柔道は、単に近代にふさわしいマーシャル・アートであるにとどまらず、近代化にともなう社会の変動のなかでなおかつ変わらない日本人の民族的アイデンティティを象徴する身体文化としての性格もあわせもつことになった。その意味で、柔道は「近代の発明」であると同時に、E.ホブスボウムらのいう「伝統の発明」の一形態であったといえよう。(100-101頁)
まず人生があって、人生の物語があるのではない。私たちは、自分の人生をも、他人の人生をも、物語として理解し、構成し、意味づけ、自分自身と他者たちとにその物語を語る。あるいは語りながら理解し、構成し、意味づけていく……そのようにして構築され語られる物語こそが私たちの人生にほかならない。この意味で、私たちの人生は一種のディスコースであり、ディスコースとしての内的および社会的なコミュニケーションの過程を往来し、そのなかで確認され、あるいは変容され、あるいは再構成されていくのである。(163頁)
物語への感受性はまた、物語の裂け目やほころびへの感受性でもある。どんな巧みな物語も、多様なバージョンも、人とその人生の全体を覆いつくすことはできない。たしかに私たちは、物語によって相互に理解しあい、関係をとり結んでいるが、同時に一方では、物語によってというよりはむしろ、互いに語りあう物語の裂け目やほころびによって、かえって深く結びつくことも少なくないのである。(164頁)
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unknownさんではなく、何か名前があるとうれしいです。