2023年4月24日月曜日

カタクリ、原木、ゴミ穴等々

 

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春が早かったから、カタクリも3月中旬には芽を出しはじめた。いつもよりも半月早いが、昨年鹿に食べられてるから、花の数は100を超えたところだった。一昨年は140もあったから、数えるたびに悔やまれた。毎年着実に増えていたのに、鹿のやつめ。春になって雪が降ると、庭を鹿がうろつくことがある。それで去年は椿や青木の葉もすべて食べられてしまったので、今年は網を掛けておいた。しかし幸い、雪はなかった。

forest191-2.jpg 前回も書いたが3年ぶりに東京に出かけた。孫はもう2年生で、野球をやっている。そのチームの試合を観たのだが、三振するたびに泣きますよ、と聞いていたら、ほんとうにべそをかいた。仲間に慰められたり、悔しい気持ちがあればうまくなるとほめられたり。しかし本当はただの泣き虫だと爺さんは思った。


forest191-3.jpg コロナが収まっているうちにと続けて東京方面に出かけた。一つは信用金庫の口座を閉じることで、もう何年もほったらかしにしといたものだった。解約は契約したところでないとできないので、コロナ前から気になっていたことだった。他には病気療養中の義兄のお見舞いと、父の墓参りに行った。折から桜が満開で、都内の渋滞もそれほど気にならなかった。しかしまた感染者が増えはじめているから、調子に乗ってどんどん行こうという気にはなれないでいる。

forest191-4.jpg せっかく雪のない冬だったのに、原木が手に入らないから、この冬は薪割りができなかった。暖冬で薪は例年の半分ほどしか使わなかったから、次の冬の分ぐらいは残すことができた。何しろ3月中にストーブの掃除をしたのは初めてのことだったのだ。しかし、薪は1年以上乾かす必要があるから、何とか今年中の早い時期に原木を手に入れたいと思う。薪屋さん何とかしてくれないかな。



forest191-5.jpg 一昨年掘ったばかりなのに、ごみ捨て場が一杯になったので、新しく掘ることにした。すぐ隣で、10年ほど前にごみ捨て場にしたところだが、すっかり土に帰っていた。ただ、ストーブの灰が黄色い層になっていて、貝殻や卵の殻はそのままだった。それに納豆を入れた小さな容器がいっぱい出た。なぜここに埋めたんだろうと考えてしまった。全部回収して改めて燃えるゴミの袋に入れた。


forest191-6.jpg 暇な暮らしだが、何だかんだとやることはある。早く暖かくなったから自転車に乗りだすのも早かった。しかし今年は観光客の出足も早くて、3月の後半からは平日でもかなりの人出になっている。クルマも多いから、注意しながらの自転車になっている。レンタル自転車を借りて湖を一周する人も多いが、そのほとんどは白人だ。今までならほとんど人もクルマもいなかった西湖も、最近はキャンプする人が多くなった。このぶんでは、これからますます混みあうことになるだろう。
昨年一つだけ咲いた三つ葉ツツジが今年は八つも咲いた。長年待ったが,これからどんどん増えるのだろうか。

2023年4月17日月曜日

呆れた選挙

 

統一地方選挙の前半が終わった。低投票率だったようだ。僕の住む選挙区は県議選の立候補者が一人だったから選挙はなかった。対立候補を立てられない野党のだらしなさといえばそれまでだが、議員の成り手がいなくて欠員になったところもあるようだ。何も問題がないのならばともかく、国全体のことはもちろん、福祉や過疎化,貧困等々,どんな地方でも課題は山積みのはずなのである。選挙では何も変わらないと諦めてしまっているのだろうか。だとすれば,日本はますます落ち込むばかりじゃないか。そんな感想を持った。

shunger.jpg" 国際連合食糧農業機関(FAO)が毎年発表している「ハンガーマップ」で,今年初めて日本が色付けされた。必ずしも貧困を示すデータではないようだが、給食以外に栄養のとれない子供が増えているとか、炊き出しをすると大勢の人が並ぶといったことが言われているから、貧困を示していることも間違いないのではと思った、何しろ日本の賃金は30年以上も上がっていないのに,最近の物価上昇はすさまじいから,日々の食事に困る人が増えて当然なのである。FACのデータは2021年度だから,来年以降はもっとひどいことになるのかも知れない。

