2015年11月30日月曜日

冬の仕事

 

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woodcut1.jpg・もう年中行事だが、今年も薪割りをはじめた。2mの原木を5等分にする。今年はチェーンソーの調子が悪くてこれに手間取った。掃除をし、点火プラグを交換し、混合ガソリンも新しいものにした。これまで一度も触ったことがなかった,回転数を調整するLとHのネジも動かしてみた。おかげでアイドリング状態でエンジンが止まることがなくなった。何とか回復したのだが、それでも、力は弱くなっている。しかしこれ以上は手に負えないので、業者にみてもらわなければと思っている。

・今年は暖かい。だから例年なら10月の後半からストーブを焚き始めて,今頃は火を絶やすことなく一日中燃やしているはずなのだが、今年は暖かくて昼間は消すことが多いし、夜でもファンヒーターで済ますことがあった。それでも、床下にウレタンの断熱材を吹き付けたせいか、部屋の温度が24度にもなって、Tシャツで過ごしたりもした。さて、最低気温が零下になったらどうなるか。

・暖かければ薪の消費量は減る。それはいいことなのだが、雨が降ってばかりで、外に積んである薪や玉切りした原木にカビが生えてしまった。何より薪の乾きが今ひとつだから、燃えにくい心配もある。寒ければ寒いなりに,暖かければ暖かいなりに,不安は尽きない。薪の乾き具合を判断するのは簡単ではない。そこで、薪の水分を測る含水計を購入した。針を刺して測るものだが,当然太い薪の芯の含水量はわからない。割って中を測って,表面の数値を足して2で割るのだと教わった。すべての薪を割るのは面倒なので、積んだ場所のサンプルだけ、やってみることにした。

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・まず割ったばかりの薪から。測ると36%あった。当然だが,水分を大量に含んでいる。次に1年以上乾かした木。これは13〜20%あたりまで幅があった。その13%を割ると中は23%で、足して2で割ると18%。20%内に収まっているから合格だ。試しに木工用に保存してある白樺の木を測ってみた。もう10年近く経っているから3%でカラカラに乾いている。いずれにしても表面が20%i以上なら、まだ早いという目安はできた。

・ところで我が家のログハウスは直径が60cm以上もある大木だから、梅雨時から夏には水分を吸い込み、秋から冬にかけては吐き出している。だから梅雨の初めや冬には,「バキーン」とすさまじい音を立てて割れる。知らなければ「ポルターガイスト」かとびっくりしてしまうだろう。だからといって真っ二つに割れるということはない。最初から割れを予測して、切れ目を入れてあって,それは中心のところで収まるからだ。

・先週は扁桃腺の痛みから始まって、鼻づまり、咳、そして熱が出て,腰痛に頻尿と散々だった。薪割りもできなかったし、自転車にも乗れなかった。少し良くなったから仕事には行けるだろうと思う。何しろ卒論の締め切り間際で,卒論集を作り始めなければならないのだ。

2015年11月23日月曜日

戦争とテロ

・パリでの多重テロ事件以降、テロを強く非難する声が世界中で発せられている。コンサート会場やレストランでの無差別殺戮だから、残忍とか非情といったどんなことばを使っても言い表せないほどひどい行動だとは思う。僕も去年の夏にはパリに行って、現場近くを歩いたり、レストランで食事もした。巻きこまれたらと考えるとぞっとして、しばらくはヨーロッパには行けないな、と強く感じた。

・このテロに対しては,さっそく報復の空爆が行われているし、EUに押し寄せている難民を追い返したり,国境を封鎖したりといった行為が始まっている。「やられたらやり返す」というのは9.11でも強い世論の支持を得た「常套手段」だが、それが解決ではなく,さらなる混迷をもたらす道であることもまた、すでにわかりきったことである。テロが世界中に広がって,日本とて狙われる危険がある。そんな危機感を理由に安倍首相は勇ましい発言をしているし,自民党は第二次大戦前を思い起こさせる「共謀罪」を法案として提出させようとし始めている。こんな空気の時に言っても無駄だという気もするが,こんな時だからこそ,思うところを書いておかねばとも考えた。

