2022年9月12日月曜日

雨ばかりの夏だった

 

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それにしても雨ばかりの夏だった。じめじめして家の中がカビ臭い。去年は屋根の張り替えで、資材置き場にしたために取れなかったミョウガが、今年は少しだけ収穫できた。根が張りすぎたために一昨年、荒っぽく間引きもしたから、ミョウガが出てくるのは広がった周辺だけだった。ザルいっぱい取れた頃が懐かしいが、復活してくれるのだろうか。

forest186-2.jpg9ヶ月ぶりに孫がやってきた。7月に家族全員がコロナに感染したという。陰性になったから安全だと言われたが、ちょっと心配だった。近づかないようにと思っても、そういうわけにもいかない。おんぶに肩車などもやり、一緒にピザを焼き、前日に作ったシュークリームも食べた。当然だが、しばらく会わないと大きくなるし、言葉づかいも変わってくる。もっと頻繁に会えたらいいのだが、コロナが収まるまでは難しいだろう。で、数時間で帰ったが、その後1週間は、症状が出ないかと心配だった。

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雨ばかりでふやけたせいか。腐りかけの階段が壊れてしまった。新しく作り直したのだが、デッキにうまくはまらないし、踏み板が斜めになっているし、幅も一緒ではない。同じように切って、打ちつけたはずなのにと何度かやり直した。まだ気になるところはあるが、穴だらけになってしまうからと諦めることにした。引っ越してから3回目だから10年ぐらいは持ったのだろうと思う。

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ちょっと前から屋根の梁あたりで蜂がにぎやかに飛び交うようになった。二階の窓から網戸越しに懐中電灯で照らすと、蜂が何匹も近づいてきた。慌てて窓を閉めると数匹、網戸と窓の間に入り込んだ。翌日には死んでいたので、パートナーがカメラで撮って、ネットでどんな蜂なのか質問をした。そうするとチャイロスズメバチで、攻撃性が強く強力な毒を持っていると回答があった。ただ、他の蜂の巣を乗っ取ると書いてあったが、巣が梁のまわりでだんだん大きくなっているから作っているようにも見える。いずれにしても、そっとしておいて、冬になったら落とそうと思っている。

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少しはどこかに行こうと、霧ケ峰の八島ヶ原湿原に出かけた。久しぶりの好天で、湿原を一回りした。平日だったが野草や野鳥目当ての大勢の人がいて、マスクをしての散策になった。帰りは白樺湖から八ケ岳を経由して、ドライブを楽しんだ、閉じこもっていたから、ちょっとすっきりした気分になった。

2022年9月5日月曜日

最近見た映画

 

journal3-210-1.jpg"どこにも出かけないから映画をよく見ている。もちろん、映画館ではなくAmazonでだ。自分が歳取ったせいもあるが、長年見てきた俳優が同じように高齢化していることもある。で、老人ホームをテーマにした作品を何本か見た。ダイアン・キートンはウッディ・アレンの作品に出ていた頃からのファンだが、『チア・アップ』は老人ホームに入ってチアリーディング・チームを作るという話である。余命のかぎられた癌を宣告されて、最後はホームで過ごそうと思ったところから話は始まる。いくつもの難局を乗り越えて、大会に出場して大喝采を得た後で死ぬという話だが、彼女のチャーミングさは健在だった。




journal3-210-3.jpg" 『43年後のアイ・ラブ・ユー』は、演劇評論家の主人公が、昔恋人だった舞台女優がアルツハイマーになって老人ホームに入ったというニュースを見て、自分も同じホームに入るという設定である。もちろん、病気を装ってだが、彼の家族はそれを鵜呑みにしてしまう。彼の目的は、女優の病状を何とか回復させようとすることで、いろいろ昔話を持ちかけるが、彼女にはまったく届かない。しかし、そんな目的を理解した孫娘の協力で、女優がかつて演じた芝居を老人ホームで上演して、彼女の記憶を呼び覚ますことに成功するのである。





journal3-210-2.jpg"『チア・アップ』で共演していた女優が主演する映画をAmazonが勧めていたので『Stage Mother』を続けて見た。ゲイの息子が薬物依存で死んだという連絡を受けとるところから始まる。葬式に参列するためにテキサスからサンフランシスコに出かけるが、ゲイばかりの異様さに、途中で退出してしまう。しかし、息子が主役で出ていたゲイ・バーの仲間たちと親しくなり、観光客を対象にしたショー・ホールとして再建させて成功するのである。そのジャッキー・ウィーヴァーはオーストラリア出身で、『世界にひとつのプレイブック』でアカデミー助演女優賞を得ている。この映画もAmazonで見ていたのだが、まったく印象に残っていなかった。

