2019年7月15日月曜日

「れいわ新撰組」がおもしろい

 

・参議院選挙が始まった。新聞社の選挙情勢調査では、自公の勢力が過半数をとると予測されている。これほどお粗末な政権、これほどひどい政党が国民の審判によって支持されつづけるのだという。年金問題が明るみに出ても、トランプの言いなりで、ハワイやグァムを守るイージスアショアを買ったり、墜落したF35戦闘機を爆買いしても、アベノミクスの失敗が明らかになっても、消費税がさらに上がると言われても、外交の安部がことごとく失敗だったとしても、そしてもちろん、森友加計問題が闇に葬られてしまっていても、消極的にせよ、相も変わらず支持する人が多数派を占めている。信じられないし、絶望的にもなるが、諦めてはいけないと、すでに期日前投票に行ってきた。

reiwa1.jpg ・注目したのは「れいわ新撰組」。しかし、この政党ははテレビではほとんど無視されている。党首の山本太郎はテレビの討論にも呼ばれていない。寄付が短期間で3億円を超え、選挙演説に集まる数はダントツに多く、ネットでも話題になっているのに、泡沫候補扱いするのは、自粛ばかりの保守的なメディアにとっては危険な考えをもつ候補の集まりに見えるのだろうか。政党要件を満たしていないとは言え、山本太郎はもちろん、10人の候補者の顔ぶれを見れば、テレビ的には大きな話題を呼んで視聴率を稼げると思うのだが、政権の逆鱗に触れると恐れているのかもしれない。もっともテレビは選挙そのものに後ろ向きで芸人の闇仕事ばかりを取りあげている。選挙に無関心のままでいさせようとしているとしか思えない。

・「れいわ新撰組」という名前は好きではない。というより新年号の「令和」も、幕末の新撰組も嫌いだといった方がいい。しかし、「れいわ」は安部、「新撰組」は「大阪維新」を皮肉ってつけたとすれば、それはそれでおもしろいとも思った。「れいわ新撰組」に集まった人たちはユニークだ。全員が現在の日本が抱える大きくて深刻な問題の当事者であるからだ。蓮池透は元東京電力社員で、元北朝鮮による拉致被害者家族連絡会事務局長だ。そこから、日本の原発政策と、拉致問題に対する政府の対応を厳しく批判してきた。安富歩は東京大学東洋文化研究所教授で東洋経済史の研究者だが、女装をして、LGBTやハラスメントの問題にも発言をする人である。木村英子は生後8ヶ月で障害を負って以来、車椅子生活をしていて、重度障害者が生きにくい現在の社会について積極的に発言してきた人である。三井義文は元コンビニオーナーで、名ばかりの事業主という契約形態の不当さを訴え、会社や仕事に殺されることを社会問題として訴えてきた。

・辻村千尋は環境保護NGO職員として、小笠原諸島の自然保護やリニア新幹線による自然破壊、そして辺野古の埋め立てなどの問題について活動してきた人である。環境問題は票にならないと冷たい議員に代わって、自ら政治家として活動することを目指している。大西恒樹は元J.P.モルガン銀行のディーラーだが、その経験から現代の金融資本主義における巨大な搾取構造を問題視し、その根本的な変革を唱えて活動してきた人である。船後靖彦は41歳以降全身麻痺のALSを患いながら介護サービス事業を営む会社で働いている。歯で噛むセンサーを使ってパソコンを操作して、仕事のほか、文筆や講演活動もしている。渡辺照子はシングルマザーの派遣労働者として生きてきた。そのどん底の暮らしの中で味わった経験や出会った人たちと、格差社会の是正を目指している。

・何よりおもしろいのは、山本太郎に変わって東京選挙区に沖縄在住で創価学会員の野原義正を立てたことだ。彼は沖縄県知事選で公明党に反旗を翻して玉城デニーを支持し、今回は代表の山口那津男と同じ選挙区で争っている。平和と福祉の党であったはずの公明党の原点回帰を呼びかけている。そして比例区では特定枠に車椅子の二人が入り、山本太郎は3番目ということになっている。つまり3人当選できるだけの得票数が得られなければ、山本太郎は落選ということになるのだ。一人当選させるためにはおよそ100万票が必要だと言われている。

