理念も長期展望も持たない爺(じじい)の集まりでしかありません。困ったものですが。支持率が高いのですから呆れてしまいます。

2020年9月14日月曜日

最後まで嘘の安倍政権

 

・安倍首相がとうとう辞めた。日本がどんどんひどくなる、そう思い続けた8年だった。彼の政治手法は「やってる感」の演出と、「嘘」と「隠蔽」だったが、辞めた理由も「嘘」だったようだ。本人は潰瘍性大腸炎の再発と説明したが、検査をした慶応大学病院の診断書は公表されていないし、担当医師の記者会見もなかった。もっと軽いストレス性胃腸炎だったというニュースもある。病院に診察に行くための車列がテレビで報道されたが、これは事前に情報が流されたからだろう。重大事であるかのような印象操作は、今まで彼がやってきたメディアの使い方でおなじみのものだった。

・安倍が辞任を発表すると、自民党の長老たちが後継を菅にしようと動き出した。秋田の農家の生まれで、上京して苦学して政治家になったという経歴がテレビで繰り返し流されて、次の首相に誰がいいかというアンケートで菅がトップになった。それまではほとんど名前が挙がってこなかったのにである。驚いたことに、世論調査では、安倍政権を評価する人が7割にもなり、政権支持率が倍増して6割になった。病気を抱えてご苦労様といった気持ちからなのかもしれないが、政権とメディアによる情報操作にまんまと騙されたとしか言いようがない結果である。

・総裁選挙に出ている石破茂は所信表明演説で「権力とメディアが癒着したら国は滅びる。」と言った。今回の動きを捉えての発言だと思う。自民党の動きは何より、石破だけは総理にさせたくないという安倍の意向に沿った結果である。何しろ石破は、自分が首相になったら「森友」も「加計」も「桜を見る会」も再調査をすると公言しているのである。せっかく手なづけた検察が動いて、投獄でもされたらたまらない。こんな恐れからの行動だと言われても仕方がないのである。

・安倍の恩師である成蹊大学名誉教授の加藤節が「AERA」でのインタビュー記事で安倍批判をしている。彼は、立憲主義を否定して閣議決定だけで解釈改憲をおこなったこと、それを可能にするために内閣法制局長官の首をすげ替えたこと、司法や検察の人事に介入して三権分立の破壊を招いたこと、政権全体に無責任体制を敷衍させ、何があっても責任をとらなかったことなどをあげ、そのようにして長期政権を可能にさせた結果、現在の政治状況が’病理現象化してしまったのだと指摘している。

・また学生時代の安倍を記憶していないと前置きした上で、政治家としての彼の行動をチャイルディッシュだと言っている。国会での品のないヤジ、他者批判を自己に向けられない狭量さ、気に入った側近の重用、そして勉強不足などだが、それは彼だけでなく、2世、3世議員に共通した特徴でもある。漢字の読み間違えも数知れずだが、政治家であるなら、もう一回初心に帰って丸山真男の本を読みなさいと言っていることには、思わず噴き出し、大いに共感した。

・政権や自民党の支持率が跳ね上がったことで、菅政権誕生直後に衆議院を解散させるという動きが出てきたようだ。嘘や隠蔽で作り上げた印象や情報操作は、すぐに化けの皮が剥がれかねない。だから、次々に新手を編み出して、都合の悪いことから目を背けさせて忘れさせる。菅は自らの政権を安倍の継承で行くといっている。同じ手法を使って選挙に勝てば、ワンポイントではなく長期の目も見えてくる。首相就任と同時に解散が真実味を帯びる所以である。あるいは、やっぱりワンポイントで安倍の再登板なんて話も聞こえてきた。空恐ろしい話だが、まんざらうがった見方ではないだろう。

2020年9月7日月曜日

雨、猛暑、そして台風

 

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・北海道から戻ってひと月になる。旅行では2週間で4000kmも移動したのに、また幽閉生活になって、週一回のスーパーへの買い物と自転車以外は、ほとんど外出していない。1歳になる孫の誕生日にも、老人ホームにいる母親のところにも行かなかった。東京が新宿を中心に第二波が襲って、とても行けないと思ったからだ。それにとにかく暑い。34度などという、ここでは信じられないような日が続いて、自転車も控えた日が多かった。我慢出来なくて、大小二つの扇風機を買った。北海道に行く前はすっと雨だったのに、帰ってきたら猛暑で、それが落ち着いたらまた雨の日が多く、超大型の台風が続発している。

