2011年8月8日月曜日

二人のファド歌手

 

Amalia Rodrigues "Art of Amalia" "Fado Lisboeta "
Dulce Pontes "O Primeiro Canto" "Lagrimas"

・NHKのBSでポルトガルのファド歌手を取りあげていた。「Amazing Voice 驚異の歌声」という番組で、ドゥルス・ポンテス(Dulce Pontes)という名の、ファドをベースにしたシンガー・ソングライターだという紹介だった。ファドと言えばアマリア・ロドリゲスと言われるほど、日本では彼女だけが異例に有名で、僕も彼女のLPレコードは持っている。しかし、それ以上の関心を向けることはなかった。だから、半ば懐かしい感じでファドということばを聞いたのだが、番組を見ながら、いいなと感じてAmazonで何枚か注文した。ついでというわけではないが、CDでは持っていないアマリア・ロドリゲスもあわせて買い求めた。

dulce1.jpg ・ドゥルス・ポンテスは1969年生まれだというから、40歳を少し越えたところだ。CDを聴いてまず思うのは、その歌唱力である。国立音楽院でピアノを専攻したというから、クラシック音楽の出身で、確かにそんな歌い方だが、しかし、やっぱりファドに間違いはない。音楽的に新しい要素も加えていて、アマリア・ロドリゲスとはちょっと違うなという感じもするし、似たところもある。"O Primeiro Canto" という名のアルバムは1999年に発表されているが、ネットで調べると「ポルトガルの北半分を歩き、うもれていたフォークロアを集め、様々な国の音やリズムや楽器をほりおこし、ウェイン・ショーターなど国やジャンルをこえた一流ミュージシャンを集めてセルフプロデュースした」という説明を見つけた。全曲が彼女のオリジナルのようだ。

amalia1.jpg ・ファドはポルトガルの伝統音楽で、スペインのフラメンコによく似ているが、踊りと一緒のフラメンコと違って歌だけだ。またフラメンコは、スペインの伝統音楽とはいえ、歌うのも演奏するのも、そして踊るのも、ロマである場合が多い。一方でファドには、そういう特徴はないようだ。また日本では、ファドといえばアマリア・ロドリゲスと、たったひとりの歌手で代表される音楽であるかのように思われている。
・アマリア・ロドリゲスの歌はきわめて演歌に近い。港町や酒場、そして男女の出会いや別れがテーマで、聴いていて八代亜紀を連想したりもする。けれどもまた、演歌とは違って、じめじめとした感じがない。演歌嫌いの僕が聴いていいと思う理由は、そんな乾いて明るいイメージを連想させるからなのかもしれない。

amalia2.jpg ・CDでアマリア・ロドリゲスを聴いていて、また、アルゼンチンのフォルクローレのことを思った。ポルトガルは現在ではヨーロッパの西の果てにある小国だが、大航海時代にはスペインと競って世界中を植民地にする強国だった。だから、メキシコからアルゼンチンに至る中南米の国で歌われる歌は、どこのものでも、スペインやポルトガルの臭いがする。ポルトガルは70年代半ばまで独裁政権下にあって、アマリア・ロドリゲスは、国家的歌謡として擁護されたファドのシンボル的存在だった。だから彼女も、ファドも、民主化の過程では批判され衰退したのだが、90年代になってEUの時代になると、自国の文化の見直し機運の中でまた聴かれるようになった。

dulce2.jpg ・ドゥルス・ポンテスの歌はファドを超えて世界に繋がっている。ただし、もう一枚の "Lagrimas"は、聴いていてアマリアなのかどうかわからないほどファドそのものだ。1996年の発表だから、99年の"O Primeiro Canto"との間に、大きな変化があったのかもしれない。で、最新作の"Momentos"(2010)も注文してあるのだが、こちらは注文後に品切れになったようで、まだ届いていない。僕と同様、NHKの「Amazing Voice 驚異の歌声」を見て、多くの人が注文したのだろうと思う。日本版は在庫ありだが値段が倍近くする。日本のレコード会社はなぜ、相変わらず、こんな商売をやっているのだろうか。