こんなふうにAmazonでの映画鑑賞が半ば習慣化している。最近見て面白いと思ったのは他にもたくさんある。聾唖の家族の中で一人だけ耳が聞こえて歌もうまい娘が、いくつもの難局を乗り越えて音楽大学に進学する『コーダ・あいのうた』、デブでいじめられっ子だった少年が、やはり歌の才能を生かしてオペラ歌手になるという『ワン、チャンス』、イギリスで捕虜になったナチスの兵士が、サッカーのゴールキーパとして「マンチェスター・シティ」に入り、やがて国民的英雄となる実話に基づいた『キーパー』、自分の不注意で家が火事になり子どもを死なせた主人公の再生物語である『マンチェスター・バイ・ザ・シー』、年老いた美術商が最後に、名前がなくて価値の定まらなかった肖像画を描いた画家を突き止めるという『ラスト・ディール』などである。

映画三昧と言いたいところだが、出かけることができないかわりに仕方なくといったところでもある。ジョニ・デップがユージン・スミス役になった『MINAMATA ミナマタ』も見たが、これは次回のコラムで書くつもりだ。


2022年8月29日月曜日

安倍の蓋が取れて出た汚物

 

安倍元首相がいなくなって自民党が大混乱に陥っている。岸田首相は打開策として内閣改造をしたが、いつもなら上がる支持率が逆に急落してしまった。それもこれも、安倍によって隠されてきた汚物がどっと噴き出してしまっているからだ。中でも特に醜悪なのは旧統一教会との関係である。内閣改造は旧統一教会と関係ある議員を外したはずなのに、新しい閣僚にもまた多くの関係者がいて、かえって逆効果になったのである。

しかしそれにしても、自民党と旧統一教会の関係の根深さには驚かされる。この教会の信者は公称では50万人を超えているが、選挙での組織票では10万票程度だと言われている。それほど多くはないが、当落線上にいる議員に集中的に集めれば、当選が可能になる数ではある。今回の参議院選挙では比例では井上義之、東京地方区では生稲晃子に集めて二人とも当選したと言われている。で、それを指示したのが安倍だったというのである。

このような手法については、安倍が最初に首相になった時にも使われたようだ。小泉純一郎が5年務めた後の首相の座をめぐって戦われた自民党総裁選挙で、当時は本命でなかった安倍が勝ったのは、自民党員による票が大きかったと言われている。党員になるためには年額4000円を納めるだけで、それを2年続ければ選挙資格が得られるから、安倍は統一教会の信者を多数党員にして総裁選に臨んだというのである。だとすれば、統一教会との関係はすでに15年以上にもなる。しかし第一次政権は短命だったから、「世界平和統一家庭連合」に名称変更が認められたのは、第二次安倍内閣発足後の2015年になった。

安倍が倒れて蓋が外れた影響は、検察にも及んでいる。オリンピックの組織委理事だった高橋治之が、スポンサー契約をめぐって衣服メーカーAOKIとの間にあった贈収賄容疑で逮捕された。しかしこれは入り口に過ぎず、オリンピック招致でアフリカに提供された賄賂や、さらには神宮再開発計画などについて検察は自民党の現職議員、それも大臣や首相経験者にも捜査の手を向けはじめているといった情報もある。オリンピック招致に積極的に動いた安倍や石原元東京都知事はすでに故人だが、まだ元気な人たちは戦々恐々の思いだろう。

嘘を平気でついた安倍はまた、国の統計数字をも改竄していたようである。国土交通省は2013年度から20年度にかけて34.5兆円統計不正を行っていたことが報じられた。アベノミクスによるGDPの拡大を政策に揚げた手前、それが実現したかのように見せかけようとした疑いが持たれている。これはもちろん安倍本人がというのではなく、官僚の忖度によるものである。果たして同じことが他の省庁ではなかったのか。疑念は尽きることがない。