forest169-2.jpg・長年楽しんできたミョウガが、去年はほとんど出なかった。根が張りすぎているのが原因だろうと、かなり荒っぽく間引きをした。で、旅行中に出てしまうのではと心配したのだが、帰ってもまだ出ている気配がなかった。お盆過ぎからポツポツ出始めたが、間引きをしたところからは全く出なかった。荒っぽすぎたのかもしれないし、発芽の時期に雨がほとんど降らなかったせいかもと思った。
・とは言え、数個でもそばやうどん、あるいは冷ややっこの薬味に使って、楽しむことができた。ザルで収穫して、梅酢に一瓶つけて長いこと楽しむとなるのは来年か、あるいはもっと先になるのだろうか。近所で野菜作りを楽しむ人からキュウリやナスをいただいているが、今年はやっぱりできが良くないようだった。雨で腐ったり、暑すぎて枯れてしまったりと、素人には大変だったのだろう。山梨特産のブドウも今年は4割しか生産出来なかったといったニュースもあった。もちろん、スーパーで買う野菜も高い。

forest169-3.jpg反対に、庭の雑草は元気だ。刈り取る必要があるのだが、汗だくだくになるから、気が進まない。本当なら原木を買って、ぼちぼち玉切りと薪割りをし始める頃なのだが、馴染みのところに原木が入ってこないようだ。薪ストーブブームで消費が増えていることもあるだろうし、木の伐採そのものが減っているのかもしれない。次の冬の分は乾してあるが、その次の分が心配になってきた。薪は燃やせるまでに最低1年は乾かさなければならないから、何とか調達して欲しいものである。去年の今頃のこのコラムを見ると、庭に積み上げた薪が台風で倒れたことが書いてあった。今年はもちろん、積み上げていない。

・ 湖畔を走っていて、週末には車に気をつけなければならないようになった。もちろん東京周辺からやって来る人たちだ。ホテルや旅館の前にも泊まっている車が多くなった。観光業者も少しは息がつけたのかもしれない。「Go To~」のおかげかもしれないが、観光バスも見かけはじめたが、外国人、とりわけ中国人は皆無だと言っていい。気温が下がればまた、コロナの感染者が増えるかもしれないから、まだ当分はこんな感じで続くのだろうと思う

2020年8月31日月曜日

作る者と作られた者

 ポール・オースター
『写字室の旅』
『闇の中の男』
『オラクルナイト』

オースターをずっと読み続けている。といっても寝る前にベッドの中でだから、数分の時もある。面白くなってやめられなくなっても、1時間を過ぎたら寝ることにしている。前回も書いたが、すべて一度読んでいるはずなのに、ほとんどストーリーを覚えていない。健忘症もここまでくれば呆れるより感心してしまう。もっとも、初めて読むような気持ちになれるから、これはこれでいいのかもしれないとも思っている。いや、思うことにしている。老いを正当化して自己納得しているのである。

auster11.jpg 『写字室の旅』の主人公は奇妙な部屋に閉じこめられている。ミスター・ブランクという名の老人で、過去の記憶をほとんどなくしてしまっている。だからなぜ幽閉されているのかは、本人にもわからない。身の回りの世話をする女が毎日来るが、彼にはそれが同じ人であるかも不確かである。そんな彼の部屋に訪れるのは、彼がかつて、さまざまな理由でさまざまな場所に送り届けた人たちで、その任務で経験した苦難を吐き出して攻め立ててくる。そして、その人たちは、オースターが書いたこれまでの小説に出てきた人物だったりする。つまり、この本の主人公は、年老いたオースター本人であり、作品に登場させた人物から復讐されているのである。

小説は作家が作り出した世界であり、作家は登場人物の特徴はもちろん、その運命をどうにでもできる神のような存在である。生かそうが殺そうが作家次第で、その判断はあくまで、作品を面白く出来るかどうかにかかっている。しかし、登場人物の側に立てば、好き勝手にされてはたまらないという気持ちにもなるのもうなづける。

auster10.jpg たまたまだが、次に読んだ『闇の中の男』も同じような話だった。眠れない夜を過ごす老人が、ある物語を夢想する。オーウェン・ブリックという名の人物を設定し、彼を穴の中に入れる。さて話をどう展開させるか。舞台は同じアメリカだが、そこでは内戦が戦われている。突然そんな世界に置かれた主人公は、当然うろたえる。兵隊に見つけられて、穴から抜け出すが、彼には任務が与えられる。この内戦を終結させるために一人の男を殺せという命令だった。オーウェンがついさっきまでいた世界と、今いる世界は同じアメリカだが、二つの世界はまるで違う。そんなダブル・ワールドができてしまっているのは、一人の不眠症の老人の仕業で、内戦状態を終わらせるためには、その老人を殺す必要があったのである。

