・大西洋を往復する大型客船ヴァージニア号のなかで産まれた男の子が、ピアノの上に捨てられた。1900年。客の大半はヨーロッパからアメリカへの移民たちだった。彼は、船倉で働く黒人に育てられる。その黒人も仕事中の事故で死んで、父も母も知らずに船のなかで育った男の子は、やがてピアノの演奏に天才的な能力を発揮するようになる。「海の上のピアニスト」。原題は「Legend of 1900」で、1900は主人公の名前である。
・監督のジュゼッペ・トルナトーレは『ニュー・シネマ・パラダイス』で有名だが、「海の上のピアニスト」を見ながら、つくづく、情感に溢れた物語を描き出すのがうまいな、と思った。見終わった後の虚脱感。映画にそれだけ没入した証拠だが、こんな感覚を味わったのは久しぶりだった。
・ピアニストは生まれてからずっと船で過ごして一度も陸にあがったことがない。もちろん港につけば、ニューヨークやジェノバといった街の風景を間近に見る。そして客たちは続々と降りて町の中に歩き出していく。多くはアメリカへの移民で、自由の女神が見えると一斉に狂喜乱舞しはじめる。彼らにとっては夢の実現を願ってやってきた「約束の地」なのである。その様子をくりかえし見ながらも、ピアニストは、降りてみたいとすら思わない。彼にとっては船が一つの完結した世界で、彼はそこで十分存在感を確認し、また人びととのつながりも確信している。父や母がいなくても、それで寂しいということもない。そもそも彼には父や母といった存在が意味のあるものには感じられていないのである。多くの船員たちが彼に愛情を注ぎ、また客たちが彼に注目する。ピアニストはそのことだけで十分満ち足りていた。
・見せ場の一つは「ジャズ」の生みの親というピアニストとの船上対決。プライドの固まりのような黒人ピアニストとは対照的に、1900は全くの平常心。相手が誰であろうと、そこは彼の世界であり、そこに入りこんだら、誰であれ、彼以上にはなり得ないからである。
・けれども、そんな彼が一人の少女に恋をすると、彼女の後を追ってニューヨークの街に出て行こうかという気持ちとらわれることになる。船を降りることを決心して、仲間との別れを惜しむ。しかし、タラップの途中まで進んだところで立ち止まってしまう。で、帽子を放り投げて、また引き返す。
・船はその後第2次大戦中も航行を続け、やがて老朽化して廃船になる。バンド仲間のトランペッターはその船が爆破して沈められることを知り、まだ中にいるはずのピアニストを探しに出かける。しかし、ピアニストは船を降りようとはしない。
・彼の世界はこの船とピアノ。どちらも世界の区切りがはっきりしている。だからこそ、世界の大きさも自分の居場所も、その中での可能性も確認できる。限られた数の鍵盤と10本の指。その限定が逆に、音楽の創造に無限の可能性を持たせる。しかし、ニューヨークの街に一歩足を踏み出したら、その途端に、自分の居場所も、行き先も、そして何より自分自身の存在感が不確かになってしまう。彼にとってはあまりに大きすぎて自分が消えてしまいそうな世界。ピアニストはすでにピアノが撤去され、爆破されるだけの船に残ることを告げる。物語には必ず終わりがある。自分の人生の終わりを船とともに迎えるという決心をトランペッターも納得する。
・評判を聞きつけたレコード会社が船上での録音を試みるシーンがあった。その時演奏されたのは即興曲で、たまたま窓の外に見えた少女に見とれながら弾いたものだった。レコード会社の者たちは、それが大ヒット間違いなしだと喜ぶが、ピアニストはその原盤を割ってしまう。録音された音楽など、彼にとっては聴く価値のあるものではないし、名声や富にも意味を感じなかったからだ。
・この小さな世界で生きた、俗物根性のまるでない存在が見せる充実した日々と終末。それは際限のない世界で生きる人間が苦慮する自らの存在感の確認や他者へのアピール、そのいつまでいっても果てることのないくりかえしとは極めて対照的である。そのような自分の世界を持ち得たことに羨ましさを感じるが、しかしまた同時に、船とともに海に散った主人公にたまらない悲しさを覚えてしまう。これは、俗物の世界にいささかうんざりしながら、なおかつおもしろさも感じている証拠なのかな、と思った。
0 件のコメント:
コメントを投稿
unknownさんではなく、何か名前があるとうれしいです。