2012年11月26日月曜日

隣はとなり、家はうち

 

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毛無山・雨ヶ岳に沈む夕日を西湖から
  木曽の御嶽山に登った後も、毎週歩いている。この秋登った山を並べてみると次のようになる。木曽の御嶽山からは休みなく毎週歩いていて、しかも6時間以上歩くことも少なくなかったから、体力はかなりついてきた.先週登った白鳥山は500mほどの高度差で、登って昼食を取り、降りてくるまで2時間半しかかからなかった。
どこの山も秋真っ盛りで、これほど紅葉を満喫した年はなかった。天気にも恵まれて、遠くの山や海、あるいは島まで見通す景色を眺めると1000m以上も登ってきたかいがあったと思うことが多かった。しかし、冬は確実に迫っていて、大室山では小雪が舞った。これからは南の山を中心に年内も歩こうと思っている。

9月10日 北八ヶ岳横岳
9月21日 本栖湖・龍ヶ岳
10月5日 杓子山・高座山
10月18日 木曽御嶽山
10月25日 今倉山・二十六夜山
11月1日 瑞籬山
11月8日 朝霧高原・毛無山
11月15日 西丹沢・大室山
11月22日 富士川・白鳥山

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毛無山頂上から富士山
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大室山から相模湾と伊豆大島を望む
瑞籬山の岩場を登る
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ところで、たった一人でログハウスを建てた隣人だが、その後も時折やってきて、今度はツリー・ハウスを作り始めた。足場も本格的に組んで夏から始めて最近完成した。こちらは仕事もあるし、山歩きもしていて、作業しているところはあまり見なかったから、いつの間にという感じだった。それでも、時に早朝から夕暮れまで金槌やのこぎりの音がしていて、せっせと作業している様子を感心しながら眺めることもあった。さて次は何をするのだろうか。今度見かけたら、聞いてみようと思う。

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forest104-7.jpg P.S.父母が老人ホームで暮らすようになって5ヶ月が過ぎた。売却した家も、つい最近壊されて、ご覧のような更地になった。ここには中学生の頃から京都へ行くまでの10年ほどしか住まなかったし、建てかえをしたから家に愛着があったわけではない。しかし、半年ほど前まで週に一度泊まりに来た家がなくなってしまい、ただの空き地になったのを見ると、やっぱり寂しさを感じた。「終の棲家もしょせんは仮の宿か。」そんなことをつぶやきながら、写真を撮った。ここでもまた、隣はとなり、家はうちだ。

2012年11月19日月曜日

「パイレーツ・ロック」


rock1.jpg・2009年に作られた映画なのに全然知らなかった。「パイレーツ・ロック」というタイトルで60年代のイギリスを舞台にしている。ビートルズやローリングストーンズに代表されるブリティッシュ・ロックが世界中を席巻した時代だが、不思議なことに、この種の音楽を放送するラジオ局はイギリスにはなかった。だから、イギリスの法律が届かない公海上に船を浮かべて、一日中ロック音楽をかける放送局が登場して人気を博した。映画はそんな時代の物語だ。

・海賊放送と言われたから「パイレーツ・ロック」なのだが、原題は"The Boat that Rocked"だ。放送をやめさせようとするイギリス当局のあの手この手の工作にもかかわらず放送を続けてきた船が、岩礁にぶつかって沈没してしまう。だからロックには音楽と岩の両方の意味がある。なるほどと思ったが、日本名の方がわかりやすい。もっとも、題名をつけた人の狙いはヒット作の「パイレーツ・オブ・カリビアン」にあやかろうとしたことは容易に想像がつく。良し悪しはともかくとして、原題と邦題の違いに対する違和感は、映画やポピュラー音楽の歴史を通して変わらずに続いている。