・大手のメディアに無視されたのでは、「れいわ新撰組」を全国的に名前を知らせることは難しいだろう。山本太郎は落選ということになるのかもしれない。しかし、車椅子の議員は初めてだから、国会議事堂の改築が必要になるし、発言やら投票の仕方も変えなければならなくなる。弱者無視の国会に、初めてメスが入るのである。さらに、山本太郎は「れいわ新撰組」の飛躍の照準を次の衆議院選挙以降に合わせている。だから、どうしても当選しなければならないわけではないと考えての処置だと思う。それだけに、今後飛躍するためにも、今回の選挙結果が大事になるはずである。

2019年7月8日月曜日

病にも負けず

 

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forest159-2.jpg・アメリカから帰って1ヶ月。今年の梅雨ははっきりしていて、ほとんど雨ばかりだ。だから、自転車も庭仕事も、合間の晴れを見つけてやっている。ところが今年の梅雨は変則で、西日本が梅雨入りしたのは10日ほど前だった。水不足がニュースになったが、梅雨入りと同時に集中豪雨に見舞われている。異常が日常になってしまったから、観測史上初めてなんて言われても驚かなくなった。雨ばかりなのに河口湖の水位が下がっている。浮島が地続きになって六角堂に歩いて行けるようになった。珍しいことではないし、観光客には好都合だが、漁業やボートレースに支障が出るらしい。雨不足ではなく、水量調整の失敗なのだと思う。

・京都から従兄弟のMさんが車でやってきた。ぼくと同じ70歳だが、去年の冬に急性白血病を発症して、余命半年と言われた。しかし、抗がん剤治療が功を奏して、自宅で療養生活をしている。最初に週二回行っていた輸血も、現在では三週間に一回に減ったようだ。少し元気になったからと河口湖に来て二泊し、東京や栃木まで足を伸ばす車旅行をした。

・予報は雨だったが降っていなかったので、富士山を眺望する秘密の場所に出かけた。ぼくはここからの富士山が一番好きだ。御坂山塊にあって、尾根のすぐ下まで車で行ける。100米ほど登るだけだからたいしたことないだろうと思ったのだが、彼は登り初めてすぐ躓いて、杖を突きながら何度も休まねばならなかった。長い入院生活と免疫力の低下で人混みに出かけることを制限されているから、筋肉が衰えていて、赤血球が足りないからすぐに息が上がってしまうのだった。それでもがんばって尾根まで登り、展望台に立って富士山や眼下の河口湖を眺めた。もっと体力をつけなければと、つくづく感じたようだった。彼は翌日僕の両親が住む老人ホームに出かけた。

・実は急性白血病に罹った人が身近にもう一人いる。大学院でぼくの研究室にいたK君で、横浜で福祉の仕事をしているのだが、フェイスブックに突然、入院中だというメッセージが載って驚いた。最初は病名をはっきりさせなかったが、Mさんのケースとよく似ていることがすぐにわかった。3月に緊急入院して1ヶ月半ほど抗がん剤治療をして一時退院し、再入院して骨髄移植を行い、無事成功して回復に向かっているようだ。ドナーは妹さんだと言う。

・医学の進歩の早さには今さらながら驚く。不治の病と言われた白血病が、骨髄移植で健康な身体に回復する。K君の場合には発症から移植手術まで3ヶ月で、そこから2週間ほどで移植した細胞が生着して、白血球数が回復した。退院して日常生活に戻るまでにはまだかなりの日数がかかるだろうが、信じられないほどの速さだと思う。しかし、Mさんの場合では、移植手術にはかなりの体力が必要で、70歳にもなると身体が耐えられないからと勧められなかったようだ。白血病と言えば、水泳選手が話題になった。公表したのが2月だったからK君より早かったのだが、未だに骨髄移植をしたというニュースははない。移植ができないケースなのかもしれない。