2011年8月1日月曜日

地デジ化顛末記

 ・テレビのアナログ放送が終わった。たいした混乱もなかったようだが、停止した日は来客もあって、一度もテレビをつけなかったから、終わりがどうだったのかはわからなかった。当然だが、今はアナログをつけても砂嵐状態だ。

・どうせろくに見ないからそのままでいいと思ったのだが、町へ出かけたついでに役場によって、難視聴地域に対する町の対応について聞いてみた。後で係の者が電話をするという返事で、処理しているのが自治体ではなく、県域のテレビ局であることがわかった。地デジ化は総務省の指揮でおこなわれているが、実際に対応に動いてきたのは各都道府県にある民放テレビ局で、それがわかった途端に、なるほどなという思いがした。

・電話での対応は、「お宅の地域はケーブルでの視聴ということで処理させてもらってます」という、きわめて素っ気ないものだった。ケーブルに契約する気はないとこたえると、感度のいいアンテナを高くたてれば、電波をキャッチできないこともないが、多少のゴーストが出て見えにくいかもとかえってきた。難視聴地域ならBSをつかった地デジ放送が見られるはずだと言うと、これはケーブルも使えない地域に限って提供するためのものだから、お宅の地区では認められていませんときた。電話をしながら、アドレナリンが湧きだしてきた。

・で、「実は僕はメディア論を研究していて、地デジ化については、ずっと批判的なことを言ったり書いたりしてきている。新しい技術の導入だと言っても、結局は、あなたの放送局や地元のケーブルテレビの既得権を守ることが最優先で、金ばかりかけて、新しい技術が持っている可能性はもとより、視聴者の都合なども平気で軽視する、とんでもない政策なのだ。」と言って、電話を切った。無性に腹が立ったが、しばらくすると同じ人からまた電話がかかってきた。

・「総務省と連絡を取りまして、特別に、BSでの視聴をお認めするということにしました。」という返事だった。言われるままに電話をすると、一から説明をさせられて、それでは次の電話番号におかけ直してくださいときたから、またカッとして、「ちょっと、役所仕事もいい加減にしてほしいな!ここまでたどり着くのにどれだけの労力を使ってると思ってるの!!」と言ってしまった。BSでの視聴は、我が家のチューナーに付属していた Bcasカードの番号を聞いて、スクランブルをはずしてくれればいいだけのことなのだが、結局、我が家に書類が送られてきて、所定の書式に従って必要事項を記入して返送という手続きを取らされた。

・BSでの地デジ放送は東京からのもので、NHK2局と民放5局が用意されているのだが、僕が住んでいる山梨県では民放は2局だけだから、スクランブルが外れて見られるようになったのは、NHK2局のほかには日本テレビとTBSだけである。なぜそうなるのかは、県域放送局の既得権を侵害しないという理由以外には思い当たらない。我が家では、映りが悪いとは言え、これまで、東京のアナログ放送が全部映っていたのにである。しかも、ケーブルテレビと契約すれば、民放5局の他に、テレビ神奈川やTOKYOMXまで見られるという。こんな露骨なやり方が、なぜ問題にならないのか。お役所仕事のやりたい放題と、人々の従順さに、今さらながらにあきれる気がした。ついでに言うと、Bcasカードを管理しているのは、総務省の天下り機関で、こんな組織は本当はまったく必要ないのである。

・というわけで、我が家では地デジは4局だけ見ることができるようになった。ただし、今のところほとんど見ていない。つまらないから見る気がしないのだが、その原因は既得権にあぐらをかいて競争意識をなくした姿勢にこそある。地デジは原発。だから脱原発と同時に脱地デジ。そんなことを再認識した経験だった。