・戦争とテロとの違いはもちろん、残酷さとか非道さで区別できるものではない。それは単に国同士で戦うのが戦争で、そうでない組織や一派であるのがテロだというにすぎない。国同士なら,互いの立場にたってその正当性や正義を表明できるが、相手が国でなければ,極悪集団と見なす。だから戦争は勝った方が正義になるが、テロに対しては,それに屈せず撲滅することが正義になる。そもそも戦争自体を悪とする考えは,比較的新しいものでもある。つまり、それは勝敗に関係なく,とんでもない被害をもたらすことになった、20世紀の二つの大戦の教訓だったのである。

・核をはじめ大量殺戮兵器を互いにもつようになった現在では、国家間の戦争はできないようになっている。そもそも政治的に対立しても,経済的には互いに依存してもいるのである。だから外交交渉で,戦争にはならないように調整するのだが、国家内の紛争では,すぐに武力衝突となる。民族、宗教、あるいは経済的格差を理由にした衝突で、その原因を探ると、そこにはまた大国の存在が見え隠れする。地域紛争に名を借りた国家間の対立といったケースも少なくないのである。

・そもそもパリのテロを首謀したイスラム国ができたのは、9.11の報復としてブッシュ元大統領がやったアフガニスタンとイラク侵攻が原因である。もちろんそこには、9.11を起こす理由として,それ以前にアメリカが中東で行ってきた、さまざまな行動があった。アメリカが倒したフセイン政権はアメリカ自身が後ろ盾になって成立させた政権だったし、イランの宗教革命だって、アメリカの傀儡政権を倒すために行われたものだったのである。

・ブッシュはイラク侵攻を正当化するために,生物化学兵器の存在やアルカイダとのつながりを強調したが、それがでっち上げだったことはすでに明らかになっている。そして、現在の状況をもたらした原因を作った張本人には、ほとんど非難の目が向けられないし、もちろん反省の弁もない。テロを起こす奴は害虫だから殲滅しなければならないし,そのためには何をやってもいい。そんな発想では、解決の道は見えてはこないのだが、世界の空気は,それ一色に染まりつつあるようだ。

・ヨーロッパを旅していて,それぞれの国境がないも同然になっていること、貨幣がユーロに統一されていることなどで、あたかも一つの国であるかのように感じてきた。国同士が長い間繰り返してきた戦争と、20世紀の二つの大戦がもたらした悲劇を反省してできた枠組みだが、それが今、テロと押し寄せる難民によって消滅の危機にさらされている。同様の危機はもちろん日本も直面している。交戦権を放棄した平和憲法が壊されて、戦争に荷担する国になりつつあるからだ。

・世界が壊れはじめているという不安と、その壊れ方は20世紀の二つの大戦の比ではないだろう、という恐怖を漠然と感じてしまう。そんなのは危惧だと言われるかもしれない。危惧ならもちろん結構だが、そうならないようにしようという冷静な対応がもっと大きな声にならなければと思う。

2015年11月16日月曜日

紅葉と蕎麦

 

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・今年はいつまでも暖かかったが、紅葉はいつも通りに始まった。家の中から紅葉の進み具合が見えるのは贅沢だ。車についた落ち葉の始末に難儀するとは言え、屋根やバルコニー、そしてもちろん庭が一面落ち葉に覆われるのは、悪くない。河口湖にも大勢の人が紅葉見物に押しかけている。車に乗っても、自転車に乗っても邪魔くさいだけだが、町の活性化だと思って文句は言わないことにしている。もっとも歓迎できる客もあった。渡り鳥のジョービタキである。こんな鳥が部屋から観察できるのも、森の中に暮らす者の特権だろう。

