2016年6月27日月曜日

EUを壊してはいけない

・英国が国民投票でEUからの離脱を選択しました。世界中の株価が暴落し,円が急騰して、もっぱら経済的な大事件として扱われています。リーマンショック級の出来事だとも言われますが、僕はそれ以上に大変なことではないかと思いました。EU(欧州連合)は2度の世界大戦で疲弊したヨーロッパ諸国の人びとが、もう戦争はごめんという反省のもとに作られた制度だからです。アンソニー・ギデンズの『揺れる大欧州』(岩波書店、2015)は1946年9月にチューリッヒ大学で行ったウィンストン・チャーチル英国首相の次のような演説からはじめています。


・奇跡によってすべての光景が変わるような救済、ヨーロッパ全土で大多数の人々がみんなで選び取れば、常に救済はある。……この至上の救済とは何だろうか。それは、できる限り、ヨーロッパの家族を再び創造し,平和や安全、自由の下で暮らせる仕組みをつくることである。われわれはヨーロッパ合衆国のようなものをつくらなければならない。

・EUは強い反省のゆえに奇跡的にできた、国家を統合する組織です。既存の国家はそのままに国境を緩やかにして行き来を自由にし,ユーロという新しい貨幣を造りました。国家間には経済格差がありましたから、インフレに苦しむこともありましたが、経済成長を促すための資金援助をして、平和で安全で自由な豊かな大欧州を目指したのでした。

・英国の離脱の理由は、シリアなどからの移民の流入やドイツ中心で官僚的な体制に対する批判、あるいはかつての大英帝国復活を願うナショナリズムにあるようです。残留を支持したのは都市に住む高学歴で国際的な経験があり,比較的高収入の人と若者層で、離脱支持者には地方の労働者階級でEUの恩恵を感じられない人や高齢者たちだと言われています。

・イギリスの離脱によってスコットランドが独立の国民投票をもう一度やろうと言いはじめてますし、北アイルランドでもアイルランドとの統一の気運が高まりそうだと言われています。他にも離脱する国が追随すると、たとえば、スペインにおけるカタルーニヤやスペインとフランスにまたがるバスクのように、国を分裂させて独立する動きが起こるかもしれません。EUの崩壊は同時に、既存の国の分裂を起こしかねないのです。

・EUにはすでに財政の破綻したギリシャだけでなく、不況の続くスペインやポルトガル、そしてイタリアをどう建て直すかといった難問を抱えています。新しく加入した東欧諸国との経済格差の解消も解決しにくいテーマでしょう。これほど経済力の違う国々を単一の通貨、ユーロで統一させていくのが無理なことなのかもしれません。

・今回の国民投票で唯一明るい光のように見えたのは,若い世代の多くが残留に投票したことでした。ウルリッヒ・ベックはそのことを『ユーロ消滅?』(岩波書店、2013年)の中で次のように指摘しています。


・若いヨーロッパ人はまず自らの国籍を通じて,それからヨーロッパ人として自己規定するのである。国境がなく共通の通貨をもつ欧州は,かつてなかったような移動のチャンスを彼らに提供している。そしてこの移動は、きわだつ文化的な豊かさ、言語、歴史、美術館、博物館、食文化等の多様性をもった社会空間において行われるのである。(86p.)

・EUは発足してすでに20年になる。若い世代の人たちにとってEUは、自らの国と同様にアイデンティティの拠り所になっているのです。この「コスモポリタン的自由」(ベック)を国民国家主義者の不法な介入から守るにはどうしたらいいのか。ヨーロッパ人であることを血肉化した若い世代の動きに期待したいものです。

2016年6月20日月曜日

桝添イジメで隠されたもの

・桝添東京都知事が辞任をした。外遊の多さや公費を使った贅沢三昧の話題が出た時から、奴ならやりそうなことという感じで、聞きたくもない話だと思っていたが、テレビもラジオも新聞も連日、桝添一色になった。ことの重要性よりは桝添のせこさと言い訳の面白さが過熱の原因だったようだ。視聴率が上がったのだからやらないわけにはいかないといった弁明も聞こえてきた。