2011年7月25日月曜日

世論のおかしさ

・内閣の支持率が20%を切った。森内閣以来の低さだという。菅首相がとことん嫌われたことによるようだが、いったいどうしてと考えても、はっきりとした理由が思い浮かばない。確かに大震災や原発事故への対応には、まずさや遅れがたくさんあった。しかし、他の人が首相をしていたなら、あるいは自民党が政権を維持していたなら、もっとうまく対応できたのだろうか。おそらく、誰が、どの党がやっていても50歩百歩だったのではないと思う。だとすれば、首相を変えろという大合唱は、何を意図しているのだろうか。

・一方で脱原発に賛成する人が7割という結果にもなっている。この夏の電力不足を意図的に強調するマスコミ報道や脅迫に近い節電要請にもかかわらず、原発を否定する声はますます強まっているようである。原発の是非に対する新聞の姿勢は大きく分かれはじめていて、脱原発をもっともはっきり打ち出している東京新聞は、企業からの広告収入が減って経営的には苦しいと言われたりもしている。世論を巡る駆け引きは、表に現れないところでこそ激しいようだ。

・自民党の河野太郎が、自分のブログで、自民党の原発行政に対する検証や反省の必要を党内で問うたことが報告されていた。「自民党総合エネルギー政策特命委員会」での質問は、おおよそ次のようなものである。


1.自民党はなぜ、(できもしない)使用済み核燃料の全量再処理法を制定したのか
2.自民党はなぜ、あれだけの反対の中、保安院を経産省の下に設置したのか
3.自民党はなぜ、全ての環境法令について原発を適用除外にしたのか
4.自民党はなぜ、(クリーンではない)原発を、クリーンエネルギーと呼ぶのを認めてきたのか
5.昭和47年に通産省と環境庁のあいだで結ばれた国立公園内の地熱発電の開発の凍結に関する覚書は今日現在有効なのか
6.自民党はなぜ、一部の限られた事業者のみが必要とする高品質の電力を全ての消費者に高価格で供給させてきたのか
7.自民党はなぜ、いい加減な電力自由化を認め、それを口実に必要な情報を隠すことを許してきたのか。

・この会議では、この質問はほとんど無視されたようだ。ということは、自民党では相変わらず、自民党がおこなってきた原発政策についてふり返って検証し、反省しようとしているのは河野太郎だけだということになる。もちろん、このような議論は、民主党内からも聞かれないし、内閣でも、脱原発を表明したのは菅首相だけで、他の大臣たちは各省庁の姿勢の代弁者に留まっている。他の野党も含めて、原発の是非について、しっかりとした現状認識と、それに基づいた見通しを表明できる人がほとんどいないのが現状だと言えるだろう。

・原発を維持したい勢力は再生エネルギーのコストの高さや不安定さを強調して、日本の経済の衰退や豊かな生活の維持の難しさを主張する。しかし、原発事故に費やす費用がいったいどれほどのものになるのかを問うことはない。放射能による被害がこれからどの程度に拡大し深刻になるのかという見通しにも、ほとんど何も言わない。そもそも今払っている電力料金が地域独占の電力会社によって勝手に決められてきたもの(総括原価方式)で、発送電一体によって、安い電気を売り買いする市場がつくられなかったことを考えれば、再生エネルギーが高い料金をもたらすとは限らないはずなのである。

・現在陥っている世論のおかしさは、既得権や利権が不確かになってしまうが故の政局の混乱と、それをはっきり指摘できないメディアに大きな責任がある。だから政局ゲームにばかり注目するのだが、それではますます泥沼にはまりこむしかない。脱原発という方向を軸に、これからの日本を見定めていく。それが多くの人々の声だとすれば、個人的意見でしかない菅首相の「脱原発発言」を内閣の方針にするよう、世論をつくっていく他はないだろう。

2011年7月18日月曜日

ビル・マッキベン『ディープ・エコノミー』 (英地出版)

 

deepeconomy.jpg・一方にもう原発はこりごりという思いがあって、他方に、だけど貧しくはなりたくないという不安がある。今の日本の社会を二分する対立だが、この不安は一人一人の中にも同居して、その気持ちを揺り動かす。いったいどうしたらいいのか。日本人の誰もが、自分の生活の現在や未来を見つめながら、答えを探さなければならない問題で、なおかつ本質的で緊急を要する問いかけである。