老人の夢想は、やはり眠れずにいる孫娘に聞かせる話として展開する。そして、二人がいる現実の世界にも「9.11」の惨事が起こることになる。彼女のボーイ・フレンドは志願してイラクに出兵して、捉えられて殺されるのである。

auster3.jpg 物語の中にもう一つの物語を作るのは、オースターの常套手段だといえる。そして次に読んだ『オラクルナイト』もそうだった。主人公は死を宣告されるほどの病から回復した作家である。今は最愛の妻の稼ぎに依存していて、新しい作品を書き始めようかと思っている。そんな彼が想像力を刺激されたのは、散歩の途中で見つけた、開店したばかりの文房具屋で買った、ポルトガル製の青いノートブックだった。

突然不慮の事故に襲われて、一命をとりとめたとしたら、その主人公はどう思い、それ以降の人生をどう生きるか。そんなモチーフから描き出されたのは、出版社に勤務する男が、歩いていて上から落ちてきたガーゴイルに当たるところから始まる。運良く助かった彼は、不意に、これまでの人生を捨てて、新しく生きることを決断する。飛行場に行き、乗れる飛行機に乗る。青いノートブックのせいか、物語は順調に展開するが、主人公がある部屋に閉じこめられたところで、ストップしてしまう。そこからどう脱出させるか、思いつかなかったからだ。この後、物語内物語は中断したままで、この作家と彼の妻との間で展開される物語が進行する。

題名の「オラクルナイト」は物語内物語で主人公の男に持ち込まれた小説の題名である。つまり、物語内物語内物語だ。なぜそれがこの本の題名になったのか定かではない。しかし、「オラクル」は神のお告げ、神託といった意味だから、小説を書くという行為が、神のお告げのようなものだという意味が込められているのかもしれない。作家は神として、一つの世界を創造する。オースターは、そこに罪の意識を感じて自分を罰している。そんなふうに読んだら、確かに作家は罪深い人なのだと思えてきた。

2020年8月24日月曜日

Bonny Light Horseman

Bonny Light Horseman .jpg・未知のミュージシャンや新しいアルバムについては、これまでも中川五郎の「グランド・ティーチャーズ」というブログに教えてもらっている。ダミアン・ライスにリサ・ハニガン、そしてミルク・カートン・キッズといった人たちだ。あるいはジョーン・バエズの引退宣言もジョン・プラインの新しいアルバムも、このブログからだった。そこでボニー・ブライト・ホースマンという名のバンドを知って興味を持った。アルバム・タイトルは同名の『Bonny Light Horseman』だが、アルバムの中にはやっぱり同名の”Bonny Light Horseman”という歌があった。

・ボニー・ブライト・ホースマンは男2人、女1人の3人組みだ。楽器はギターが中心だが、YouTubeではベースとドラムがついていた。デビューしたばかりのグループとは言え、それぞれが既に長い音楽的なキャリアをもっていて、たまたま最近一緒にやることにしたようだ。中川五郎の解説によれば、きっかけは、2018年のオークレア・ミュージック&アーツ・フェスティバルへの3人そろっての出演だった。そこで「リハーサルを重ねるうち、イギリスやアメリカのトラディショナルミュージック、フォーク・ソングを自分たちなりの新しいやり方で取り組もうというはっきりとした方向性が定まった。」

・そうしてできたアルバムに収められた10曲はすべて、イギリスやアイルランド、そしてアメリカの古い歌である。「ジェーン、ジェーン」のように、中には大昔に聴いた懐かしい曲もあったし、「10000マイル」も聴いた覚えがあった。しかし、「ボニー・ブライト・ホースマン」をはじめ、多くの曲は知らないものが多かった。しかも、昔の歌のままではなく、シンプルだが独特で極めて新しい音で演奏され、歌われている。


おー、ナポレオン・ボナパルト、おまえが悲しみの元凶だ
我がボニー・ライト・ホースマンは戦争に行き
心を痛め、死んだのだから ”Bonny Light horseman"

輝く朝の星が昇り、一日が僕の心のなかで始まる
我らの親愛なる母たちはどこに行った
彼女たちは祈りに谷に降りた
我らの親愛なる父たちはどこに行った
彼らは天に昇って叫んでいる
一日が、僕の心の中で始まる "Bright Morning Stars"