・映画は無数のファンたちの船がDJたちを助けるところで終わる。イギリスの放送は国営のBBCが独占していて、教養的価値のないポピュラー音楽は放送する価値がないと判断されてきた。ましてや、当時の大人たちの常識や礼儀、あるいは道徳観を無視したり否定することが当たり前だったロック音楽は、絶対に放送などしてはいけないものだと判断されてきた。また、BBCは組合に配慮して、音楽家たちの職場を守るために放送でレコードをかけることはせず、スタジオでのライブを基本にしてきた。映画に登場するDJたちも平気でセックスの話をくり返す。ただし"FUCK"だけは禁句で、これを言ったらイギリス当局の規制を許してしまうということだったようだ。連発が珍しくない昨今の映画やテレビになれてしまうと、昔日の感が一層強くなった。

・今から思うと嘘みたいな話ばかりだが、逆に言えば、イギリスに登場したロック音楽がラジオ放送なしで人気になり、ヨーロッパやアメリカ、そして日本でも大流行したのは、この音楽とそれが主張するメッセージがが国境を越えて若者の心にいかに強く響いたかを物語っている。おそらく、この映画を見た若い人たちは、そんな感想を持つのではないかと思った。あるいは、存在感の薄くなったラジオの力を再認識する機会になるのかもしれない。

・で、さっそくサントラ盤を購入したのだが、高校生の頃に聴いた曲が多く、いくつかはドーナツ盤で買った記憶があるもので、懐かしい気がした。ビートルズもローリングストーンズも入っていないが、60年代後半のイギリスを中心にしたロック名曲集といった内容になっている。

・ところで、ロック音楽とラジオの関係についてだが、アメリカではイギリスとは逆に、ロックの誕生にはラジオの役割が大きかった。3大ネットワークがテレビ放送開始によって全米各地のラジオ放送局を売りに出して、その放送局が地域ごとに番組を作って放送した。ドーナツ盤やLPなどのレコードの新技術と相まって、DJがレコードをかけて番組を作る方式が定着し、そこに新しい音楽が生まれる下地ができたのである。イギリスの海賊放送が目指したのは、そんなアメリカ各地にあって若者たちに人気のラジオ放送だった。

・日本ではマスメディアとしてのラジオ放送局が深夜に番組を開始して、そこで欧米の新しい音楽をかけたから、ロックは日本でもラジオから流行したと言える。ただし、僕の経験で言えば、聴きたい音楽が最初に流れるのは進駐軍放送のFENだった。海賊ではなく進駐軍。共産圏への影響などもふくめて、ロックとラジオの関係を調べるのは案外おもしろくて、先行研究の少ない部分なのではないかと思った。

2012年11月12日月曜日

拝啓、オバマ大統領殿

 オバマ大統領殿

 大統領再選、おめでとうございます。選挙前の予想では、ほぼ互角でどちらが勝つかわからないと言われていましたから、選挙の結果は気が気ではありませんでした。
 4年前にあなたが、「チェンジ」とか「イエス、ウイー、キャン」といったことばでアメリカの若者たちの心をつかみ、新しいヒーローとして彗星のごとく登場したときのことを、今でもよく覚えています。就任の祝典には数多くのミュージシャンが歌い、ハリウッド・スターがスピーチをして讃えました。90歳になるピート・シーガーが歌う"This Land is Your Land"は、ほほえましくまた感動的でもありました。

 あれから4年弱、あなたは核軍縮を唱えてノーベル平和賞を受けましたし、保険制度の新設にも尽力されましたが、他方で白人保守層が巻き返しを狙って起こした「ティ・パーティ」の運動や、経済状況の悪化と失業率の増加、あるいは中間選挙で共和党に下院の過半数を占められたことなどによって、就任前に掲げた政策の多くを実現することができませんでした。支持率が落ち、批判や非難をされたのは当然ですが、しかし、イラクからの撤退やアフガニスタン問題も、リーマンショック後の経済の落ち込みも、ほとんどはブッシュ政権の失政の後始末で、そのことを共和党や保守勢力から非難されるのはお門違いも甚だしいと思いました。