・お陰で隠れてしまった問題は数知れない。国会が閉幕した途端に甘利が退院をした。検察も不起訴という結論を出した。甘利も検察も、アマリに見え透いた態度だが、テレビはもちろん,新聞も話題にしない。桝添に隠れたというよりは、メディアが政権に遠慮しているというほかはないだろう。その証拠に,桝添が辞任しても,次は甘利だという声はほとんど聞こえてこない。

・安倍首相の消費税増額の延期の弁明もひどいものだった。アベノミクスは順調だが世界がリーマン・ショック前夜にある。サミットでは反論されて引っ込めたのに、「危機(クライシス)」を「危険(リスク)」と言いかえて、「新しい判断」として延期を決めたと発言した。前回延期をした時には,経済状況にかかわらず実行すると大見得を切ったのにである。

・消費税再延期の理由が日本の経済状況の悪さにあるのは明白である。安倍首相は中国や新興国の経済状態の悪さを理由の一つに挙げたが、中国やその他の新興国の経済成長は鈍化したとは言え続いている。サミット諸国の経済の現状や予測もわずかではあるがプラスである。ただ日本だけがマイナスになっているのだから、理由はアベノミクスの失敗にあることははっきりしているのだが,そのことを正面から批判するメディアは皆無だ。

・だから安倍内閣の支持率は相変わらず下がらないままである。立法府の長だという信じられない失言をしても、誰も騒がない。内閣総辞職に値する失言や失政を何度やればいいのだろうか。おそらく、このまま参議院選挙になれば、自公は大勝ちしないまでも負けるということはないだろう。と言うよりは大勝ちされたら大変なことになる。何しろ安倍にとっては憲法を代えることが最大の目的で、参議院で3分の2を取れば,すぐにでもそれに取り組むつもりなのだから。しかし、今度の参議院の争点として,そのことはほとんど触れられていない。

・この手法は前回の参議院選挙や衆議院選挙と同じ戦術である。争点を隠して「秘密保護法」や「安保法制(戦争法案)を成立させてきたのだから、今回もその魂胆は明白だが、それもまた、大きな話題になって争点化することはないだろう。メディアへの圧力とそれを利用した露骨な大衆操作がこれほどうまくいっていることに僕は呆れるが、この先の日本の状況を考えると絶望的にもなってしまう。

・「パナマ文書」はどうなっているのか。五輪誘致のための裏金問題はどうなるのか。保育所の問題はと、消えてしまった話題はまだまだたくさんある。

2016年6月13日月曜日

Appleのバッテリー

・Appleの製品は、どんなものでもバッテリ交換が簡単にできない構造になっている。だから交換はAppleストアに持ち込むか,送るかしてやってもらわなければならない。ぼくはiPodを二つの他にiPhoneとiPadを持っているが、そのすべての電池がダメになってしまった

ipod1.jpg・最初に買ったiPodは2004年のもので、二つ目は2008年である。どちらも電池がダメになった時には交換もできないことになってしまっていた。とはいえ、家や車で電源に繋いでおけば聴けるから,両方とも今でも使っている。不便だけど使えるからいいかと思っていたが、買って2年弱のiPhoneのバッテリーがダメになった。

・Appleストアに持っていくのは遠くて面倒だし、送って交換してもらうと何日もスマホなしになってしまう。そこでネットで調べて、Amazonで工具つきの電池を買うことにした。交換してもらうと一万円ほどかかるが,電池は工具つきでも1600円ほどで、YouTubeでみると,やさしくはないができないこともないと思った。

ipod.jpg・交換作業は難しかった。しかも、蓋をしてスイッチをオンにすると画面に縦縞が出てタッチ操作がまったくできない。そこでまた開け直してやり直した。何とか元に戻ったので、ついでにIPod(Classic)も交換することにした。しかし,こちらは,専用工具を使ってもまったく蓋が開かず、無理にやったから傷だらけになってしまった。とにかく聴けるようにはなったが、無残な姿である。もう持ち運びはできない。