・原発は一基が100万キロワットを越える電力をおこし、それが一カ所に複数つくられて大都市に供給している。それに代わる再生可能エネルギーは太陽光、風力、地熱、バイオマス、それに潮流を利用するものだが、一つ一つの発電量は小さくて、供給が安定的でないものもある。原発をやめるわけにはいかないとする意見があげる理由の多くは、まずここにある。それが、これまでのように、便利で豊かな暮らしができなくなってもいいのかという脅し文句に使われることも少なくない。

・けれどもまた、一方では、3.11の大震災と原発事故を機会に、すでに当たり前になった現在の生活スタイルを見直す必要が問いかけられてもいる。もちろん、このような発想や提案には20世紀の後半を通してずっと主張されてきたという長い歴史があって、1976年に出版されたF・エルンスト・シューマッハーの『スモール イズ ビューティフル』(講談社学術文庫)など、その都度大きな話題になったものも少なくなかった。けれども現実には、経済成長とさらなる豊かな暮らしが目標に掲げられ、それがグローバルな総意であるかのようにして繰りかえされてきた。

・ビル・マッキベンの『ディープ・エコノミー』 は、そんな経済成長の神話を「現在の制度では、成長が衰えるとすぐに悲惨な状況、すなわち景気後退とそれに伴った困窮に陥ってしまうからだ」とするところから書きはじめている(p.20)。だから早急に景気刺激という政策が打ち出されるのだが、それはすでに「魔法の杖」ではなくなって、その都度「繁栄よりは不平等を、進歩よりは不安定」を生み出している。しかも「魔法を使い続けるために必要なエネルギー」は実際には十分ではないし、そもそも、そうやって多少の成長が達成されたとしても、それによって幸福がもたらされたと実感できた人がほとんどいないのが現実である。

・景気刺激策によって確かに数字上の経済成長は果たされるのかもしれない。しかし、「アメリカの納税者のうち下位90%の実収入はじりじりと下がり続け」ていて、増えた富を手にするのはほんの一握りの富裕層に限られている。この傾向は、バブル崩壊後の日本でも同じだろう。だから、大多数の人の生活は経済的にはすでに貧しくなっている。それを覆い隠すのは、安価なモノの氾濫であったり、地域や季節に関係なく遠くから運ばれてくる食べ物であったりする。けれども、そのような傾向がまた、自分の職を脅かし、身近で生産されたり収穫されたりしてきた物をダメにしてきたのである。

・この本の題名に使われている「ディープ」には「人々が日々の生活で選択していることについて、これまでより深く掘り下げて問いただす」という意味がこめられている。経済学を量ではなく質、それもモノそのものというよりは人々がもつ「幸福感」を基準にして考える。この本の狙いは何よりその点にある。だから、各章は地産地消を取り戻すべきとする「食から見えてくる経済」、家族や近隣、あるいは友だち関係を大事にする必要性に触れた「失われた絆」「地域に芽生える力」などで構成され、最後は「持続可能な未来へ」となっている。

・幸福に暮らすことが、大多数の人にとっての願いであり、理想なのだとすれば、そのために必要なことやモノは何か、そして人は誰かといったことを考え、そこから生活スタイルを見つけだしていくことが不可欠だ。それは身近な問題であるが、また同時に、電力やその他の資源、そして環境の問題につながる大きな視点や視野を必要にする問いかけでもある。「原発停めたら不便で貧乏な暮らしになるぞ」などという脅しにおびえる必要はないのである。

2011年7月11日月曜日

「Twitter」と「Facebook 」

・大震災をきっかけに始めたと思っていたが、改めて確認すると、「Facebook」をはじめたのは2月4日で、「Twiitter」は3月8日からだった。だとすると理由は?ということになるが、これもブログに書いた文を読みかえすと、中東各地で起きたデモやそれを契機にした「ジャスミン革命」との関連で、FacebookやTwitterに触れているから、そのニュースによって、認識を新たにしたということなのかもしれない。ほんの数ヶ月前のことなのに、なんとも不確かな記憶しかないのは、歳のせいなのか、激動の年のせいなのか、あるいは校務に追われて落ち着きのない日々を過ごしているためなのか。