・特に何が新しいとか変わっているというのではないのに、今まで味わったことがない音と雰囲気を持っている。しかも、そこで歌われ、演奏されているのが大昔の歌ばかりというから、さらに奇異な感じさえする。この3人組みは、果たして次のアルバムを出すのだろうか。また一人になって、それぞれ別々になってしまうのだろうか。そう言えば、Macに録音したら、『Bonny Light Horseman』ではなく、V.A.、つまり、さまざまなアーティストのコラボに分類されてしまった。バンド名もアルバム名も、そして代表曲も同じ名前だから、多分、この一枚限りのものなのだろうと思った。

・ちなみに3人は、アナイス・ミッチェル、エリック・D・ジョンソン、ジョッシュ・カウフマン。全く知らない人たちだったが、アナイスはもっとおっかけようかと思っている。

2020年8月17日月曜日

テレビとコロナ対応

 

・2週間北海道に行ったせいでテレビをほとんど見なかった。テレビがなければないで、何の不満もない。しかし、帰って1週間、またいつも見ているものを見るようになった。とは言え、相変わらず再放送が多い。よく見ている旅番組は取材ができないのだから仕方がないが、見方はいい加減になるし、途中でやめることも少なくない。だからテレビではなく、ネットで映画やYouTubeということになる。

・もっとも、ネットでしか見られないテレビ番組もある。たとえばTVerではわが家では見られないテレビ東京やテレビ朝日の番組を見ることができる。「ぽつんと一軒家」「カンブリア宮殿」「ガイアの夜明け」などだし、「情熱大陸」などの夜の遅い番組もいくつかある。何しろ山梨県では民放が二つ(NTV系とTBS系)しか見られないのである。だから、テレビを見る時間は減り、そのぶん、パソコンを見つめることが多くなった。

・コロナ禍で中断していた火野正平の「心旅」が再開された。しかし、そのコロナ対応の仕方には首をかしげることが多かった。女好きの彼が、美人やかわいい娘を見つけると、磁石に吸い寄せられるように近づいていく。反対に中年過ぎのおばさんには後ずさりする。そんな対応がこの番組の魅力の一つだったのだが、社会的距離をとるために制限された。

・それは仕方がないのだが、自転車を走らせる時にマスクをつける姿には「なぜ?」と言わざるを得なかった。あるいは、昼食が弁当ばかりというのも、やり過ぎではないかと感じた。「安全」ではなく「安心」。それも視聴者からの疑問や批判を避けるための過剰防衛なのだろうか。だから当然、面白くない。三重から始まり静岡で中断され、神奈川から再開されて茨城で終わり。さて、秋に北海道から始められるのだろうか。

・「ぽつんと一軒家」は新しいところではなく、以前に訪ねたところをリモートで再訪という形式をとっている。それなりに面白いが、再放送の部分が多いから中だるみしてしまう。それでも視聴率は相変わらず高いようだが、いつまで続けられるか。この番組にかぎらないが、コロナ対応がテレビ離れを加速させるとしたら、それに合わせた新しい形式の番組が必要で、製作者たちの頭を悩ましているのだろうと思う。

・MLBが7月の末に始まった。わずか60試合で、ポスト・シーズンを拡大させた変則のシーズンだ。無観客で席には顔写真が並び、人工的な歓声などの工夫がされている。相変わらず感染者が多いから、客を入れることは難しいようだ。カージナルスなど感染者の多いチームは試合をできないようだから、この後どうなるんか見通しが立たないだろうと思う。DAZNを再開しようと思ったが、MLBの中継をやらないので解約をした。NHKは大谷一辺倒だから、ほかの選手の試合を観ることができない。その大谷は右腕の筋肉を痛めて今期は打者専任で行くことになった。

・それにしても暑い。コロナ禍がなければ今頃はオリンピックが終わったはずである。酷暑で大変だったから、延期になって良かったと思う。もちろん、来年だってできるわけはないし、やってはいけないだろう。ところがテレビは来年のオリンピックを話題にした番組を作り、ニュースを流している。コロナに猛暑の二重苦で、できるのだろうか、やっていいのだろうか、などといった発言が皆無なのが恐ろしい。そう言えば、モーリシャス沖のタンカー座礁事故は重油を大量に流出させて大きな出来事になっているのに、日本のメディアはほとんど報道していない。いやなことを隠す体質が、あちこちで露骨になっている。

2020年8月10日月曜日

久しぶりの北海道、その2

 