この選挙での話題の一つは大阪府知事と市長,それに奈良県知事に維新の候補者が当選したことだった。しかも大阪はどちらも圧勝だった。コロナへの対応のまずさが突出して日本で一番ひどかったし、万博やIRで難問山積みなのに有権者は維新を支持したのである。よそから見たら信じられない愚行に思えるが、僕は京都に25年住んで大阪の大学で働いていたから,その理由が分からないでもなかった。以前にも書いたことがあるが,維新支持は阪神びいきと同じ気持ちだということだ。反東京で独立国のような意識が強いのである。その気持ちはわからないではないが、このままでは奈落の底に落ちるのではと心配してしまう。

札幌五輪がからむ北海道知事と札幌市長選も誘致に賛成の現職が再選された。汚職まみれで多額の出費になった東京五輪の結果からすれば,もうやめて当然だが、一回先送りしてでもやりたいという気持ちを有権者は支持したのだろうか。財政的に豊かではないのになぜ、短期間のイベントをやりたがるのだろうか。大阪の万博同様,そんなお祭りをやる余裕は日本にはないのが現状なのに,それがわからない人が多すぎるのである。

選挙は後半にもう一回あって、次は衆参の補欠選挙が話題になるようだ。しかしここでも呆れるのは、世襲の候補者が目立つことだ。すでに自民党の国会議員の3割が世襲で,閣僚の半分を占めているのである。首相が菅以外世襲続きであることに今さら驚きはしないが、その間に日本がどれほどダメになったか。そのことに目を向ければ,さらに世襲が進むことに異議を唱えるのが当然のはずである。国会議員がまるで江戸時代の殿様であるかのように振る舞うことが当たり前になったのでは、日本の未来に救いはないだろう。

2023年4月10日月曜日

坂本龍一の死に想う

 
坂本龍一が逝ってしまった。享年71歳、僕より三つも若い、早すぎる死だった。癌と闘いながらも反原発や憲法の擁護、そして自然破壊などを批判する言動を繰り返してきた。同じような活動をしてきた大江健三郎の訃報を聞いたばかりだったから、ショックはいっそう大きかった。日本の良心と呼べる人の相次ぐ死は、軍備増強に舵を切った日本の状況を歯止めのきかないものにしてしまう。そんな気持ちに襲われた。

sakamoto2.jpg" 坂本龍一が有名になったのは『YMO』からだが、僕が彼に興味を持ったのは、1983年に公開された『戦場のメリー・クリスマス』がきっかけだった。大島渚が監督したこの映画に、彼はデビッド・ボウイやビート・タケシとともに出演し、主題歌を作った。これがきっかけだったかどうか分からないが、坂本は『YMO』を解散し、『ラスト・エンペラー』にも出演し、音楽も担当してアカデミー賞やグラミー賞などを獲得して、一躍世界的なミュージシャンになった。


sakamoto1.jpg" 坂本龍一が音楽を使って政治的なメッセージをすることを知ったのは、2001年にTBSが企画した「地雷ZERO 21世紀最初の祈り」に出演した時だった。彼は地雷撤去のためのチャリティソング「ZERO LANDMINE」を作曲して,親交があって彼の意志に共鳴するミュージシャンたちを集めてCDを作った。ニューヨークに移り住んだ90年代から2000年代にかけては『YMO』の再結成もあって,彼がもっとも精力的に活動した時期だったが、9.11を経験することにもなった。音楽にいったい何ができるのか。そんなことに悩み,自分の表現活動を試行するきっかけになったようだ。

彼の政治的な発言がより際立つきっかけになったのは、2011年の東日本大震災と福島原発事故だった。2014年に中咽頭癌を発症して,療養生活を送ることになったが,すぐに回復して音楽活動も政治的発言も精力的に行った。それは21年に直腸や肺に転移した癌の摘出した後も続いていて,つい最近も神宮の木を伐採する方針に抗議して小池都知事などに直訴する手紙を書いていることが報道されたばかりだった。