 実は日本でも、同じようなことが起こりました。長年続いた自民党政権に変わり、民主党が政権を獲得したのでした。鳩山首相は自民党とは違ういくつもの政策を掲げて大きな期待を抱かせましたが、沖縄の普天間基地問題でつまずき、わずか1年で退いてしまいました。多くの日本人は幻滅して彼をアホ呼ばわりしましたが、アメリカの力、というよりはアメリカの意向を気にした勢力によってつぶされたのだと言う人もいます。

 日本は未曾有の大地震と津波、そして福島原発の事故によって、大惨事を経験しました。この処理のまずさを強く批判されて、次の菅首相もやはり1年で失脚しましたが、普天間基地同様、原発を推進してきた張本人の自民党は、自分の責任を棚に上げて、民主党批判に終始してきています。国会はやはりねじれ状態で、民主党の掲げた政策のほとんどは実行できていません。

 民主党3人目の野田首相は自民党にすり寄って、政権の延命を図りましたが、そのためにすっかり国民の支持をなくし、自民党からは選挙をせよと脅されてばかりです。このままでは、あなたの国とは違って自民党が政権を奪い返すかもしれません。危険な原発を廃止すべきという声は、国民の大多数の意見です。その力に押されて野田首相は逃げ腰ながらも廃止を政策として掲げました。しかし、自民党政権になれば、そんな頼りない政策さえもつぶされて、日本中の原発が再稼働してしまうでしょう。

 そこであなたにお願いがあります。次の4年間の政策の中に、日本のアメリカ軍基地の縮小と、アメリカにおける原発の新設をやめ、既存のものも年限を決めて廃止することを掲げて欲しいのです。日本の戦後の政治はアメリカ追随を第一の政策として実行してきました。日本独自の政策を狙った政治家はことごとく、つぶされてきたと分析する人もいて、アメリカの力は国民の声以上に強いのだとつくづく感じています。

 もちろん、あなたはアメリカの大統領ですから、日本とは利害の異なる点について、たとえばTPPのように日本に強行に迫らねばと考えている政策もあろうかと思います。しかし、それについても、言いなりになる日本の政治家や官僚たちばかりでなく、反対し抵抗する人びとの声にも耳を傾けて欲しいと思います。何よりあなたはマジョリティではなくマイノリティを代表する初めてのアメリカ大統領なのですから。

2012年11月5日月曜日

続・悪夢の選択

 ・政治の世界はいつでも、しょうもないと思うしかないものだった。しかし、今はその中でも、とびきりしょうもないと感じる。その一番の対象は、東京都知事を突然辞めた石原慎太郎だ。もう老害としか言いようがないが、本人は若いやつがしっかりしていないから、自分がやるしかないと言い放った。

・なぜ彼は、都知事を辞めて国政に転身するのだろうか。もっともらしい理由はいろいろあるのだろうが、一番は息子が自民党の総裁になれなかったことにあるようだ。そもそもやる気がなかった4期目の都知事選に出たのも、自民党の幹事長だった息子に強く説得されたからだった。公私混同もはなはなだしいが、彼の罪はこんなものだけではない。

・尖閣諸島を国営化したことに対して中国で起こった反日デモのきっかけは、石原がアメリカでした「尖閣諸島を東京都が買う」という発言だった。多くの日系企業が暴徒化したデモ隊に荒らされ、略奪され、日本車が壊されたり、不買運動が起きた。その被害は尖閣諸島の購入費の比ではないし、日本と中国の関係をめちゃくちゃにした責任はきわめて重いとおもうが、彼には、そんなことに対する責任などを感じる気持ちはまるでないようだ。むしろ、ますます過激になって、戦争も辞さないと言ったりもしている。