・白血病はうつる病気ではない。その因子をもっていて、いつ発症するかは遺伝子の中に埋め込まれているのかもしれない。あるいは過労やストレスなどが原因で発症するのだろうか。Mさんは高齢の母親を長い間介護してきた。夜はトイレにつきあうので1時間半おきに起きていたそうだ。その叔母は、彼の入院によって別の病院に入院して数ヶ月ほどで亡くなった。元気だったらもっと長生きできたのにと彼は悔やんだが、彼の体力も限界だったのだと思う。まだまだいろいろやりたいことがあって、生きることに積極的だから、治療に専念し、体力をつけることに心がけてほしい。もう少し近くに住んでいたら、手助けできることもあるのだが、残念ながら、京都はちょっと遠い。

2019年7月1日月曜日

スプリングスティーンとマドンナ

 Madonna "MadameX"
Bruce Springsteen "Western Stars"

madonna6.jpg・マドンナが4年ぶりにアルバムを出した。前作のタイトルは『反抗心(Rebel Heart)』で、突っ張りぶりを遺憾なく発揮していたが、今回は『マダムX』という名前だ。「マダムX」はスパイで、さまざまに姿を変えながら世界を巡り自由のために戦い、暗黒の場所に光をもたらす。そんな物語で全曲が構成されている。だから歌には英語の他にスペイン語やポルトガル語が入り、サウンドにはラテンやアフリカ、そしてポルトガルのファドを感じさせるものもある。

・彼女がこのアルバムで主張しているのは、世界が融和や連帯ではなく争いや分断の方向に舵を切ってしまっていることに対する批判だ。だからこのアルバムでは中南米やアフリカ、そしてアラブに行き、またアメリカに戻って、さまざまな境遇に身を寄せ、抵抗を支援する。高校での銃乱射事件をきっかけに銃規制運動に立ち上がった高校生のスピーチが、そのまま使われてもいる。還暦を過ぎてなお、その突っ張りぶりは健在だ。

・日本では「音楽に政治を持ち込むな」といったことを正論として吐くミュージシャンが多い。そういった人たちは、マドンナのこのような姿勢をどう感じているのだろうか。もっともそう発言する人たちの多くは、権力者やスポンサーには従順で、メディアの言うなりにふるまったりもするから、無関心のままなのだろう。ポピュラー音楽は商業主義の中で成り立っているが、その出発点には政治や経済、そして社会や文化に対する批判があった。マドンナは世界で最も成功し、富と名声を得た女性ミュージシャンであり、また世界で一番強く不条理を批判する人でもある。その事を改めて実感したアルバムである。

springsteen4.jpg ・スプリングスティーンの『ウェスタン・スターズ』も5年ぶりのアルバムである。彼は1949年生まれでもうすぐ70歳になる。健在なのは確かだが、最初は、マドンナと比べるとメッセージもサウンドも地味な印象だった。オーケストラがバックだから、ロックでもないしフォークでもない中途半端な感じもした。しかし、何度も聴き、歌詞も読んでいるうちに、よく練られたアルバムであることがわかってきた。彼はインタビューでこのアルバムのコンセプトを、70年代の「南カリフォルニア・ポップ・ミュージック」、たとえばグレン・キャンベルやバート・バカラックにおいたと言っている。そこで歌われているのはハイウェイ、砂漠、孤独、コミュニティ、そして家庭と希望の永続性というテーマだとも。

・「偉大なアメリカ、アメリカ第一」と連呼して支持者を喜ばすトランプ大統領とは対照的に、スプリングスティーンが歌うのは、変質したアメリカから失われかけている古き良きアメリカだ。アルバム・タイトルになっている「ウェスタン・スターズ」で歌っているのは、かつてはハリウッドの脇役俳優で、ジョン・ウェインに殺される役をしたことがある老人の回想物語だ。あるいは「ヒッチハイキン」や「ムーンライト・モーテル」からはハイウェイの旅、「ツーソン・トレイン」は列車の旅で、がんばったが報われなかった生活や、人との別れや再会が描かれる。やはり全曲が物語になっている。アメリカ映画にはおなじみの夜明けや日没、砂漠や岩の風景のなかで。自分の人生を振り返る。