ジョージ・オーウェルを評価する時に使われたことばに「ディセンシー(decency)」がある。オーウェルを評価した大江健三郎もまた、この「ディーセンシー」を使ってオーウェルを論じることがあった。それは大江自身が自らを律する時に使ったことばでもあるが、僕はまた,坂本龍一にももっとも当てはまることばであるように思う。「品位」「良識」「人間らしさ」などと訳されるが、世界の政治や経済,そして社会の分野で今,大きな力を持つ人たちにもっとも欠けているものである。

P.S. NHKの「クローズアップ現代」が坂本龍一を追悼する番組を放送した。しかし、光を当てたのは彼の音楽のみで,政治的な言動についてはまったくふれなかった。それは彼の一面だけを捉えて、その全体存在を矮小化する愚行だが、NHKが「ディセンシー」とは無縁のメディアに堕してしまっていることを露呈した番組でもあった。

2023年4月3日月曜日

『プラン75』

 



plan75.jpg" 75歳を過ぎたら10万円と引き換えに死を選べる。『プラン75』は高齢化社会を是正するために国が考え出した制度だ。失業して身寄りがない主人公が最後に選択するのだが、見ていて何も救いがない、憂鬱になるだけの映画だった。

そもそも、こんな姨捨山そのものの制度が何の反対もなく合法化されるのだろうか。見る前から、そんな疑問を感じていたが、窓口で業務をしたり、プランに入った老人のケアをする職員たちが何の疑問もなく仕事をする姿に違和感を持った。彼や彼女たちも次第に疑問を持ちはじめるのだが、最初から思わなければおかしいはずである。

主人公(倍賞美津子)が最後に夕日を眺めるところで映画は終わって、プランを中止したことを暗示させるのだが、それで何か救われた気になるわけでもなかった。いったいこの映画は何が言いたいのだろうと、首をかしげたが、すぐ後に、「老人は集団自決をすべき」といった暴言を吐いたテレビのコメンテーターがいて、批判されたりもして、そういう空気があるのかと、改めて思った。

もっとも、今の日本の状況は政治的にも経済的にも、そして社会的にもひどいことになっているのに、デモ一つ起こらないし、メディアはどれも何一つ本気になって批判していない。収入が上がらないのに税金などでその半分が召し上げられ、五公五民などと言われている。破綻してもおかしくない借金財政なのに、防衛予算だけが突出して増えている。子供の出産数がどんどん減って、少子化を食い止めるのはもう無理になっているのに、今さら口先だけの「異次元の政策」などと言い出している。

であれば、近い将来に「プラン75」のような制度ができてもおかしくない世の中になるのかもしれない。そんなふうにも思いたくなった。何しろいつの間にか国の防衛が大事だということになって、「新しい戦前」などと言われはじめているのである。「国のために年寄りは早く死ね」といった思いが空気となって漂い始めているのだろうか。この映画はそれに警鐘を鳴らしたのかもしれない。そう思えば、納得できないこともないが、それではダメなんだと言うメッセージがなければ、やっぱり映画としてはダメなんだと感じた。

2023年3月27日月曜日

WBCが終わって思ったこと

 

wbc1.jpg" WBCで日本が優勝しました。大谷対トラウトで終わるというマンガのような展開でした。まさに大谷の、大谷による、大谷のためのWBCだったと思いました。自分が望むヒリヒリするゲームを経験したでしょうが、見ている者にとっても、ハラハラドキドキや感嘆の連続で、見ていてぐったり疲れてしまいました。このままシーズンに入って、今年こそはポスト・シーズンでも活躍できるよう望むばかりです。

WBCはMLB(メジャー・リーグ機構)が主催する大会ですが、メジャーの各球団はこれまで決して積極的ではありませんでした。チームの看板選手を出して、ケガでもされたらかなわない。そんな考えで、これまでは一流選手の出場はかぎられてきました。しかし、今回はトラウト選手がいち早く参加を宣言して呼びかけたこともあって、多くの選手が参加する大会になりました。その意味では、日本の優勝は今回こそが真の世界一だといえるかも知れません。