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・我が家や付近の紅葉を眺めていたら、よそのはどうかが気になって、毎週あちこちに出かけた。ついでに新そばを食べようといことになって、出かける前にネットで調べることもした。北杜市の伊奈湖、八ヶ岳の蕎麦屋、秩父の三峯神社、そして上日川峠と渓谷の蕎麦屋などである。平日だからどこも人は少なく、パートナーは歩行の練習2kmをノルマにした。蕎麦はどこも量が少なくて、どこに入ったかという感じだった。本格的な蕎麦屋には天ぷらのメニューがない。それは残念だったが、そば湯を飲むとそれなりに腹がふくれることを改めて実感した。

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2015年11月9日月曜日

ディランとザ・バーズ

 

Bob Dylanl "Bob Dylan 1965-1966"
The Byrds "Untitled"

dylan65-66.jpg・ディランのブートレグ・シリーズも12作目になる。今回は1965年から66年にかけて発表されたアルバム『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』、『追憶のハイウェイ61』、『ブロンド・オン・ブロンド』のデモテープから抜粋されている。アコースティック・ギターからエレキに持ち替え、(ザ)バンドを従えて大変身したというだけでなく、フォークとロックの融合という、ポピュラー音楽に大きな変化をもたらした時期である。この直後にバイクで事故を起こし、ディランは沈潜した。前作の'The Basement Tapes" は、その休養期に自宅の地下室で録音したテープだった。

・僕が初めて聞いたディランは「ミスター・タンブリンマン」や「ライク・ア・ローリング・ストーン」で、まさに1965年のことだった。高校生で、夜中に聞いていたFEN(米駐留軍放送)から流れてきた時の妙な高鳴りを、今でも思い出すことができる。歌や音楽に対して初めてもった感動だったからだ。すぐにレコードを買って何度も聴き返した。しばらくしてフォーク・ギターを買い、ディランの歌を訳して歌うようにもなった。

・"Bob Dylan 1965-1966"はデモテープだから、正規版とは違ってギターだけで歌っているものもある。バックつきでも、歌い方も演奏も、少し違っているものもある。それに合わせて口ずさむと、ほとんど歌詞を覚えている。いかによく聴き、自分で歌っていたか、今更ながらに懐かしくなった。もう半世紀も経っているのにである。

thebyrds1.jpg ・アマゾンでこの予約をしたときに、The Byrdsの見慣れないアルバムに気がついた。タイトルも"Untitled"で、何かいわくがありそうだった。The Byrdsはディランの「ミスター・タンブリンマン」で脚光を浴びた。というより、ディランをポピュラーにする役割を果たしたバンドだったと言えるだろう。実際この2枚組のアルバムにもディランの曲がたくさん入っていて、そのほとんどは"Bob Dylan 1965-1966"に収められたものである。

・"Untitled"は1970年に行われたライブとスタジオ録音で構成されている。メンバーも替わり、カントリー・ウエスタンに変わった時期だが、ヒットした曲のほとんどが収められている。70年に2枚組で発売されたものだが、CD版は2000年に発売されていて、LP版を1枚に入れ、2枚目には未発表音源ばかりの曲を入れている。新しいものではないが、ディランのブートレグと併せて聴くと、当時の音楽状況と、僕が夢中で聴いていた音楽が彷彿されて、聴き入ってしまった。

・結成期のメンバーだったデヴィッド・クロスビーはその後Crosby, Stills, Nash & Youngなどとして活動し、現在でも「ウォール街を占拠せよ」といった運動に参加して、元気のいいところを示している。息子との共作アルバム"Croz"が去年出ているようだ。ディランと同様、70歳を超えても現役でがんばっている。