・石原はまた、「一度の事故で原子力の活用を否定するのはひ弱なセンチメントに駆られた野蛮な行為」だという発言もしている。しかし彼は、ディーゼル・エンジンの排ガスとは違って、放射能の被害に対する認識がない、家を捨てて暮らしている人たちが見えていない、重厚長大な産業を基盤とするシステムからの脱却という未来が描けていない、人の住まない島々の所有権を主張して起こる問題や被害に考えが及ばない、そして何より、オリンピックの誘致もあわせて、ナショナリズムを煽ることによって自らの存在を誇示しようとする以外に能がない政治家なのである。80歳になったこんなひどい政治家をマスコミはなぜたいした批判もせずに野放しにしているのだろうか。

・他方で、政治の話題は橋下大阪市長を中心にした「日本維新の会」にばかり向けられている。こちらの方にはマスコミもその出自を取り上げて批判をして、逆に抗議を受けたりもしている。「維新八策」では「先進国をリードする脱原発依存体制の構築」をうたっているが、大飯原発の再稼働を容認したり、離党した国会議員を寄せ集めたり、いくつもの政党との連携を模索したりと、信用できない行動が目立ちすぎる。最悪の総裁選びをした自民党ともあわせて、こんな力が政権を取ったらどうなるのかと考えると、暗澹たる思いにとらわれてしまう。

・「3.11以降、世界は変わったのです。」京大助教の小出裕章さんがくり返し口にすることばだが、世の中の空気は「たいしたことではなかったことにしよう」という気持ちで充満している。幸か不幸か排気ガスと違って、放射能は目に見えないし臭いもない。ないことにするためにはきわめて好都合だが、それで危険がなくなるわけではない。そんな不安感や危機意識を持つ人たちのデモが数十万人にも増えたが、こと国政選挙については、それを争点にすることができないようだ。

・反原発の声は多数派なのに、それを受け止める政党がない。なぜ日本には「緑の党」ができないのか。いや正確には、あってもないに等しいほど目立たないのか。「反原発」で政策の一致した政党が「オリーブの木連合」を目指して動き出すといった話も全く聞こえてこない。このままでは「悪夢の選択」すらしようがなくなってしまう。

2012年10月29日月曜日

雲と夕日

 

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・台風が過ぎた後の夕方に帰宅すると、きれいな夕焼けに迎えられることがある。朝は真正面から朝日を見て出勤し、帰りは夕日に向かって走る。まぶしいことこの上ないが、時折、思わず「きれいだ」とつぶやいてしまう光景に出会う。ほんの一瞬の美しさで、数分もすると薄暗くなってしまう。そんな瞬間を逃したくないから、カメラはいつも手放せない。

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・散歩や自転車の時にもいい風景に出会うことが少なくない。心動くのはやっぱり、雲と太陽だ。いつもの風景がいつもと違って見える。たとえば富士には笠雲がかかることがある。(左上)天気の下り坂を教えてくれるしるしだが、頂上にできた雲が飛ばされて意外なところに浮かんでいたりもする。(右上)笠雲と言えばアイガーの周辺を歩いているときにも現れた。(左下)その前日泊まった山小屋からは村だけを覆う雲が見えた。(右下)

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・雲と夕日がつくる風景を探してみたら、懐かしい写真が次々と見つかった。ポートランドで見たMt.クックには黒雲が重たく垂れ込めていた。(左上)イギリスの西端にあるSt.アイブスの夕焼け。(右上)親不知から見た日本海の夕日。(左下)、そして我が家から見た夕焼け。(右下)
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2012年10月22日月曜日

秋の山歩き

 

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・9月に出かけたのは北八ヶ岳の横岳、本栖湖の南にある龍ヶ岳で、10月になってからは富士吉田の東にそびえる杓子山に登り、先週は木曽の御嶽山に行ってきた。スイスで山小屋に泊まりながら歩くことになれたから、これからは国内でもという気になり始めている。とは言え、車で、ケーブルやロープウェイでできるだけ上まで行ってという横着な癖がついたのも確かだ。