記録や書類の改竄はすでに森友加計桜問題でも明らかである。都合の悪いことは隠せ、直せ、騙せ、知らんぷりをしろといったやり方や態度が、安倍政権下では日常化していたと言わざるを得ない。旧統一教会と政治家の関係もまたその一つだが、これから一体何が出てくるのか。安倍が溜め、蓋をして隠していたことが次々明るみに出ているのに、岸田首相はまだ国葬をやるつもりでいる。手遅れにならないうちに中止の宣言をしないと、政権が倒れる事態になるのは目に見えている。

2022年8月22日月曜日

Eric Clapton "The Lady in Balcony"

 

clapton2.jpg"エリック・クラプトンは今年77歳になった。日本で言えば喜寿の歳だ。デビューは1960年代初めだから、音楽活動はすでに60年を超えている。で、新しいアルバムを出した。"The Lady in Balcony"は、ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで予定されていたコンサートがコロナで中止になり、その代わりにライブハウスで行った小さなコンサートを収録したものである。

だから新しい曲はなく、使われている楽器の多くはエレキではなくアコースティックギターである。ライブ盤といっても聴衆がいないから、曲の合間に拍手も掛け声もない。本来なら大きなホールでやるはずだったものが、コロナで出来なかったということをメッセージとして残しておきたかったのだろうか。

クラプトンはエレキ・ギターの名手として知られていて、その奏法にはスロー・ハンドという名前が付けられている。指の動きはゆっくりしているように見えるのに、生きた音が繰り出される様子を形容したものだと言われている。何しろその格好良さで日本にも多くのファンがいて、来日すればいつでも武道館が一杯になるほどだった。

エレキ・ギターの名手としては他に、ジミー・ペイジやジェフ・ベックなどが挙げられるが、いずれもヤードバーズのギタリストだった。面白いのは三人ともヤードバーズを抜けて新しいバンドを作ってから有名になっていることだ。クラプトンはクリーム、ペイジはレッド・ツェッペリン、そしてベックはジェフ・ベック・グループである。そんなことを書いていると、60年代から70年代にかけて聴いていたブリティッシュ音楽が思い起こされて懐かしくなる。

ただし、クラプトンについて思い出すシーンは、彼が主役ではなく脇役として登場するコンサートばかりである。たとえばジョージ・ハリスンが呼びかけ人になったバングラディシュの食糧危機支援のコンサートやザ・バンドの解散記念コンサートのザ・ラスト・ワルツなどである。彼はそこでギターとバック・コーラスばかりだったが、主役に負けない存在感があった。

僕がクラプトンをよく聴くようになったのは、生ギターを主にしたアンプラグドというシリーズの中で発表した「ティアーズ・イン・ヘブン」以降である。その後の「フロム・ザ・クレイドル」 (1994)、「ピルグリム」 (1998)などを聴いてから、それ以前の「アナザー・チケット」 (1981)や「ビハインド・ザ・サン 」(1985)、「オーガスト 」(1986)、そして「ジャーニーマン 」(1989)なども聴くようになった。

"The Lady in Balcony"は、そんな彼が歌い演奏してきた曲で構成されている。昔とあまり変わらない声で、それほどギターを目立たせずに静かに淡々と歌っている。参加ミュージシャンと車座になっているところとあわせて、すぐそばで聴いているような気持ちになった。

2022年8月15日月曜日

国葬なんてとんでもない

 