・二人の新しいアルバムを聴きながら、『マダムX』には『ミッション・インポッシブル』を『ウェスタン・スターズ』にはいくつかのロード・ムービーを思い出した。世界が壊れかけている。それは世界中から伝わる出来事に顕著だし、個々の人たちの生活や心にも溢れている。この二つのアルバムには、そんなシーンを見つめる二人の様子がいくつもちりばめられている。

2019年6月24日月曜日

年金だけでは暮らせないのは当たり前の話

 

・金融庁が財務大臣の諮問によって検討し、作成した年金に関する報告書が、物議を醸しています。仕事を辞めてから死ぬまでの間に、年金の他に2000万円必要という報告がなされたからです。最初は「100まで生きる前提で退職金って計算してみたことあるか?普通の人はないよ、たぶん。オレ、ないと思うね」と他人事のように話していた財務大臣も、批判の強さに豹変して、この報告書を受けとらないと、言い出しました。この態度にはあきれますが、今さらながらに驚いている世論にも首をかしげたくなりました。年金だけでは生活できないのは、受給者の多くにとって自明のことだからです。

・ 報告書によれば、夫65歳、妻60歳の無職夫婦がモデルで年金が21万円弱となっています。ところが支出は26万円強ですから、月々5万円不足して、100歳まで生きれば不足総額は2000万円になるということです。ごく当たり前の報告だと思いますが、いわれて初めて気づいて、驚いたり憤慨したりする人が多いという報道の方に、ぼくは驚きました。ところが、財務大臣だけでなく官房長官やその他の首相側近の議員たちが「不安や誤解を広げるだけの報告書で、評価に値しない」と発言して、金融庁に撤回要求を出したことには、またかという腹立ちを覚えました。目先の参議院選挙への影響しか頭にない発言としか思えないからです。。

・ 年金支給額が21万円というのは、国民年金だけでなく厚生年金も合わせて受給されることを意味します。しかも決して平均ではなくかなり多い額になります。厚労省によれば、国民年金の平均受給額は5万5千円で、厚生年金と合わせた平均額は15万円となっています。年金受給者がこの額ではとても暮らしていけないことは、言うまでもないことです。ぎりぎりに切り詰めるか、仕事をして収入を増やすか。そんな暮らしが高齢者にとってはごく当たり前になっているのです。しかも年金額はこれから減らされる可能性がありますし、破綻してもらえなくなる危険性だってあるのです。その意味では金融庁の報告書は、それでも甘いものだと言えるでしょう。

・ 国民生活基礎調査によると、1世帯あたりの貯蓄額は1000万円ちょっとのようです。当然、高齢者ほど額は大きいのですが、それでも60代が1300万円、70代が1250万円ほどで、2000万円には届いていません。ここにはもちろんばらつきがあって、今年還暦を迎えた人の4人に1人は貯蓄なしという調査結果も出ています。すでに年金が主たる収入源になっている人たちの多くは正規雇用で退職金も手にできた人たちが多いのだと思います。その人たちですら2000万円以上の貯蓄をするのは難しかったわけですから、若い人たちにとっては、絶対無理と思われてしまう数字なのかもしれません。現在、非正規で働く人の割合が4割になっていて、その平均所得は200万円に達していないのです。老後どころか働いているのに生活が困窮している人がこれほど多いのです。

・ 高齢化社会になれば年金制度が破綻しかねないことはとっくの昔からわかっていたことです。しかし政府は100年安心などという標語を掲げながら、ほとんど無策でやり過ごしてきました。それどころか「グリーンピア」などで大損したり、最近では株に多額の投資をしてその危険性が問題になっています。社会福祉に使われるはずの消費税が企業の減税などに使われてきたのですが、10%にあげる理由についても、相変わらず福祉の財源ということばがつかわれているのです。