・いずれにしても、「Twitter」と「Facebook 」を自分ではじめようと思ったのは、そこに仲良しごっこだけではない、文字通りの「ソーシャル・メディア」としての可能性と実態を認識したからだ。実際、「Mixi」は当然だが、「Twitter」と「Facebook 」についても、僕はそこで生まれる関係性や動きについて、ほとんど評価してこなかった。個々の人の「さえずり」や友だち関係が大きなデモに拡大して、一国の体制を崩してしまう革命に発展するなどということは、まったく予想もしていなかったことで、そのことはおそらく、利用者はもちろんこれらのメディアを作った人たちでもそうだったはずである。

・もっとも「Twitter」の書き込み欄が英語で、"What are you doing?"から"What's happening"に変わったのは1年半以上前のことである。直訳すれば「何してる?」から「何が起きてる?」への変更で、理由は、実際の使われ方に対する個人的なことから社会的なことへという大きな変化があったことによるようである。とは言え、そのことを知ったのは、つい最近のことだ。


Twitterは当初、自分のリアルタイムの状況を共有するツールとして立ち上げ、ユーザーが「いま、カフェでコーヒーを飲んでいる」といったツイートを投稿することを想定していた。だが、実際の利用状況を全体的に見ると、「なにをしているか」という自分の状況よりも、目撃した事件や仕入れた情報など「なにが起きているか」に関するツイートが多いという。この現状に合わせ、もはや適切ではなくなってしまった「いまなにしてる?」という問い掛けを「いまどうしてる?」に変更した。(ITmedia ニュース)

・この説明は英語ではよくわかる。しかしそれに対応した日本語での「いまなにしてる?」から「いまどうしてる?」への変更には首をかしげてしまう。「なに」から「どう」で、なにがどう変わるというのだろうか。これでは、自分のことから、自分の周囲のことへという関心の変化は出てこない。そこに違和感を持たないとしたら、やっぱり、日本人が意識する「社会性」については、その特殊性を指摘しなければならない。

・同様のことは"twitter"を「つぶやき」と訳した点にも伺える。辞書には「さえずり」とあって「つぶやき」という語は載っていない。小鳥のさえずりが原義で、興奮してしゃべりまくるといった様子に使われることが多いようだ。だから"twitter"には、どうしても言いたいメッセージを大きな声で伝えるといった行為であることは明らかで、ひとりごとが基本の「つぶやき」とはまったく異なるコミュニケーションのはずである。

・もちろん、日本における最近の「mixi」の斜陽化と「Facebook」の台頭という現象には、「匿名性」という日本独特のネット利用から「実名性」へという変化が読み取れて、これはこれで大きなことなのかもしれないという感想はもっている。あるいは、「Twitter」が反原発のデモの呼びかけに使われて、多くの人を呼ぶ力になったことも指摘されている。だから、この二つのメディアは、多くの日本人がしてきたネットの使い方を変えるかもしれないと思う。

・で、僕自身の使い方だが、最初は日記のようにして、「Twitter」に一日一回書き込みをしていたのに、だんだん少なくなって、今ではこのコラムのアップを連絡するのに週一回だけ書くという状態になっている。「つぶやき」程度なら書き込む必要はないし、「さえずり」たいことが頻繁にあるわけではないからだ。また、知人や気になる人のフォローについても、個人的な書き込みの多いものはフォローを解除してしまった。「いまどうしてるか」ということは、どんなに親しくたって毎日気になるわけではない。だから、知人たちの「Twitter」にはブックマークをつけて、思い出したときにだけ出かけるようにした。

・「Facebook」は「Twitter」以上に使い慣れていない。とりあえず、知人同士で「友だち」になったが、それ以上にやりたいことが見つからない。「Twitter」に比べたら、おもしろい書き込み(ウォール)も少ないようだ。僕自身も書き込みは「Twitter」にして、「Facebook」にも自動的に転載するようにしている。とは言え、どうなるかは、これからのことだろう。