安倍元首相が亡くなってすぐに、岸田首相が国葬にすると言いました。耳を疑うことばでしたが、今のところ行われる予定のようです。戦後の国葬は吉田茂以来ですが、安倍晋三に一体どんな功績があったと言うのでしょうか。功などはなくて罪、それも大罪ばかりだったと言えるでしょう。そのことを確認するために、この場で書いたものを挙げてみました。(ブログで安倍アベと検索すれば、すべてを読むことが出来ます。)
・厳冬の時代へ(2014/1/2) ・NHKはAHK(2014/2/3) ・自滅解散に追い込まねば(2014/12/8) ・こんな選挙は無効にすべきだ!(2014/12/15)
・メディアの翼賛体制構築を批判する声(2015/2/16) ・メディアの自由度(2015/4/6) ・「ダブル・スピーク」乱発と無関心(2015/5/18)
・空恐ろしい「アベ」の時代(2015/5/25) ・無責任体制の極み(2015/8/17) ・世論操作の露骨さ(2015/12/7) ・2015という年(2015/12/28)
・2016という年(2016/2/8) ・中立公正とは政府に従うこと(2016/2/15) ・桝添イジメで隠されたもの(2016/6/20) ・NHKは大罪(2017/5/29) ・卑劣な解散に怒りを(2017/9/25) ・立憲民主党に(2017/10/30)
・政権が倒れない不思議(2018/3/12) ・最後まで嘘の安倍政権(2020/9/14) ・テレビは政権の広報機関になった(2020/10/5) ・拝啓菅総理大臣様 (2021/9/6)
・安倍元首相の死で見えてきた闇 (2022/7/18) ・ニュースはネットで(2022/7/25)
安倍の功績として言われるのはアベノミクスと外交ですが、日本の経済がこの10年にどれほど落ち込んだかは、円安と賃金安、GDPの低下、それに日銀の政策破綻で明らかです。彼は国会で100回以上の嘘をつきましたが、その間におきた森友加計や桜問題などで政治を大混乱させました。国会の軽視や官僚の堕落、そしてメディアへの圧力など、あげたらきりがないほどです。

頻繁な外遊でばらまいたお金は途方もない額になっています。防衛費の倍増の多くは、アメリカの言いなりで約束した武器の購入費に当てられます。その武器の多くは実際に役に立つのかどうか、わからないものが多いのです。プーチンとも何度も会いましたが、北方領土は結局帰ることがない状態になってしまいました。台湾有事は日本有事などと発言して、中国の脅威を煽っていましたが、中国や韓国との関係を悪化させたのも、彼の外交政策が原因でした。

「今だけ金だけ自分だけ」といった風潮を招き、浸透させたのも彼の言動によるところが多かったでしょう。結局は地位や金がモノを言う。社会や他人がどうなろうと自分さえよければそれでいい。これこそ安倍政治が招いた風潮で、そんな態度が政治や経済、そして社会のトップにいる人たちに共有され、それに忖度する下の人たちに蔓延してしまっているのです。

ですから、彼が凶弾に倒れたのは自業自得だと言えるかもしれません。銃を自作してまで殺そうと思った山上容疑者の思いは、その成長過程で味わった苦悩で十分に理解できるものでした。その後に発覚した安倍と旧統一教会の関係、多数の自民党議員との癒着と、それに対する言い逃れを聞いていると、日本の政治も落ちたものだとあきれるばかりです。岸田首相は慌てて内閣改造をやりました。統一教会に関連する議員を排除するといいましたが、新しい閣僚の中にもごろごろいます。

世論調査では国葬に対する支持は半数を割って反対より少ない状況です。おそらく支持の数はもっと減ることでしょう。それでも国葬を強行すれば、それは日本という国自体の葬儀になるでしょう。旧統一教会が韓国で集会を開き、安倍の追悼をやりました。各国から要人も出席し、トランプのメッセージもあったようです。もうこれで十分ではないかと思いました。

2022年8月8日月曜日

ビー・ウィルソン『人はこうして「食べる」を学ぶ』(原書房)

コロナ禍になってもう2年半が過ぎた。最近の感染者が桁外れに多いのに、国は何もしないし、人出は多い。だから余計に怖い気がして、ますます家に閉じこもるようになった。そうなると、楽しいことは食事ぐらいだから、ちょっと贅沢もしたくなった。さて何を食べるか。そんなことを考えていたら、読まずに積んであった本が目に入った。

bee1.jpg ビー・ウィルソンの『人はこうして「食べる」を学ぶ』は、生まれてから大人になるまでに身につく食の習慣や好き嫌い、性癖や病理などをテーマにしている。食べることが学ぶことであるのは、食の習慣や好き嫌いが後天的に身につくものであることを意味している。肉、魚、野菜、そして穀物。これらのものはそれぞれ、豊富に取れるところとそうでないところがある。そして人間は、生きている場所で食べることが可能なものを求めて生きてきた。食の習慣や好き嫌いはまず、そんな環境的な条件によって作られてきたものである。

ところが現在では、食べたいものがあれば何でも買って手に入れることが出来る。だから同じ国や地域に住んでいても、各家庭によって食べるものは違ったりするし、逆に、食べ物の商品化によって、世界中で同じものが食べられたりもするようになった。そうなると、何を食べるか、食べたらいいのか悪いのかといったことが、栄養や健康を考えて勧められたり、自制したりもするようになった。