・ 金融庁が出した年金を20万円もらってもなお、2000万円の貯蓄が必要という報告には、一面の真実があります。高齢者の多くはもちろん、若い世代の人たちの大半が、困窮した生活の中で長生きしなければならないという未来図を提示したからです。これにはもっともっと怒るべきだと思います。2000人程度のデモではなく香港並みの規模になってもおかしくない問題だからです。参議院選挙を控えて、政府や自民党の嘘にだまされないよう、現実をしっかり見つめるべきなのです。

2019年6月17日月曜日

DAZNをはじめた

 

dazn.jpg・スポーツには見たいもの、気になるものがいくつかある。そのうちテレビで見ることができるのはごくわずかだ。たとえばメジャー・リーグは毎日中継しているわけではないし、見たい試合をやっているわけでもない。日本のプロ野球(NPB)やJリーグにはそれほど興味はないが、それでも見たくなる時はたまにある。サッカーの国際試合は我が家では映らない民放が中継することが多いから、見られないことがしばしばある。ましてや自転車やF1などは、テレビではほとんどやっていない。そんな物足りなさを感じていたら、ブラウザーにしきりにDAZNの広告が載るようになった。

・DAZNはダズンではなくダゾーンと呼ぶ。各種スポーツを提供するインターネット・テレビで、イギリスに拠点を置いているようだ。日本では2016年からサービスを始めている。野球やサッカーはもちろん、モーター・スポーツや自転車、ラグビーやアメリカン・フットボール、さらには格闘技などのライブや動画を配信している。ぼくはたまたま自転車の「ジロ・デ・イタリア」の様子をYouTubeで見て、DAZNがライブを配信していることを知った。DAZNに行くとメジャー・リーグも毎日数試合やっている。自転車が気になったし、NHKのBSではMLBは限られているから、契約することにした。最初の1ヶ月は無料で、継続したければ月々税込みで1890円払うことになる。継続するかどうかはわからないが、今は1ヶ月のお試し視聴を楽しんでいる。

・スポーツならライブが一番だが、そうでなければ、視聴する時間を自分で決められるインターネットは、自分にとっては好都合だ。だからますます地デジからは遠のくようになった。そんな傾向に対応するためかNHKもネット配信を予定しているようだ。広告費がネットに移動して収益が落ち込んでいる民放も追随することだろう。しかし、同じ番組をただネットに垂れ流しても、それで視聴者数を維持したり、増やしたりできるわけではない。バラエティばかりのテレビは飽きられているし、政府にべったりの報道姿勢にも批判は高まっている。

・大体、政権に批判的な報道番組がここ数年でずい分減ってしまっていて、そのうちのいくつかはネットで放送されたりしている。ぼくは愛川欽也が「朝日ニューススター」で放送していた「愛川欽也パックインジャーナル」を楽しんでいたが、それが廃止になり、2012年に欽也自身が開局したkinkin.tvの「愛川欽也パックインニュース」を視聴するようになった。彼が亡くなって、2013年に「デモクラTV」として再開されてからずっと視聴しつづけている。月額525円ですでに6年が経過した。最近の政治や経済、社会について、意見や認識を共有できる論客やジャーナリストがいる番組になっている。こことは別れてYouTubeで「デモクラシータイムス」という名のチャンネルを提供しているところもあって、前者は東京新聞、後者は日刊現代と提携している。

・インターネットではすでにAmazonプライムに契約して、映画視聴を楽しんでいる。YouTubeでテレビやラジオの番組を見たり聞いたりすることも多い。YouTubeはCMで中断して不快に感じることがあるが、お金を払ってCM抜きにする気はない。他にも映画、スポーツ、音楽など、お金を払えば見放題、聞き放題のサイトが乱立しているが、今のところ、これ以上に増やすつもりはない。