・電池は数年で使えなくなるのにAppleはなぜ、簡単に交換できるよう作らないのだろうか。最近Appleから所有するiPhoneを下取りに出して最新の機種を割引で売るというメールが来て、要するにそういうことかと納得した。新しいモデルが出るたびに買い換えさせるための商法だということだろう。

・僕のパソコン歴はもう25年になるが、買ったのはほとんどマッキントッシュである。その使いやすさやデザインの良さ、そして何よりカウンター・カルチャー的な成り立ちが気に入ったからだった。そのマックもすでに10数台も買い換えている。進化のスピードに追いつくためには仕方がなかったのだが、iPodは電池さえ交換できれば、買い換える必要はなかったはずである。しかも今はiPhoneとそっくりで容量の少ないiPhone touchしか売っていない。Appleはすでに創業時の精神を忘れて,その対極にある。しかしやめるわけにいかないのが何とも癪にさわる。

・iPhoneは欲しくて買ったわけではなかった。キイボードの着いたBlackberryを気に入って使っていたのだが、Docomoが扱わなくなって、故障した時に仕方なくiPhoneに買い換えたのだった。そのblackberryは電池交換が簡単にできたから,いつも予備の電池も持ち歩いていた。月々の料金もそれほどでもなかったが、iPhoneにしてから毎月の使用料金がずいぶん高額になった。電話は滅多にかけないし,ネットはパソコンでやるから、ずいぶんばからしいと思ってきた。

・というわけで、2年縛りが終わる数ヶ月先に電話はガラケーに代えて、iPhoneは音楽専用機として使おうかと思い始めている。さてiPadはどうしようか。 Nexus7もバッテリーがへたり気味だ。、必要以上に道具ばかりが多いから、もうそのままにしておこうかと思うが、引き出しを見れば,もう使わなくなった機器がごろごろしている。

2016年6月6日月曜日

逢坂巌『日本政治とメディア』中公新書

 

ohsaka.jpg・安倍首相がサミットで今の世界状況をリーマンショック前夜と似ていると発言して、海外から批判を浴びている。消費税率を10%にあげるのを再延期する口実に利用したからだ。その再延期の会見は夕方のテレビで長々と中継された。もちろん本人の口からアベノミクス失敗によりという説明はなかった。理由はあくまで外因によるというものだった。

・そのサミットやオバマ大統領の広島訪問もまた、テレビでは大きく報じられた。いったいサミットで何が決まったのかよくわからないし、広島での演説はオバマの格調の高さに比べて安倍のお粗末さが目立つばかりだったが、政権の支持率は急上昇した。消費税率引き上げ再延期の発表にはもっともいい機会で、最初からこの機会を狙っていたのは明らかだろう。で、いつものように、メディアから強い批判の声が起こることもなかった。このまま参議院選挙運動に突入して、与党の勝利という筋書き通りに進むよう、メディアは協力を惜しまないのかもしれない。

・逢坂巌の『日本政治とメディア』は第二次大戦後の日本の政治とメディアの関係を,詳細に追った好著である。この本を読むと、日本のメディアと政治の関係がなぜ,現在のような形になったのかがよくわかる。とりわけ重要なのは,戦後に始まったテレビを政治がどう扱い、利用してきたかという点だろう。

・日本のテレビは1953年から始まった。そのテレビと同時期に開局した民放ラジオに注目して積極的に利用したのは、吉田茂に変わって政権の座に着いた鳩山一郎からである。ただし、彼が重視したのは普及率の低いテレビよりはラジオだった。電波メディアが政治にとって重要であることは、アメリカにおけるメディアの役割から学んだものだった。その利用はテレビの普及と共に、その後に首相になった石橋湛山、岸信介によって強化されていった。

・自らの言動が記者によって記事になる新聞よりは、直接画像と音声で伝えることができるテレビの方が、自分の意図を国民に理解してもらえる。もっと言えば、思うとおりに世論を誘導することができる。記者を排除してテレビの前で退陣会見をした佐藤栄作はその好例だが、今太閤と言われて人気者になった田中角栄は,その気取らない言動が,きわめてテレビ受けする初めての政治家でもあった。また、その時期にはテレビタレントが多く議員に転出した。政治家として適任かどうかではなく、有名性や人気が投票行動を左右するようになったのである。