2015年11月2日月曜日

新聞の記事比較<uttiiの電子版ウォッチ>


・僕が新聞を読む時間は、毎朝15分程度にすぎません。我が家に来る新聞は朝夕刊セットですから、記事の多くはすでにネットで知っているものが多いのです。興味のある特集や連載記事、あるいはおもしろそうなコラム以外には、ほとんど見出しだけの飛ばし読みが普通です。こんな読み方だから、ずいぶん前から新聞はやめてもいいと思ったり、ネット購読にしようかと考えたりもしたのですが、今ひとつ決めかねていました。

・もっとも3.11以降、原発再稼働や辺野古基地、そしてTPPや戦争法案といった問題について、新聞やテレビ各社の姿勢や論調がずいぶん違うという現象が起こるようにもなりました。ニュースの取り上げ方や時間の長さ、新聞の記事の大きさ、あるいは一面掲載の仕方の違いが、現政権に対する距離の違いであることが、あからさまになってきたようです。そんなことが気になっていた時に、各新聞社の主な記事を比較するメルマガの存在を知りました。

・「Uttiの電子版ウォッチ」という名で発行者は内田誠さん。彼は長いことテレビやラジオのニュース番組などでレポーターをやってきた人で、僕が会員登録をしている「デモクラTV」の中心スタッフでもあります。「デモクラTV」は中味がずいぶん豊富になっていて、愛川欽也の「パックインジャーナル」を引き継いだ「本会議」のほか、多様な番組がつくられています。内田さんも「ウッチーのデモくらジオ」(金8:00p.m.)という2時間のDJ番組をやっていて、僕は毎週聞いています。そこでの発言に共感することが多かったので、新聞の記事比較をメルマガでやるという話に、すぐに乗って購読を始めました。購読料は月額324円で、日曜と祝祭日以外の毎日発行です。

・「Uttiの電子版ウォッチ」が比較するのは「朝日」「毎日」「読売」「東京」の4紙です。「産経」や「日経」を取り上げないのは、比較するまでもないという、彼の判断によっています。現政権を支持する御用新聞であることは明白で、それなら「読売」もいらないとも言えるのですが、比較するのに1紙は必要なんだと思います。何より「読売」は発行部数世界一位の新聞なのですから、無視できない力を持っているのです。

・4月から始まって現在まで、7ヶ月で165号になりました。現政権を支え続けている「読売」と、安倍批判を明確にしている「東京」の違いは言うまでもありませんが、あいだの「朝日」と「毎日」のぶれ方がなかなかおもしろいと思いました。批判はするけど、少し控え目にといった態度は、「東京」の記事や見出しと比較すると、よりはっきりしてきます。1紙だけではわからない、新聞社の立ち位置がよくわかるようになりました。たとえば、強行採決直前の9月17日の一面見出しは、各社次のようでした。


《朝日》…「安保 採決巡り緊迫」「参院委 総括質疑に野党抵抗」
《読売》…「安保法案 審議大詰め」「参院委開催巡り混乱」
《毎日》…「安保法案 最終攻防」「与党 採決譲らず」「野党は徹底抗戦」
《東京》…「安保法案成立へ 自公強行」「声に背を向け」

・並べてみるとなるほどという見出しの違いだと思います。半年以上このメルマガにつきあってきて、その間に戦争法案の可決や原発の再稼働、そして沖縄の辺野古基地をめぐる政府と県の対立などについて、新聞各社の違いがよくわかるようになりました。もっとも、このようなメルマガを毎日出すというのは、ずいぶん大変なことだろうと思います。多い日には7000字を超えるということもありますから、読み比べて考え、書く時間が一日がかりといったときもあるはずです。遅いときには夜の8時過ぎに届くといったこともありました。

・こんな努力を支えるためにも、一人でも多くの人に購読者になってほしいと思います。

2015年10月26日月曜日

南京と広島,加害と被害

 