たとえば離乳食はいつからどんなふうにして食べさせたらいいのか。こんなことはどこの国でも育児書などで解説されている。しかし、栄養を考えて無理やりにでも子どもに食べさせようとすれば、子どもはますます嫌いになって、それが好き嫌いの原因になったりもする。あるいは兄弟姉妹が互いに意識しあって、兄が好きなものを弟が嫌いになったりもするようだ。

子どもの食が細いと、当然親は何とか食べさせようと苦心する。それで子どもが食べるようになれば、親にとっては多くの喜びだが、ここには子どもの健康や成長を考えてということのほかに、親としての務めを果たしたという満足感も生まれる。親にとっては何より、その感覚こそが大事だったりする。だから子どもは親のために食べたふりをするといったことも学ぶようになる。そうであればこそ、子どもに満足に食べさせられないことは、親にとっては自分のダメさ加減を思い知らされることにもなるというわけだ。

この本では他にも虚飾や飽食の摂食障害などに章が割かれているが、最後が日本食賛美になっているのには違和感をもった。確かに欧米の食事にはカロリーのとりすぎや食べる量の多さによる肥満といった問題があるようだ。それに比べれば日本食は低カロリーで、日本人は大食いではない。うま味によって塩や砂糖を取りすぎることを控えるといった側面もある。統計でも世界有数の長寿国であるし、肥満の割合も多くはない。ただし、例に上がっている食べ物が塩分やカロリー過多のラーメンだったのには、首をかしげてしまった。

日本食は明治維新と第二次世界大戦で大きく変化している。著者はそこにも注目していて、洋風化してもなお、カロリー過多や食べ過ぎにならず、日本人の好みに合うように作り直したことに、食の改善の方向性を見つけている。この点では確かに同意する。しかしそれでも、出来合いのものは味が濃くて、カロリー過多だと思うから、日本人の食が世界の見本になるとはとても思えない気がする。

2022年8月1日月曜日

閉じこもるしかないけれど………

 

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ずっと外出を控えていたのに、コロナの感染者が桁違いに増えたから、まだ当分、出かけられそうにない。ガソリン代は相変わらず高止まりだが、1週間に100kmも走っていないから、2週間経っても満タンに近い表示になっている。感染者は山梨県でも1000人を超えるようになった。河口湖町でも毎日数十人と出ているから、近場ならいいだろうというわけには行かなくなった。だから僕の外出は、週一回の車でのスーパーへの買い物と、数回の自転車での湖1周だけになっている。パートナー以外にはほとんど、誰とも話をしない日が続いている。

forest185-2.jpg もちろん、週末の湖畔は車と人でごった返している。今はラベンダーが呼び物で買い物の帰りにちょっと寄ったが、とても週末に出かける気にはならない。自転車も暑さや人混みを避けて早朝と決めている。今は終わったが、周回道路の工事があって、それが始まる前に走ることにしていたこともある。工事が終わってでこぼこがなくなったから、自転車には走りやすくなった。



forest185-3.jpg 雨が多かったから、自転車で出ても、富士山は雲で隠れていることが多かった。たまに顔を出すたびに雪が少なくなって、今はもう何もない状態だ。素顔の富士山ははっきり言って美しくない。やはり富士には雪が似あう。コロナのせいで、そんな富士山を追いかける外国人の姿は、今でもほとんど見かけない。しかし、日本人は多い。ホテルも次々新しいのが出来ているが、キャンプ場の新設も目立っている。狭い林道だったり、崩れる危険性があるところに出来ているから、腹立たしい限りだ。

forest185-4.jpg 雨や暑さのせいで外で作業をすることもあまりないが、杉の実や葉っぱで汚れた車の掃除をしたり、家のデッキや工房の庇の掃除、そして伸びはじめた雑草の刈り取りなどはしている。しかし、一日のメインは大谷選手の試合を見ることになっている。朝なら買い物は午後になるし、自転車もゲームが始まる前に帰ってくることになる。ところがエンジェルスは負けてばかりだから、途中で腹が立って見るのをやめることが少なくない。もちろん、彼が投げる時はもうドキドキしながら見ているが、勝てるのは彼が投げる時だけだから、もう他のチームに移って欲しいと願うばかりだ。