・テレビやラジオは国の認可によって放送が認められている。最初はGHQの指導によって、内閣から独立した電波管理委員会によって設置が検討されたが、GHQから独立するとすぐに、吉田政権下で郵政省の管轄下に置かれた。新聞社とテレビ・ラジオの経営体が同じだという「クロス・オーナーシップ」は既得権になって、UHF局開設時にも,地方新聞が経営体になることで拡大され、BS放送にも援用された。テレビやラジオはもちろん,新聞社と政権の間には、このような根本的な癒着関係があるのである。

・テレビは報道よりは娯楽に適したメディアである。と言うよりはすべてを娯楽化するメディアだと言った方がいい。報道を娯楽化した番組、娯楽番組に政治家を登場させる番組。そんな傾向が政治家によりイメージ管理の重要性を認識させ、イメージのいい政治家を出現させることになる。もちろん、ここにはテレビが何よりCMのメディアだという特徴も付け加えておかなければならない。だから、イメージを損なうような報道には,免許権の剥奪を脅し文句に使ったりもするようになった。本書を読むと、最近に至るメディア統制の道筋が,改めてよく見えてくる。

・安倍政治はすでに破綻している。アベノミクスの失敗はもちろん、それを誤魔化す嘘や失言も日常化している。しかしそのことを正面から批判する声はマスメディアからは,まだ聞こえてこない。それは現政権のメディア統制の結果だが、それ以上に、現状をあまり変えたくないというメディア自体の保守性にある。本書を読んで思うのは政権によるメディアの抑圧よりは、メディア自体の露骨な保身術の方である。

2016年5月30日月曜日

まだやるぞ

 

ボブ・ディラン"Fallen Angels"
エリック・クラプトン" I Still Do"
トラビス"Everything At Once"
マーク・ノップラー"Altamira"

Dylan.jpg・ディランは1ヶ月に及んだ日本公演を無事済ませて帰国したようだ。その元気さにただただ敬服したが、75歳の誕生日に新しいアルバムが発売された。といっても新曲ではなく、前回同様ジャズのスタンダード・ナンバーを集めて歌ったものである。タイトルの「フォーレン・エンジェル」はカード・ゲームの名前で、ジャケットにもトランプ4枚持った手が使われている。ただし同名の曲はない。スタンダードと言っても、知っている曲はひとつもなかった。前作の『シャドウ・イン・ザ・ナイト』を聴いた時とは違って、ライブでもおなじみの歌い方や演奏だから、もうすっかりなじんでしまった感じだった。原曲通りに、わかりやすく歌うのを聴いていると、オーチャード・ホールで見た姿が浮かんでくる。

clapton5.jpg ・エリック・クラプトンは引退宣言をしては復活する。だからもうアルバムが出ても買うのはよそうと思っていた。しかし、ジャケットの絵とタイトルの「アイ・スティル・ドゥ」が気になって買ってしまった。直訳すれば「まだやる」だし、描かれたクラプトンは髪を刈り込んだ爺さんだったからだ。ネットで調べると「アイ・スティル・ドゥ」は好きなおばさんの口癖で、昔はかわいがってもらったと言った時に出たことばだとあった。だからその文脈では「今でもそうよ」といったニュアンスになるのだろうが、アルバム名としては「まだやるぞ」といった宣言に近いのかもしれない。"We shall overcome"にそっくりの"I'll be Alright"が気になった。調べてみると本歌のようだ。

travis6.jpg ・トラビスの『エブリシング・アット・ワンス』は2年ぶりの新作である。その前が5年ぶりだったから、今度は「もう出たの」という感じだった。聴いた感じは前作の『ホエアー・ユウ・スタンド』について書いたのと同じで「相変わらずのトラヴィス節で、以前のアルバムと続けて聴いたら、どれがどれやらわからないほどだ」となるだろう。バンド名の由来はヴィム・ヴェンダース監督の『パリ・テキサス』の主人公名だったと記憶している。妻子を捨てて失踪した男がテキサスのパリという街で再開する話だ。あるいはマーチン・スコセッシ監督の『タクシードライバー』で主演したロバート・デ・ニーロが演じた男の名もトラヴィスだった。しかし、このバンドが作る音楽はどちらとも無縁で優しく暖かだ。