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hokkaido-2.jpg・旅も7日目になり,キャンプ生活にもくたびれたので、知床ではキャンプ場をキャンセルして、知床のホテルに続いて羅臼の旅館に泊まることにした。この日は船で知床岬まで行っただけだった。この船にはもう半世紀近く前に乗ったことがある。大学生の時に友達二人と小さなテントと寝袋を担いで、列車に乗った旅だった。旭川駅を拠点に夜行列車で知床に行き、そしてまた夜行列車で旭川に戻る。次はまた夜行列車で稚内に行き、また夜行列車で旭川に戻る。当時はもちろん蒸気機関車だった。そんなことを懐かしみながらの岬巡りだった。
・そう言えば、その時にも大雪山に登っている。やっぱり旭川駅からバスに乗り、ロープウェイに乗って、旭岳から黒岳に縦走をした。そしてまたバスで旭川へ。元気だったなとつくづく思った。

hokkaido-3.jpg ・そんなわけでホテルと旅館で2泊して、8日目は羅臼から野付半島、別海町を通って屈斜路湖へ。ここではまたキャンプ場のキャビンに泊まった。キャンプ場に着くといろいろ張り紙に書かれていて、キャンプ場ではマスク着用、ゴミは持ち帰り、車もキャビンに横づけ出来ずにリヤカーで運ぶなど、ほかとは違う様子だった。料金は一番高く、しかも前金で払うことを要求されていた。トイレや炊事場もお粗末で、ちょっと腹立たしかった。
・今日は初めての雨で、野付半島から16kmの距離にある国後島は見えなかった。北方領土ということばが目についたが、今ではロシアから、北方領土は存在しないと宣言されていて、政府もことばを使わなくなっている。 別海町で乳製品や肉などを仕入れて、屈斜路湖に向かった。

hokkaido-4.jpg・9日目は摩周湖、阿寒湖を経由して釧路湿原へ。朝はまだ雨が降っていたのに、出発する頃には上がって、摩周湖に着いた時には晴れ間も見え始めていた。で、摩周湖は霧ではなくはっきり見ることができた。阿寒湖は観光地化されていて、駐車場が有料だったので、素通りして湖畔の道を行き止まりまで走らせた。湖畔に出られる道をやっと見つけて一時過ごして、釧路湿原まで。湿原ではカヌーに乗った。北海道では車が皆スピード・オーバーで走っている。50km制限のはずなのに70kmぐらいは当たり前で、その車をさらに追い越す輩が続出した。中には大型のトラックがあったりしたから、事故が多いのもうなづける気がした。高速道路も整備されてきたようだが、あまり必要ないのではとも思った。この日は達古武湖畔のキャンプ場だったが、屈斜路湖と違って素晴らしかった。

hokkaido-5.jpg・10日目は釧路の町から池田町、帯広を通って富良野まで。毎日ひたすら走っている。この日は湿原の展望台以外には見るところもなかった。富良野では朝食付きのログハウス・キャビンで2泊した。
・11日目は旭岳に登るつもりだったが、台風崩れの温帯低気圧で、朝から暴風だった。当然ロープウエイは運休だったが、とりあえずは行ってみることにした。ビジターセンターで旭岳周辺の山々のビデオを見て、近くの天人峡へ行ったが、温泉のホテルは廃屋で、羽衣の滝に行く道にはゲートがあって、熊出没で危険と書いてあった。行くのはやめて、美瑛の丘や富良野のラベンダー畑等を見ながら宿に戻った。

hokkaido-6.jpg・12日目は日高の美術館に立ち寄って、サラブレッドを生産する牧場が続く道を走ってフェリーに乗る苫小牧まで。競馬はやらないからわからないが、名馬を産出した牧場や種牡馬になった有名馬がいる牧場もあるんだろうななどと思いながら車を走らせた。港に着くと出港にはまだだいぶ時間があるのに、車が並び、バイクが集まり始めていた。コロナ禍とは言え、北海道に来ている人が大勢いることを実感した。フェリーは大洗まで20時間ほどかかるが、ほとんど個室で過ごした。旅に出てから夕食を食べるとすぐに睡魔が襲ってきて8時過ぎには寝てしまっていた。この日も船の揺れなど気にせず爆睡で、朝目が覚めた時には宮城の金華山沖だった。午後2時には下船して、河口湖には5時過ぎに戻った。
・13日間の旅が終わった。事故もなく感染もせず(?)無事帰宅できたことを感謝して、眠りについた。家はかび臭かったが、掃除や洗濯は当然、後回しだった。