1997年9月15日月曜日

『NIXON』オリヴァー・ストーン(監) アンソニー・ホプキンス(主)

  • ニクソンは、ぼくにとってはもっとも嫌なアメリカ大統領という印象が強かった。J.F.ケネディの敵役だったし、大統領になれたのは、JFKや弟のロバートが暗殺されたおかげだった。大統領になると、北爆やカンボジア侵攻で、ヴェトナム戦争を一層の泥沼状態にしたし、学生運動を強硬に取り締まった。そして最後は、ウォーターゲート事件。要するに、反共主義者で狡猾で汚い政治家だった。ちょうど時期的にも重なった、日本の田中角栄と共通点があったようだ。貧しい家庭に育ち、苦学して政治家になった。で、二人とも続いて中国と国交を回復させた。ただ、田中角栄は庶民派の政治家として、かなりの人気を得ていたから、暗い悪役のイメージのニクソンとは。ずいぶん違うという気もしていた。
  • ところが、そんなニクソンに対する印象は、1976年に発行されたE.ゴフマンの"Gender Advertisement"という本を見てすっかり変わってしまった。この本は新聞や雑誌の広告、あるいは記事の中で使われた写真を材料にして、主に男らしさや女らしさを表情やしぐさ、あるいはポーズといった点から分析したものである。ゴフマンがこの本に使った素材は、人が自覚してする行動ではない。ほとんど意図せず、また写真に撮られていることも気にせず写された一コマ。そこに、無意識のうちに現れる、習慣的な行動や、その時々の正直な胸の裡がよく読みとれる。そこから、社会的に身についた性の違いを読み解こうというのがこの本の狙いだった。
  • ニクソンはこの本の中で、はにかみ笑いや、ぶすっとした不機嫌な顔、娘の結婚式での照れ笑いなど、ずいぶんおもしろい一面を登場させている。ぼくはこれを見たときに、本当はずいぶん正直な人なのだな、と思った。彼がJ.F.ケネディと大統領選を争った時の敗北の最大の原因はテレビ討論会での印象の悪さだったと言われている。テレビでは、何を話したかではなくて、どう映ったかが強い意味あいをもつ。メッセージではなくてメディアの特質。真善美を兼ね備えたケネディと偽悪醜をさらけ出したニクソン。M.マクルーハンのこんな主張を納得させるのに、これほどいい材料はなかった。しかし、そうであれば、ニクソンの失敗の原因は彼の人格にではなく、印象操作のまずさに求められるはずだが、一般にはそうは理解されなかった。
  • この映画に登場するニクソンも、喜怒哀楽を素直に出す人物として描かれている。非常に強くて厳格な母親を聖女として慕い、また忠実な犬になると誓って恐れる。そんな母親のイメージが彼の妻にもダブる。家柄も学歴も格好の良さも比較にならないケネディに嫉妬し、恐れ、逆にそれへの反発心を政治家としてのエネルギーにする。ケネディとは違う現実を見据えた政治家。けれども、世論はそんな彼を最後まで支持しなかった。
  • 悪者のイメージをまとい、嫌われたままで大統領になった男。ヴェトナム戦争はケネディによってはじめられた。それが泥沼化して誰もがやめろと言いはじめた。しかし、アメリカにとっては敗北による幕引きはできない。映画の中のニクソンは、その名誉ある終結に至るシナリオを考えあぐねて苛立つ。それは、いわば、ケネディの尻拭いである。中国との国交も回復させたニクソンには再選に向けた大統領選挙の見通しは暗くはなかった。民主党の対抗馬は草の根民主主義をかかげ若者の支持を基盤にしたマクガバンだった。決して強力な対抗馬ではない。けれども、ニクソンは選挙に向けて、いろいろ策略をめぐらせた。選挙には大勝したが、その策略がウォーターゲート事件として発覚し、任期途中での辞任に追い込まれることになる。
  • 権力欲に取り憑かれた正直で、不器用で、小心な男の悲劇。ニクソンが大統領としてした仕事は、今まで思っていたほど悪いことばかりでなかったのでは。この映画を見て、あらためてそんなことを考えた。
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    unknownさんではなく、何か名前があるとうれしいです。