ジョン・W.ダワー『容赦なき戦争』平凡社ライブラリー

加藤典洋『戦後入門』ちくま新書

・中国がユネスコの「世界記憶遺産」に南京大虐殺の資料を申請して,登録が認められた。安倍政権はさっそく抗議をし、ユネスコに払っている分担金(37億円)を停止すると発言して、国の内外から批判を浴びている。当の事件については30万人説から捏造説まで多様にある。しかし、数はともかく実際にあったことは間違いなかったとされているのにである。

dower.jpg・ジョン・ダワーの『容赦なき戦争』は第二次世界大戦における連合国と枢軸国、とりわけアメリカと日本の間で,実際に行われた戦闘と情報戦争について、「人種差別」を基本にして考察したものである。つまり、第二次世界大戦は「人種戦争」だったというのが,本書の結論である。

・日本のアジア侵略には、欧米によって植民地化されたアジアを解放するという大義名分があった。しかし現実には、日本は植民地の独立ではなく,領土拡張をして新たな宗主国になった。この戦争の過程の中で日本軍が行った捕虜や民間人に対する虐待や虐殺は、南京だけでなく香港やマニラ、シンガポール、そしてタイやビルマでくり返しおこなわれている。

・日本にとって連合国は「鬼畜」として敵視されたが、アメリカにとって日本は、真珠湾を奇襲した卑劣な国、天皇のために死ぬことを厭わない狂信者の国、そして民間人を無差別に殺す国としてイメージされた。そこにはもちろん、白人の黄色人種に対する差別意識があって、日本人は猿同然の劣等人だから、戦争に勝つだけではなく,日本人全体を絶滅させなければならない、といった論調で強化されていくことになった。

・ダワーは、アメリカ軍による日本の多くの都市の空爆や、広島・長崎への原爆の投下を実行した裏には,こんな考え方があったと言う。ドイツに対しては「良いドイツ人」と「悪いナチス」といった区別があったのに、日本に対しては「悪いジャップ」しかなかった。それは日系米人だけを収容所に隔離した政策にも明らかだというのである。

tenyo1.jpg・それではなぜ日本は国として、敗戦後にこのような人種差別を訴え,広島・長崎への原爆投下について、アメリカに抗議をしてこなかったのだろうか。加藤典洋の『戦後入門』には、その理由が詳細に検討されている。
・本書が問題にするのは連合国が日本に降伏を迫った「ポツダム宣言」(1945)と「サンフランシスコ講和条約」(1951)の違い、つまり連合国ではなく、アメリカ単独で結ばれた「日米安保条約」の存在である。「ポツダム宣言」のままであれば、日本は1952年には独立して、占領状態が終わっていたはずなのに、「日米安保条約」によってアメリカ軍の駐留が続き、独立が曖昧なままになった。そして、この状態は60年、70年に改訂されて今日に至っている。

・この曖昧さは、交戦権はもちろん武力の保持も禁じた「日本国憲法」と自衛隊の存在、戦争に対する加害者としての責任と被占領国への謝罪、そしてアメリカ軍による原爆投下と大規模な空襲に対して被害者として行うべき抗議、さらには戦争で命を落とした人への態度の有り様など、あらゆる点に及んでいて、ほどけない糸のように絡まり合い,いくつものねじれを生じさせている。

・加藤は現在の安倍政権を「対米従属の徹底と戦前復帰型の国家主義の矛盾」と捉えていて、その破綻が目に見えている今こそ、それに代わるオプションが必要だと言う。つまり、「戦後の価値に立った自己をはっきりと国際社会に宣明することからはじめて『対米自立』して、『誇りある国づくり』をめざし、平和主義を基調に新たに国際社会に参入する」と言うのである。

・僕はこの提案に諸手を挙げて賛成する。もちろん、これを実現させるのは容易ではない。しかし、沖縄の辺野古基地に反対すること、可決してしまった戦争法案の破棄に向けた動きに賛同すること、南京事件や慰安婦問題に真摯に対応すること、そして「日米地位協定」の見直しをアメリカに提案することなど、やるべきことはいくつでもある。

