2000年12月25日月曜日

Tracy Chapman "Telling Stories"

 

・トレーシー・チャップマンのニュー・アルバムは"Telling Stories"という曲から始まっている。いつもながらの静かな歌い方とシンプルなサウンドで、いつもながらに語ってくれるのは、本当に深みのある「物語」だ。彼女のような人を吟遊詩人というのだなと、つくづく思った。

あなたの記憶のページの行間にはフィクションがある
書くのはいいけど、物語りじゃないなんてふりをしないで
あなたと私のあいだにはフィクションがあるんだから
あなたと現実のあいだにはフィクションがある
ありきたりでない毎日を生きるために何でも言えるしできるけれども
あなたと私のあいだにはフィクションがある
………
でも、時には嘘が最良のことだっていう時もある
"Telling Stories"

・現実は虚構とは違うけれども、現実はまた虚構なしには成り立たない。私という存在、私とあなたの関係、そして社会や世界の意味など、あらゆる現実は虚構によって支えられている。けれども、私たちはそのことを忘れるし、隠そうとする。現実と虚構の関係は、たとえば社会学でも一番の根源的なテーマだが、そんな問題をさらっと歌われると、今さらながらに歌の強さを思い知らされてしまう。トレーシーの声は穏やかだが、それだけに、聞くものの心の奥深くに訴えかけてくるようだ。


・トレーシーは1988年にアルバム・デビューをした。その時の一曲目は「革命について語ろう」で「奴らが革命についてささやきあっているのを知ってる?福祉を受け、失業で時間を浪費して、それでも昇進を待っている人たち。その境目の外にいる貧しい人たちよ立ち上がれ!もっともっとよくなれる。テーブルを回転させて、革命の話をしよう。」(Talkin' bout A Revolution)アルバムにある写真はまるで少女のようで、そのしずかな歌い方とあわせて、強烈な歌詞との違いに驚いたことを今でもよく覚えている。ディランのデビュー30周年記念のコンサートに出演したときにはじめて彼女を見たが、「時代は変わる」を歌う姿に、ディランの後継者という感じを一番受けた。女性であることと黒人であることが、時代の流れをいっそう強く印象づけられた気がした。そのような意識や姿勢は、彼女の出したアルバムすべてに貫かれていて、"Telling Stories"でも顕在だ。

鏡に手をふれて、表面の水を拭った
そこに映ったのは虚飾を取り去った私の素顔
お金はただの紙とインク
私たちは合意できなければ壊れるだけ
世界はどうして変わってしまったの?
太陽を作ったのは誰?
海を所有するのは誰?
私が見ている世界はバラバラに切り刻まれている
"Paper and Ink"

・ぼくは音楽雑誌を読まないし、彼女の伝記も持っていないから、プライベートなことは何も知らない。それでちっとも物足りなくない。彼女の風貌はデビュー以来ほとんど変わっていないし、声も歌い方もサウンドも同じだ。ただ違うのは歌の中身。つまり彼女が語る物語だ。それを聴いていると、どこでどう生活しているのかいっさいわからなくても、今という時代をしっかり見つめて歌をつくっていることがわかる。こんなミュージシャンが自分のペースで歌い続けていられることは、現代ではおそらく奇跡に近いのかもしれない。
・RadioHeadのニュー・アルバム"Kid A"は対照的に、これまでとすっかり変わったサウンドだった。変わったというより、どう変わろうとしているのかわからない、混迷さに当惑してしまう感じだった。変わることへの強迫観念。「紙とインク」に目が眩んだのだろうか。少なくともぼくは、全然いいと思わなかった。もっとも、すっかり居直ってしまった感のあるU2よりは、揺れている分だけでもましなのかもしれない。Tracyと聴き比べると、彼女の確かさばかりが目立ってしまう。

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