altamira.jpg ・最後はマーク・ノップラーの『アルタミラ』。映画のサントラ盤で、アルタミラ洞窟を発見した人物の物語のようだ。学校の教科書でもおなじみの壁画だが、僕は一昨年に出かけて見た。実物は損傷がひどくて閉鎖されていて、今はそのレプリカが展示されている。発見者はマルセリーノ・デ・サウトゥオラ侯爵の娘で、アマチュアの考古学者だった侯爵が1880年に旧石器時代のものだと発表したが、相手にされなかったようだ。肝心の音楽だが、スペインにケルトが混ざったような感じに、アルタミラよりはガリシアを思い浮かべた。できれば映画も見てみたいものである。

2016年5月23日月曜日

日々のあれこれ

 

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fuki1.jpg・大きなケヤキや赤松が生える庭には木漏れ日しかささないが、下草や花で一面緑になっている。その中をよく見ると、一番早く咲いた片栗の花が実をつけている。はじけた実はアリが運び、甘い実を取ってタネをどこかに捨てる。そのタネが発芽をして花を咲かせるまでには7〜8年かかるそうだ。毎年10ほどの花が増えて,今年は80になった。今年つけた実が発芽して花をつけるのはまだだいぶ先だが,いったいどこで根づくのだろうか。庭一面の片栗の花となるまで、ここに住み続けることができるのだろうか。などと少し感傷的になった。

fuki2.jpg・今の庭の主役は蕗だ。毎年、その茎を僕が取ってパートナーが佃煮にする。冷蔵庫で保存しながら1年中食べている。母親が元気な時には毎年実家にも運んでいた。老人ホーム住まいになってからやめたが、たくさん摘んで車で運んだことを思い出した。最近は部屋に飾る花と,好きなナッツや煎餅を持って訪ねている。脳溢血の後遺症で直近の記憶が怪しくなっているが、昔の記憶は話せば思い出す。今度行ったら蕗の話をしようかと思う。

・研究室の本を毎週段ボールで5つほど家に運んでいる。院生や卒業生も持って帰っている。だから部屋の本棚が少しずつ空になっている。しかしまだやっと3割といったところだろう。夏休み前には5割にして、部屋の模様替えもしたいと思っている。

・2月に次男のところに男の子が生まれた。孫は3人目だが、東京だから時折出かけている。会うたびに,こんなこと、あんなことをするようになったと言われる。可愛いけど見ていて育児は大変だな,とつくづく思う。僕がやったのは、もう30年以上も前だった。二人ともパートタイムの仕事だったから子どもは一度も預けなかった。今は話題通りに保育所難で預けられそうもないようだ。

amari.jpg ・パートナーはリハビリでがんばっている。回復は亀の歩みよりものろい。それでも何とか山歩きをと,最近湖畔にできた羽根子山の遊歩道をせっせと登り下りしている。できるだけ山に登った雰囲気を味わいたいと、頂上近くまで車で行けるところに出かけてもいる。甘利山の頂上はツツジの群生で有名だが、まだつぼみが堅かった、しかし好天で富士山が間近に見えた。翌週に出かけた帯那山同様、頂上近くまでの道は狭く曲がりくねって、車ではかなりハードで、運転者は登る前に疲れてしまう。

・頻尿の症状は少しましになった。薬(ノコギリヤシ)が効いたのかもしれない。しかし原因が自転車にあるかもと思って、サドルを交換した。身体に合った位置にセットするのはなかなか難しい。乗り終わったたびに修正しているが、まだしっくりしない気もする。それにしても、週末の湖畔は自転車がいっぱいだ。ロードバイクも多いが、レンタル自転車に乗った外国人が目立つ。隘路やカーブもあって,自動車が不用意な追い越しをするから、危ないと思うことが多い。パートナーもエアロバイクを漕いでいる。パソコンの画面にYoutubeのサイクリング場面を映して、世界中の道を走っている。ただ漕ぐ時とは違って,やる気が出たようだ。最近体重計を買って、何グラム減ったと競争している。

