1998年1月25日日曜日

世間体とゴミ



  •  京都西山奥
       京都の洛西ニュー・タウンから西山に登る細い道がある。花の寺や善峰寺など観光名所もあるが、亀岡や高槻につながる知る人ぞ知るといった山道である。市内が一望できる絶好のスポットもあって、ぼくもバイクや車で時折出かけるが、季節ごとに趣のある景色を見せてくれるお気に入りのルートである。しかし、その道をちょうど登り切ったあたりの平らな土地に、ものすごいゴミの山ができている。2カ所に別れて車が10台ほど、そのほか簡易の公衆トイレ、風呂、それにモーターボートまであった。実際こんな光景は、ちょっと山の中をドライブしたら、すぐに見かけるものである。
       井上忠司の『世間体の構造』(NHK出版)には村と村の境目にゴミの山ができる習慣が古くからあって、それが顔見知りの他人の目を気にする日本人独特の風習であることが書かれている。環境問題に自覚的になって、ゴミの選別にやかましい自治体が増えているが、「世間とは顔見知りだけの狭い世界なり」といった日本人の感覚は、まだまだ健在である。それは例えば、道路のグリーンベルトに散乱する空き缶などをみてもわかる。さすがに町中でのタバコの吸いがらのポイ捨ては減ったが、人の目が及ばないところ、自分が匿名のままでいられるところでは、ついつい昔の癖が出てしまうようだ。


  • 0 件のコメント:

    コメントを投稿

    unknownさんではなく、何か名前があるとうれしいです。