2011年7月4日月曜日

特に忙しいわけではないのですが

 

我が家の隣地に現れた鹿
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・毎週更新しているこのコラムは、日記(週記)のようなもので、自分にとっては、忘れてしまったことを確認するのに役立っている。記憶というのは頼りないもので、年月が経つと、旅行したのが何年だったかも不確かになっている。あやふやなのは、1年前でも変わらないから折に触れて、読みかえしている。

・4月から役職について、週末も仕事で出かけることが増えた。その分、気ままに出かけることが少なくなった。ここ2週ほど、週末は父母の会があって、数日前には甲府に出かけた。盆地の甲府はものすごい暑さで、6月末には38.9 度になった。出かけた朝も、家を出るときには22度で、甲府に着いた時には朝の10時だというのに31度だった。で、去年の今頃も、よく甲府に来たことを思い出した。ただし街中ではなく、周辺の山を歩くために通過したのである。

・去年の「写真館」では5月に「宝永山と小富士」、7月に「初夏の山歩き」を載せている。そう、去年はせっせと歩いたのだった。去年は5月の後半から歩き始めて、最初は富士山の宝永山と小富士、6月には西沢渓谷、大菩薩峠、横尾山、そして日向山に登っている。6月に登った山はすべて我が家から甲府盆地経由で行ったところである。去年のこの時期もかなり暑かったと思うが、山の上は涼しかった。

・そんな気持ちもあり、午前中の会議だけのために出校する日があって、大学からの帰り道に高速道路ではない経路をとりたくなった。中央高速を走っていていつも気になる景色がいくつかあった。機会があったら行ってみたいと思いながら、通り過ぎていたのだが、ふと思いたって、出かけることにした。

fugaku.jpg・中央高速の談合坂SAの北側には山の中腹まで集落がある。地図で見ると山の名前は不老山で、近くには北斎の富嶽36景で有名な犬目という地名もある。上野原の街を抜けたところで甲州街道から北に折れて細い曲がりくねった道を走り抜ける。高速の渋滞でよく名前の出た鶴川橋を下から見上げ、小学校や工場、そして集落が点在する道を走っていくと不老山への登山口がある。そこから急坂を登り、高速の下をくぐって南に出るとしばらくは高速道路の脇道になり、今度は高速の上をまたいで北側に出る。ちょうど談合坂SAの登りと下りの間にあるあたりだ。同じところでも、少し位置や関係が変わっただけで、景色は見慣れないものになる。へー、と思いながらさらに走ると犬目という地名が目についた。葛飾北斎の富嶽三十六景で有名な名だ。しかし、車を停めて見回したが、富士山が見えるような地形ではない。

・家に帰ってネットで調べると、この日通った道は旧甲州街道だったようだ。犬目宿があったところだが、北斎が描いた犬目峠は、現在では、場所がわかりにくくなっているらしい。しかし、富士山の雄姿が素晴らしいと書いてあるブログもあったから、今度はゆっくり歩いてみたいと思った。もうひとつ気づかなかったのだが、甲州街道の鳥沢に抜ける間に恋塚という名の地名があって一里塚があったようだ。

・旧甲州街道ということで、もう一回は高尾から上野原に抜ける陣馬街道を走ってみた。途中からものすごい夕立で、最高地点の和田峠にさしかかるヘアピンカーブが連続するあたりでは、道が川になって、水しぶきを上げながらの走行になった。狭い道で対向車があったらどうしようもないところが続いたが、幸い一台も出会うことなく峠を過ぎた。あいにくの天気で山は曇っていたから、ここも今度歩きに来てみたいと思った。考えてみれば、全然山歩きができないほど忙しいわけではない。「忙しさにかまけ、忘れてたんだ」と中山ラビの歌を思い出した。