2016年5月16日月曜日

おかしな世の中ですね

・機密だったパナマ文書が漏らされ、「タックス・ヘイブン」(租税回避地)を利用して資産隠しをしていた著名な政治家や大企業等々の名が明らかにされました。合法な行為とは言え、本来ならば収めなければならない税負担を軽減させるためにできている制度ですから、倫理的な意味では非難されて当然だと言えるでしょう。何しろ今の世界は、わずか67人の大富豪が所有する資産が、世界人口の下半分の36億人分と同じだというのですから

・だからこそ、アメリカの大統領選挙で無名だったサンダースが多くの支持を得ているのですし、トランプ人気も不満の憂さ晴らしが理由だといわれています。EUでも不公正を非難して大規模なデモが繰り返されています。このような富の偏在といった状況は日本でも同様で、「一億総中流」と言われた社会は,もうとっくに崩れています。斜陽の国なのに富める者がますます金持ちになる。日本にもサンダースが現れてほしいのですが、出るのはトンデモ政治家の不祥事ばかりです。

・斜陽の国日本の中で東京だけが財政的には豊かなようです。知事の公私混同は目に余りますし,そのせこさはうんざりするばかりですが、マスコミの桝添たたきにも違和感を覚えます。石原元知事はもっとひどかったのに,なぜ騒がなかったのでしょうか?甘利はどうしたの?安倍首相の外遊を無駄遣いとして問題にしないのはなぜ?そもそも自民党議員の相次いだ不祥事はどうなってしまったの?自民党を叩くと「中立公正」を欠くと批判されると自粛をしているとしか思えないのですが、どうでしょうか。

・伊勢志摩サミットの際にオバマ米大統領が広島を訪れることが決定しました。ただし原爆投下について謝罪はしないし、被爆者とも会わないようです。核廃絶のメッセージもしないでしょう。アメリカが主張しているのは核の不拡散であって廃絶ではないからです。アメリカの大統領が広島に来る。意味はそこにしかないのですが、安倍首相は「歴史的な出来事」として大騒ぎをして、参議院選挙で圧勝するシナリオを作ろうとしています。ついでに衆議院選挙もと思っているのかもしれません。そうなると改憲が現実味を帯びてきます。

・メディアの報道の自由度ランキングで、日本はさらに落ちて72位になりました。また国連による「表現の自由」についても訪日調査が行われました。政府によるメディアへの圧力が,海外から危惧されているのは明らかですが、そのことをメディア自体が問題にしないのはどうしてでしょうか。聞き取り調査をしたデビッド・ケイ(カリフォルニア大学教授)は、停波発言をした高市総務相が聞き取りに応じなかったことを遺憾としましたが、日本のメディアの問題として,閉鎖的な記者クラブの存在や放送法自体を問題視しました。

・政府の圧力に逆らえないのは大手新聞社やテレビ局が持つ既得権を手放したくないからだという指摘は新しいものではないですが、「外国特派員協会」主催で行われたケイの会見は,新聞もテレビもほとんど無視を決めこみました。メディアの危機はまさに自業自得というほかありません。

・もっとおかしいのはオリンピックです。「おもてなし」ではなく「表なしの裏ばかり」。アンダーコントロールの大嘘からはじまって、国立競技場の設計やり直し、エンブレムの選び直し、そして今度は賄賂です。電通が関与しているというニュースは、海外からは聞こえてきても,日本のマスコミはまったく触れません。予算も増えるばかりで、開催しても,その後には大不況が待っていると指摘する人もいます。ここまでけちがついたら返上した方がいいと思います。

・おかしな世の中になったものだとつくづく思います。しかも、おかしいことをおかしいと言うのがはばかられるような風潮が蔓延しています。安保法制を国会で違憲と断罪した小林節が「国民の怒りの声」という政治団体を作って参院選に立候補すると宣言しました。参議院選の野党共闘が進まないことに業を煮やしての行動のようです。さて、日本のサンダースになりうるのかどうか。