・ところでDAZNだが、アメリカ旅行中にはMLBのライブを楽しむことができなかった。配信しているのはアメリカ国外であることがわかって、帰国するまで見ることができなかった。MLBのライブ配信はMLB自体がやっているから、アメリカではここと契約する必要があるのだろう。しかしDAZNは日本のプロ野球を毎日ほとんど全試合、ライブ配信している。ライブ配信によるMLBの収入はかなりの額になると思うが、NPBはライブ中継からどれほどの収入を得ているのだろうか。そんなことが気になった。

・放送はNHKなら受信料の徴収、民放なら広告収入で成り立っている。NHKはなかば強制的だし、民放には見たくないCMがたくさん入る。だから、見たいもの、聞(聴)きたいものだけをお金を払って楽しむという方式は、ぼくにとってはずっと好ましい形態に思える。とは言え、既存の放送局もネットに本格的に進出しようとしていて、視聴者の奪い合いがますます熾烈になっていくことに、DAZNを見始めて改めて気がついた。

2019年6月10日月曜日

久しぶりの海外旅行 シアトル、ポートランド

 

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・海外旅行は5年ぶり。パートナーの脳梗塞でイタリア旅行が直前でキャンセルされて以来です。リハビリの甲斐あって、短期間の海外旅行を試せるようになりました。8日間で、友人のKちゃんが住むポートランドへ。これは最初はKちゃんのところ行くと彼女と約束したからでした。ぼくの狙いはエンジェルスの大谷選手で、シアトルでマリナーズとやる試合に合わせて旅程を組みました。6月2日出発で、シアトルについてすぐに球場へ。荷物を球場近くにとったホテルに預け、セイフコではなく、今年から名前の変わったTモバイル球場に出かけました。

photo84-2.jpg・この日は日曜日で、少年野球チームがたくさん招待され、スタンドは子どもたちでいっぱいになりました。ゲームはエンジェルスの大勝で、大谷選手は3打席エラーで出塁というおかしな結果でした。試合そのものはおもしろくなかったけれど、メジャー・リーグの雰囲気を楽しみ、大谷選手を目の前で見ることができました。
・とにかく眠かったので、七回の「テイク・ミー・アウト・ツー・ザ・ボール・ゲーム」を歌ったところで、ホテルに戻ることにしました。球場を出ると自転車のリキシャがいて、30ドルと高かったけれど宇和島屋まで乗っていくことにしました。上り坂があって汗ビッショリになりながら漕いでいると、申し訳ないような気持ちになりました。

・翌日はアムトラックでポートランドへ。のんびり走って4時間で着きました。その日は息子さんの所でバーベキュー。分厚いステーキに焼きおにぎり。次の日は息子さんたちの運転でMt.フッド近くでキャンプ。目指したところはまだ雪で、ランクルがスタックしかかりましたが、何とか抜けて川べりに落ちつきました。5人と犬3匹でしたから、車内はぎゅうぎゅう詰めでした。枯れ木を集めてキャンプ・ファイヤーをして食事。水場もトイレもないところでキャンプするのが、ここでは当たり前のようでした。

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・ところで犬3匹の散歩は大変です。特に若いクロラブのサムは力が強くて元気ですから、散歩に連れていってもらえないことが多いようでした。そこでぼくがひいて、近所のローズ・ガーデンや森を散歩することにしました。
・というわけで、一週間の旅もあっという間に終わり、帰国の途につきました。ポートランドの町は、最近人口が急増して交通渋滞も激しかったですが、飛行機から見下ろすと、緑に囲まれたのどかな風景でした。

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2019年6月2日日曜日

井上俊『文化社会学界隈』 (世界思想社)

 

inoue1.jpg・井上俊さんはぼくにとって社会学の先生である。ぼくは60年代後半にアメリカで盛んになった「カウンター・カルチャー」に興味があって大学院に進んだが、それをどう分析するかはさっぱりわからなかった。院の授業で、映画や文学、あるいはポピュラー音楽などについて、雑談のようにして話をしたり、「文化」についての最新の研究を教えてもらったりすることで、視点の取り方や分析手法みたいなことが少しずつわかってきた。「大衆文化」や「若者文化」が関心をもたれるようになり、それらを分析する社会学的な考察にもまた、従来とは異なる新しい波が押し寄せていた。70年代初めは、新しい文化現象を新しい手法で分析できる、おもしろい時代のはじまりだったのである。