2011年6月27日月曜日

メディアと電力

・テレビのアナログ放送停止まで一ヶ月を切った。地デジ対応化していないのは50万世帯ほどだという。日本全国の総世帯数は5000万近くだから、残り1パーセントという計算になる。ここまで来れば、もういいじゃないかと思うのだが、テレビは一日に何度も、地デジ対策を急ぐよう、警告を発している。残り1パーセントのためにこれほどうるさく言うのは、いったい誰のため、何のためなのかと、今さらながらに腹が立ってくる。

・実は僕の家はまだ、地デジには未対応だ。以前から繰りかえし書いているが、テレビを見るのはBSがほとんどで、見られなくなったって、ほとんど困らないと思っているからだ。つまらない番組ばかりなのはずいぶん昔からだが、大震災と原発事故の後は、地上波には不信感ばかりが強くなった。おかげで、知りたいことは自分でネットを使って探すといった態度が、すっかり身についたのである。

・原発事故の推移について、テレビが、その深刻さを伝えはじめたのはいつ頃からだったろうか。ネットを通して一番信頼していた京大助教の小出裕章さんのコメントがテレビに頻繁に出るようになったのはごく最近のことで、一番最初はCS放送の「愛川欽也パックインジャーナ(5月7日)」だったように記憶している。もっとも僕は、この放送もYoutubeで見た。その小出さんが参議院の行政監視委員会(5月23日)で発言した様子も、総理が元気づけられたと言われる、官邸での「自然エネルギーに関する『総理・国民オープン対話』(6月17日)」もUstreamが生中継をした。

・テレビをはじめとしてマスメディアの報道が、原発事故や東京電力に対して及び腰だったのは、東電をはじめとした電力会社が広告収入源として楯突くことができない企業だったからだと言われている。そのテレビや新聞に、小出さんのコメントが毎日のように出るようになって、彼の発言を、まるで自分たちの主張のように利用するようになった。それはまた、ソフトバンクの孫正義が旗を振って菅総理を後押ししている「電力買取り制度」などでも同様だ。あるいは、発電、送電の分離といった議論についても、マスメディアは総じて賛成の立場を取っていると言っていい。

・「電力買い取り制度」にしても「発電・送電の分離」にしても、これまで国会で議論になっても、その都度、電力業界とそれに繋がる議員(政党)の反対にあってつぶされてきた。その抵抗勢力が表に出てこないのは、福島原発の深刻さに、世論が脱原発に大きく流れを変えたからである。僕は、この新しい法律が国会で承認されることに大賛成である。けれども、そのことについてテレビや新聞が業界と政界の癒着を指摘して批判することには、強い違和感を持ってしまう。

・電力が巨大な原発を所持する巨大企業に独占されていて、自由な競争が排除されてきたという構図は、新聞やテレビと言ったマスメディアにもそのままあてはまる。特にテレビは国の免許によって放送できる制度が確立されていて、ケーブルや衛星といった新しい技術が導入されても、その特性を生かした新しい放送局は育たなかった。と言うよりは、そんな芽が出ないように、次々と摘み取られてきたのが現状である。そして、地デジ化も、既得権を何より重視して、新しい可能性を試みようとはしていない。

・このことについては、すでにこのコラムでも何度も書いてきた。(→) そして、既得権を第一にして、新しい技術の可能性をつぶしてきたという歴史や現状については、当然ながら、テレビも新聞も、ほとんど発言をしてこなかった。そもそも、新聞とテレビが経営的にも業務的にも強い関係にあるという仕組み(クロス・オーナーシップ)は、欧米にはない日本独特のものなのである。電力会社の独占体制と、情報を隠す体質を批判するならば、まず我が身のことを正してからなのだが、そんな自省の心を持ち合わせているとは思えない。マスメディアは電力会社以上に信用のおけない存在で、そのことはすでに多くの人に見透かされてもいるのである。

・巨額の費用をかけ、国民に負担を強いて実現させた地デジ化は、それと同じことが、すでにあるケーブルや衛星放送、さらには光ファイバーでもできるものでしかない。そのとんでもない無駄をなぜやったのか。そのことをきちんと説明する人は、今のところマスメディアには誰も現れない。