forest103-2.jpg・北八ヶ岳の横岳はロープウェイで2237mまで上がることができる。坪庭という名の溶岩台地が広がり、南に広がる八ヶ岳の峰々が望めるから、ほとんど歩かなくても山登りをした気分になる。ロープウェイにはバスに乗ってきた団体客がたくさん乗っていて、そんな人たちの間を、僕は山頂まで行くんだよと言いたげにかきわけて行く。ただし、山頂は2480mだから登るのは250mほどにすぎない。楽勝だと思ったのだが、道は溶岩のがれきで足場が悪かったから、結構くたびれてしまった。

forest103-3.jpg・龍ヶ岳はクリスマスから暮れにかけてダイヤモンド富士が見られることで、最近人気になった山だ。僕はそのダイヤモンド富士を見ようと、この山に数年前に登ったが、霧が立ちこめていて途中で引き返したことがある。今回は前回とは違うルートから登り始めたのだが、天気が良かったのに、頂上に近づくとまた霧に包まれてしまった。何も見えない頂上は味気ないものだったが、植生の豊かさも実感して、この霧のおかげなのかもしれないと思った。

・立ち枯れしたブナの木にびっちりとキノコが生えていて、食べられるものとわかったら持って帰るのに、と残念な気がしたが、野生のキノコはまた、放射能の影響を受ける植物だから、摘んで帰って食べたりしないほうがいいな、とも思った。ちなみにこのキノコはムキタケという名でたべられるもののようだった。

forest103-4.jpg・山の幸ということでは、僕には秘密の栗の木がある。去年は実をつけなかったが今年は大豊作で、右のようなたくさんの栗を収穫した。自転車で坂道を登っていて、もう歩こうかと下を見たときに道路に転がっている栗に気がついたのが最初だった。

・栗はその日のうちに皮をむき、一日水につけて渋皮をむく。拾うときは夢中で楽しいだけだが、後の作業は簡単ではない。実は今回は2度出かけて、同じくらいの量の栗を収穫した。だから、皮むき作業も大変だったのだが、そのほとんどを冷凍保存にした。スープにしたり、あんこにしたりして、最後は正月の栗きんとんにする。面倒だけど秋の一番の楽しみである。

・で、先週は木曽の御嶽山に登った。3000mを超える山だが2100mまで車で行くことができる。とは言え、登山道はがれきと階段できわめて歩きにくく、快晴だったが吹き飛ばされそうなほど風が強かったから、頂上に着く前からへとへとになってしまった。指先の感覚がなくなるほど寒く、高山病の症状もでて頭痛がしたが、雲一つない眺めは素晴らしかったし、紅葉も美しかった。


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2012年10月15日月曜日

社会や政治を変えることは可能なのか

孫崎享『戦後史の正体』創元社
小熊英二『社会を変えるには』(講談社現代新書

・3.11以降、政治の動きやメディアの対応について、その裏側が見えるようになり、一つの動きやそれに関わる情報操作が、どんな力によって、どんな意図のもとに行われているのかがわかりやすくなった。たとえば原発の廃止という国民の世論に対して反対するのは電力会社はもちろん財界もだが、アメリカや英仏も即座に反応したようだ。しかし、そのようなニュースは、実は、欧米という虎の威を借りた日本の狐が発信源だったりして、しかも、メディアはそんな意図など関係ないかのように、無批判に垂れ流してしまっている。そんな仕組みが露呈されているのになお、同じことをくり返す政治やメディアの現状は一体どうすれば変えることができるのだろうか。

magosaki.jpg ・孫崎享の『戦後史の正体』は最近のベストセラーで、戦後史の裏側を政治家や官僚の回顧録や公文書を読み解きながら暴露した内容になっている。おそらく3.11以前ならば、一つの裏話として読まれたのかもしれないが、現在の状況と照らし合わせると、きわめて説得力のある政治史として読むことができる。