2015年10月19日月曜日

ラグビーと難民

・ラグビーのワールドカップで,日本が強豪の南アフリカに勝った。番狂わせと大騒ぎになって,日本でもにわかラグビー・ファンが急増したようだ。僕もほとんど注目しなかったのに,試合の再放送を見て久しぶりに興奮した。その後のスコットランド戦、サモア戦、そしてアメリカ戦はライブで見たが、日本の強さに驚くやら,感心するやら,改めてラグビーのおもしろさを堪能した

・僕がラグビーを見なくなってずいぶんになる。見はじめたのは高校生の頃で、大学選手権は暮れから正月にかけてテレビで見る人気番組だったし、その後の社会人との日本選手権まで、冬のスポーツはラグビー一色だったように記憶している。明治大学、新日鉄釜石の黄金時代を築いた松尾雄治や、同志社大学と神戸製鋼を強豪にした平尾や大八木が活躍したのは、70年代から80年代にかけての頃だった。

・そのラグビーの人気が衰えたのはサッカーのJリーグの発足が原因だと言われている。平尾や大八木に続くスター・プレイヤーが生まれなかったし、早稲田や明治、あるいは同志社といった大学の力が落ちて,大東文化大学や関東学院大学、そして帝京大学などが台頭したこともあげられるだろう。サッカーのJリーグが軌道に乗り,ワールドカップにも出場したのに比べ、ラグビーは徐々にマイナー・スポーツになり,ワールドカップ自体ももほとんど注目されなかった。

・ラグビーのワールドカップは1987年から始まっている。日本は第1回から連続して出場しているが、前回大会まではわずかに一勝で、ほとんどニュースにもならなかった。そんな成績だったから,次回の東京大会もあまり話題にならなかったのだが、今回の活躍で、急に期待感が出てきたようだ。それはそれで結構だが,ひとつ気になることがある。それは日本チームに外国人が多く含まれていることに対して,違和感をもつ意見が多く聞かれた点である。

・ラグビーの代表チームは国籍で制限されていない。条件としては出生地が日本であること、両親、祖父母のうち一人が日本人、日本で3年以上継続して居住していることの三つである。国籍に囚われないことには,ラグビーの発展の歴史が関係している。ここでは省略するが、たとえばアイルランドは北アイルランドとの混成チームだから,ふたつの国が一緒になっている。紛争が続いた国がひとつになっているのである。

・日本チームに所属している外国人選手のほとんどは社会人リーグのチームに所属している。大学から,あるいは高校から日本に居続けている人もいるし,日本人の女性と結婚している人もいて,日本国籍を取得した人もいる。野球やサッカーにいる助っ人とは違う人たちであるのは、詳しく見ればすぐにわかることである。

・もっとも、国を代表する選手が、必ずしもその国固有の民族や人種に限らないことは,アメリカはもちろん、EUの国でも当たり前のことである。それはロンドンやパリの町を歩いた時に出会う人たちの肌の色や衣服が多様であることからすれば,当然のことのように思われる。旧植民地からの移住、移民、そして難民など、多様な人たちがひとつの国を構成する。その当たり前の傾向が,日本ではまだ不自然なこととして思われている。

・安倍首相が国連での記者会見で,シリアの難民問題に答えて、「難民」と「移民」を混同するような発言をした。信じられない、的外れで陳腐な発言として受け止められたようだ。しかしその発想はまた,多くの日本人に共通するもののようにも思われる。外人、異人はどこまで行っても,どんなになっても日本人ではない。だから弱い者には排除や差別の意識が向けられるし、強い者はお別火(同じ釜の飯を食わせない)扱いする。

・シリアを初めとして世界の各所で生じている難民問題に知らぬふりを決めこむかぎり、そんなガラパゴス的風土はいつまでたっても改まらない。その意味で,ラグビーのチーム編成が、難民を受け入れるきっかけになれば,と思ったのだが、そんな意見はほとんど聞こえてこない。