2016年6月6日月曜日

逢坂巌『日本政治とメディア』中公新書

 

ohsaka.jpg・安倍首相がサミットで今の世界状況をリーマンショック前夜と似ていると発言して、海外から批判を浴びている。消費税率を10%にあげるのを再延期する口実に利用したからだ。その再延期の会見は夕方のテレビで長々と中継された。もちろん本人の口からアベノミクス失敗によりという説明はなかった。理由はあくまで外因によるというものだった。

・そのサミットやオバマ大統領の広島訪問もまた、テレビでは大きく報じられた。いったいサミットで何が決まったのかよくわからないし、広島での演説はオバマの格調の高さに比べて安倍のお粗末さが目立つばかりだったが、政権の支持率は急上昇した。消費税率引き上げ再延期の発表にはもっともいい機会で、最初からこの機会を狙っていたのは明らかだろう。で、いつものように、メディアから強い批判の声が起こることもなかった。このまま参議院選挙運動に突入して、与党の勝利という筋書き通りに進むよう、メディアは協力を惜しまないのかもしれない。

・逢坂巌の『日本政治とメディア』は第二次大戦後の日本の政治とメディアの関係を,詳細に追った好著である。この本を読むと、日本のメディアと政治の関係がなぜ,現在のような形になったのかがよくわかる。とりわけ重要なのは,戦後に始まったテレビを政治がどう扱い、利用してきたかという点だろう。

・日本のテレビは1953年から始まった。そのテレビと同時期に開局した民放ラジオに注目して積極的に利用したのは、吉田茂に変わって政権の座に着いた鳩山一郎からである。ただし、彼が重視したのは普及率の低いテレビよりはラジオだった。電波メディアが政治にとって重要であることは、アメリカにおけるメディアの役割から学んだものだった。その利用はテレビの普及と共に、その後に首相になった石橋湛山、岸信介によって強化されていった。

・自らの言動が記者によって記事になる新聞よりは、直接画像と音声で伝えることができるテレビの方が、自分の意図を国民に理解してもらえる。もっと言えば、思うとおりに世論を誘導することができる。記者を排除してテレビの前で退陣会見をした佐藤栄作はその好例だが、今太閤と言われて人気者になった田中角栄は,その気取らない言動が,きわめてテレビ受けする初めての政治家でもあった。また、その時期にはテレビタレントが多く議員に転出した。政治家として適任かどうかではなく、有名性や人気が投票行動を左右するようになったのである。

・テレビやラジオは国の認可によって放送が認められている。最初はGHQの指導によって、内閣から独立した電波管理委員会によって設置が検討されたが、GHQから独立するとすぐに、吉田政権下で郵政省の管轄下に置かれた。新聞社とテレビ・ラジオの経営体が同じだという「クロス・オーナーシップ」は既得権になって、UHF局開設時にも,地方新聞が経営体になることで拡大され、BS放送にも援用された。テレビやラジオはもちろん,新聞社と政権の間には、このような根本的な癒着関係があるのである。

・テレビは報道よりは娯楽に適したメディアである。と言うよりはすべてを娯楽化するメディアだと言った方がいい。報道を娯楽化した番組、娯楽番組に政治家を登場させる番組。そんな傾向が政治家によりイメージ管理の重要性を認識させ、イメージのいい政治家を出現させることになる。もちろん、ここにはテレビが何よりCMのメディアだという特徴も付け加えておかなければならない。だから、イメージを損なうような報道には,免許権の剥奪を脅し文句に使ったりもするようになった。本書を読むと、最近に至るメディア統制の道筋が,改めてよく見えてくる。

・安倍政治はすでに破綻している。アベノミクスの失敗はもちろん、それを誤魔化す嘘や失言も日常化している。しかしそのことを正面から批判する声はマスメディアからは,まだ聞こえてこない。それは現政権のメディア統制の結果だが、それ以上に、現状をあまり変えたくないというメディア自体の保守性にある。本書を読んで思うのは政権によるメディアの抑圧よりは、メディア自体の露骨な保身術の方である。

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