・第二次世界大戦に敗北した日本は、連合国に対する無条件降伏とアメリカによる占領政策によって戦後の時代を歩き始めた。憲法はもちろん、何から何までがアメリカの意向によって決められ、それに逆らったり抵抗したりすれば、政治家は公職追放になり、また何らかの罪をきせられて投獄されたりもした。戦後の日本の政治は、「アメリカ追随」と「自主」という二つの路線を巡って争われ、そこにアメリカが時に正面から、そしてまた時には裏面から介在して圧力をかけて操ってきた。この本が主張しているのは何よりその点にある。

・たとえば、そのような視点から歴代の首相が行ってきた政策や人物に対する評価を見直すと、世に言われてきたものとはずいぶん違った解釈ができるようになる。汚職や醜聞で失脚したり、無能だと酷評された政治家には例外なく、アメリカの意にそぐわない発言や行動をしたという共通性があるからだ。そのことは陸山会事件で起訴された小沢一郎や、普天間基地を巡って迷走した鳩山元首相まで一貫したことである。

・アメリカの力という点では、自衛隊や米軍基地はもちろん、領土問題や原発政策でも同様だ。ポツダム宣言で日本の主権が認められた領土は北海道、本州、四国、九州と連合国が認めた諸小島だが、アメリカはソ連の参戦を促すために国後、択捉の領有を認めておきながら、戦後になると日本に対してそれらを「北方領土」としてソ連に返還要求をするよう圧力をかけたようだ。同様のことは尖閣諸島についても行われていて、孫崎は、アメリカのそのような政策を、日本がソ連や中国と対立して、独自の外交を行わせないようにするためだったと解釈している。


oguma.jpg ・戦後の日本は、そのアメリカの占領政策によって、「自由」と「民主主義」を教えられた。急速に経済成長を成し遂げるきっかけも朝鮮戦争だった。小熊英二の『社会を変えるには』は、3.11以降に顕在化したさまざまな問題について、多くの人びとがその対応を政治家や官僚には任せておけないと感じ始めたこと、マスメディアを無批判に信用してはいけないと気づき始めたこと、そして、デモという直接行動やソーシャル・メディアを使った発言にその解決策を見つけ出したことなどを出発点にして、「社会を変える」方策を探ろうとしたものである。

・この社会を変えるためには、やはり、現在の社会がどのような道筋を通って現在に至ったのかを知らなければならない。この本はそのことを「工業化社会」から「ポスト工業化社会」に変わってきた日本の現況と、その過程の中で、国の政策に反対し、抵抗してきた社会運動の歴史を振り返ることから始めている。そして、「自由」と「民主主義」あるいはそれを具体化する「代議院制度」について、ギリシャまでさかのぼり、近代化の中で重要な役割を果たした多くの思想や哲学に触れながら、これから取るべき方向性を探ろうとしている。

・日本人にとって「自由」や「民主主義」は自らの手で勝ち得たものではなく、天から降るようにして与えられたものである。だから選挙で投票して政党や議員を選び、その代表者たちに政治を任せることを「民主主義」の唯一の方法だと思い込んできた。しかし、そのようなシステムでは、自分の意見が反映されないし、任せておけないと多くの人が感じるほどに不安感や不信感が蔓延するようになった。

・そんな思いをどのようにして具体化していくか。小熊は「自分がないがしろにされている」という実感から出発することが大事だという。それは個々さまざまに現れて、時に差別意識や嫉妬心を増長させて、特定の人びとへの攻撃に向かう危険性を持っているが、「原発問題」には大きな「われわれ」意識となって、国を動かす力になる可能性がある。そのことは今年の夏を頂点に、東京だけでなく全国で起こった反原発デモで垣間見ることができたことである。この運動をどのように持続させ、もっと大きな「われわれ」意識にしていくか。

・やり方はいろいろであっていいし、主張もいろいろであっていい。「『デモをやって何が変わるのか』という問いに『デモができる社会が作れる』と答えた人がいましたが、それはある意味で至言です。『対話して何が変わるのか』といえば、対話ができる社会、対話ができる関係が作れます。『参加して何が変わるのか』といえば、参加できる社会、参加できる自分が生まれます。」(pp.516-517)