そんな大活躍の日本チームの表の主役は大谷選手でしたが、裏で支えたダルビッシュの献身的な努力があったからこそ、というのも間違いないと思います。彼はパドレスのキャンプに参加せずに、宮崎キャンプに最初から参加しました。そして若い選手たちに投球の仕方はもちろん、練習の仕方や食事のとり方など、質問されれば丁寧に答えることを繰り返しました。国の代表であることに緊張する選手たちに、そんなことなど気にせず楽しくやろうと呼びかけ、食事会を何度も催したようです。

しかし、ダルビッシュ選手は最初からWBCに積極的だったわけではありません。彼は再婚ですが、オフシーズンには子供の世話やら家事をパートナーと五分五分でやっているようです。しかもその生活に十分満足しているのだとも言いました。それを犠牲にして参加を決めたのは大谷選手の強い誘いだったようです。参加するなら最初からとことんつきあってやる。そんな決断は決して簡単ではなかったと思います。栗山監督は、でき上がったチームを「ダルビッシュ・ジャパンだ」と言いました。

予選から決勝戦まで十分すぎるくらい楽しみましたが、中継をアマゾンがやってくれたのは大助かりでした。テレビはテレ朝とTBSが中継しましたが、我が家ではどちらのチャンネルも見られなかったのです。なぜメジャー中継をやるABEMAではなくアマゾンだったのか。理由は分かりませんが金銭的なものだったことは推測できるでしょう。ただ、スマホやパソコンからテレビに繋ぐと音声だけしか聞こえなかったのは残念でした。番組によってそうなるのはよくありますが、どういう規制が働いているのでしょうか。

WBCの収益金はすべてMLBに入ります。どれだけのお金かは発表されていませんが、その大部分がMLBに行って、満員の東京ドームで予選を行った日本にはわずかしか返ってこないようです。収益金の多くを野球の世界振興のために使うといった大義名分があるとも聞いていませんから、このことははっきりするよう、日本のプロ野球機構は問いただすべきだと思います。日本チームの選手は強いメジャー選手にも気後れすることなく立ち向かって王者になりました。プロ野球機構の従順さはもちろんですが、日本の政治家や官僚たちにも、今回の日本チームの頑張りを見習って、アメポチといった屈辱的な姿勢を改めるきっかけにしてほしいと強く思いました。もちろん、そんなふうに思う政治家や官僚はほとんど皆無だろうと思っての願いです。

2023年3月20日月曜日

沢木耕太郎『天路の旅人』(新潮社)

sawaki1.jpg 第二次大戦中に満州鉄道で働いていた西川一三には、西域地方に対する強い憧れがあった。チベットのラサまで行くには歩くしかないが、その旅程で必要な荷物や食料を買い、それらを運ぶラクダを手に入れるにはかなりの金が必要になる。で、密偵として西域地方を探るという使命を軍に申し出て受け入れてもらった。そこから砂漠や沼地、山岳を越える過酷な旅が始まるのだが、旅立ちの日から猛吹雪に襲われることになる。

沢木耕太郎の『天路の旅人』は蒙古人のラマ僧に扮してラサまでたどり着き、ヒマラヤを越えてインドまで行った西川の旅を、極めて忠実に再現したドキュメントである。暑さや寒さ、渇きや空腹、あるいは盗賊に襲われるということはあるが、旅の記述は極めて単調な日々の連続といっていい。600頁近い大著で、眠る前にベッドで少しづつと思って読みはじめたが止まらない。一日一章と決めて半月ほどで読了した。おもしろかった。

密偵といっても、特に探らなければならない任務があるわけではない。強いて言えば、中国の力がどの程度西域に及んでいるかといったことぐらいだった。もちろん、西川にとっても、旅の目的はそこにはなくて、未知の地に到達することにあった。密偵としての報告も、たまたま満州まで行くというラマ僧に出会った時に手紙を託すといった程度だった。もちろん、資金はすぐに尽きてしまうのだが、後は托鉢をしたり、寺に居候をしたり、行商人になって稼いだりと、極めてたくましく、インドで釈迦にまつわる地を訪ねる時にはほとんどが無賃乗車だった。

日本が敗戦したことを知った後も、もっと旅を続けるつもりだったのだが、日本人であることやスパイであることがわかり、強制送還されて旅は終わる。その経験は西川本人が『秘境西域八年の潜行』と題して本にし、ベストセラーにもなったのだが、沢木耕太郎は、その旅を自らの手で再現しようとしたのである。