・ぼくが書いた修士論文のタイトルは「ミニコミの思想 対抗文化の行動と様式」だった。「ミニコミ」については、やはり大学院で、この分野の第一人者だった田村紀雄さんから、いろいろ教わった。大学院には教員と学生の間に「教える者」と「教わる者」という明確な違いがあって、その垣根を越えることは、学生にとってはしてはいけない行為のように思われていた(今でもそういうところはかなりあるようだ)。しかし、二人とは最初から友達関係のようにしてつきあうことができた。その意味で、たまたま行った大学院で二人の方と出会うことができたのは、幸運以外の何ものでもなかったとつくづく思う。

・『文化社会学界隈』を読んでいると、そんな半世紀も前のことが思い出されて楽しくなった。とは言え、書かれているのは決して古いものではなく、大半は今世紀になって書かれたり、話されたりしたものである。たとえば「社会学と文学」の章では文学と社会学の関係を改めて整理している。社会学にとって文学とは何か。それは社会学の理論をわかりやすくする具体例の宝庫というだけでなく、先行研究として、その中にある社会学的な芽を見つけるべきものでもある。社会学が扱うテーマや視点、あるいは考え方は文学だけでなく、社会や人間を扱うさまざまな表現形態のなかにもある。映画や音楽、アート、そしてスポーツなど。まさにこの本の題名が示す「文化社会学界隈」である。

・また、「初期シカゴ学派と文学」では、その代表的な存在であったR.E.パークがジャーナリスト出身であることを取りあげて、社会学の調査とジャーナリズムの取材における類似性と違いについてふれている。社会の実態をより正確につかむためには、その表層だけでなく、非行や犯罪、浮浪者や売春婦などを研究対象にして、いかがわしさの側から見る視点が必要になる。そんな伝統は20世紀前半に、シカゴ学派から始まった。他方で社会学には統計調査をもとにした「科学的手法」もある。社会学は社会科学の一分野だから文学とは違う。こんな考えは現在でも根強くある。だからこそ、社会学は文学と科学の中間の営みとして発展してきたという指摘は、今でも大事だと思った。

・この本ではさらに、武道を中心にしたスポーツや、コミュニケーションと物語についての考察がされている。そう言えば、スポーツを社会学として本格的に研究すべきとして立ち上げた「スポーツ社会学会」では、井上さんは中心的な存在だった。そしてここから、スポーツを単に体育学の中だけではなく、その近代化の過程やナショナリズム、消費社会や商業化、あるいはメディアや芸術との関係としてとらえ直すことが始まった。今日のスポーツが、政治、経済、社会の多くの問題と絡みあっていることはいうまでもない。

・同様のことはコミュニケーションについても言える。コミュニケーションや人間関係を、「話せばわかる」といったコミュニケーションの理想型から見るのではなく、通じない、わからない部分、つまりディスコミュニケーションとの関係を前提にして捉えていく。このような考え方も、ぼくが学生の頃に指摘され始めたものだった。ここでは鶴見俊輔が作りだした「ディスコミュニケーション」という概念を取りあげながら、人間関係やコミュニケーションにおける「感情」の問題に目を向けている。「コミュニケーション力」の必要性が盛んに叫ばれているが、「ディスコミ」の部分や人間の感情の複雑さにもっと目を向けることは、今こそ必要なのである。

・井上さんはぼくより一世代上である。体調を崩して心配したこともあったが、本を出されたことでほっとした。ぼくは退職して、研究活動もやめてしまったから、このような本をいただいて恐縮している。論文を書く気はないが、文化社会(学)界隈についての関心は持ち続けようと思っている。