戦後盛岡で化粧品店を営んでいた西川に沢木が会ったのは、今から四半世紀も前のことである。何度も出向いて取材を重ねたが、なかなか本にまとめることができなかった。その間に西川が死に、その後で会うことになった西川の妻も亡くなった。あとがきで沢木は、すでに本人が書いた本があるのに、なぜ彼の旅を描くのかと自問したと書いている。そして旅そのものではなく、旅をした西川を描くのだという結論を導き出す。

沢木耕太郎には多くの著作がある。ノンフィクションの作家として、人物や事件を客観的に描くのではなく、自分がそこに関わることを特徴にしている。デビュー時には、そのスタイルが「ニュー・ジャーナリズム」という呼び方をされたりもした。僕はあまり歳の違わない彼の初期の著作を熱心に読んだが、『深夜特急』以後については興味をなくしていた。売れっ子になってしまったと思ったのかもしれない。ただし、久しぶりに彼の本を読んで、若い頃と変わらない、その描こうとする対象に向かう真摯な姿勢と、強くて軽やかな筆致を再認識した。

2023年3月13日月曜日

ジョニ・キャッシュの最後のアルバム

 
Joni Cash "American IV : The Man Comes Around"
AmericanV : "A Hundred Highway"

ジョニ・キャッシュはカントリーの大御所で、2003年に亡くなっている。ディランと一緒に「北国の少女」を歌ったのが、彼を知るきっかけだったが、その後も特に興味を持つことはなかった。ホアキン・フェニックスが主演した『ウォーク・ザ・ライン』はキャッシュの半生を描いた映画で、面白かったが、それでも,キャッシュのCDを買う気にはならなかった。同じカントリー・ミュージシャンのウィリー・ネルソンのCDを買ったのも4年ほど前で、僕がカントリーミュージックにいかに無関心だったかが、今さらわかるのである。

フォーク・ソングと重なるジャンルなのになぜなのか。単調で明るいサウンドと、保守的で右翼的な歌が多いという印象が強かったのかもしれない。対照的に、ディランに代表されるように、フォーク・ソングは政治や社会を批判するミュージシャンがリードする音楽ジャンルだった。しかし、実際には、二つの音楽ジャンルは、それほど単純に二分できないものだったようだ。実際、ジョニ・キャッシュは民主党支持で、反逆のイメージがあって、刑務所でコンサートをやったりもしている。

cash1.jpg" YouTubeでたまたまジョニ・キャッシュの ”Hurt" という歌を見つけた。その年老いた顔に惹かれて聴いて、CDを買いたくなった。収録されているのは"American IV : The Man Comes Around"というタイトルで、IからVIまで出ているが,キャッシュが存命中に出たのはIVまでである。

”IV"は2002年に発売され、”Hurt" はプロモーション・ビデオとして2003年度のMTV Video Music Awardsで最優秀撮影賞を獲得している。ナイン・インチ・ネイルズのカヴァー曲だが、自身の人生を切々と振りかえるような内容で、キャッシュの墓碑銘だとも言われているようだ。

cash2.jpg" この『アメリカン』のシリーズは著名なプロデューサーであるリック・ルービンが、晩年のキャッシュを追いかけて作ったものである。録音は小さなライブや自宅で10年以上もかけて撮りだめしたものだから、それ以前のキャッシュとはずいぶん違う歌声が聞こえてくる。張りのある低音ではなく、しわがれてか細い声で、楽器もギターだけだったりする。収録曲も自作ばかりではなく、他のミュージシャンのカバー曲が多い。

"IV" にはサイモンとガーファンクルの「明日に架ける橋」やビートルズの「イン・マイ・ライフ」、スティングの「アイ・ハング・マイ・ヘッド」が入っているし、"V" にはスプリングスティーンの「ファーザー・オン・アップ・ザ・ロード」が収められている。他のアルバムにはU2やレナード・コーエン、トム・ウェイツ、トム・ペティ、そしてシェリル・クロウの曲を歌っている。ジャンルを超えて彼が気に入った歌を、プライベートな場で歌う。その歌声に聞き惚れてしまった。