・木に囲まれた生活をするようになって変わったことの一つに生ゴミを捨てなくなったことがある。庭のあちこちに穴を掘っては埋けるようにしたのだ。けっして捨てているわけではない。生ゴミは地中でバクテリアに分解されて土壌の肥やしになる。そこに花や木を植えれば、ゴミは植物の成長の助けになる。何でもないことだが、これが都会の生活では難しい。
・藤田紘一郎の『清潔はビョーキだ』には日本の農業がかつては人糞を肥料にしていて、そのために日本人のおなかのなかには必ず回虫などが住みついていたことが書かれている。このことはもちろん、僕にとっても記憶にあることだ。野菜にまかれた糞には虫の卵がついている。その野菜を食べるから、またおなかのなかで成長する。そのサイクルが便所の水洗化によって一掃された。
・この本によれば、その水洗化が始まった60年代から花粉症やアトピー性皮膚炎の患者が出始めたのだという。もちろんそこには、環境を無菌、無臭状態にするのが清潔で健康な生活には不可欠で、できればじぶんのからだそのものも無菌、無臭にしたい、という考えが伴っていて、清潔であることは文化的な生活の第一の基準になっていった。
・たとえばO-157のような病気が流行すると、小さな子供を持つ親などは特に過敏になって、手を洗ったり、うがいをしたりしてますます清潔であることを心がける。ところが、新しく登場する病気は、清潔にしたために免疫力が低下したことが原因である場合が多いのだ。極端なことをいえば、このような病気にかからないためには、清潔であることにこだわらずに、幼い頃から抵抗力や免疫をつけさせることが一番だということになる。実際、『清潔はビョーキだ』には回虫などには花粉症やアトピー性皮膚炎に対する抗体があると書いてある。
・とは言っても、今さら人糞をまいて寄生虫の卵のついた野菜を作ることもできないだろうし、誰もそれを食べる気にはならないだろう。清潔であることはもはや常識であり、現代の生活文化の大きな柱になっているから、それを外したら、生活の形が土台から崩れ去ってしまう。だから新しい病気の対応策は、新薬の開発と一層の清潔志向ということにならざるをえない。何とも皮肉な現象で、笑い話として片づけたくなるが、病状が深刻である場合も多いから、笑ってはすまされない問題として認識しなければならない。
・スーエレン・ホイの『清潔文化の誕生』には、人びとの生活がなぜ、清潔志向に傾いていったのかという問題が、19世紀にさかのぼって、歴史的に詳しく論じられている。たとえば、移民によってつくられたアメリカでは、人びとは土地の風土病や外からもちこんだ伝染病によって悩まされた。病気の流行の原因は何より、水とゴミや排泄物。だから、町ができ、人が多く住み始めれば、何より問題となるのは上下水道の完備だった。ペスト、コレラ、腸チフス、あるいはマラリアや結核………。これらの病気はすでにその何世紀も前からヨーロッパの人口を半減させるほどに流行しておそれられてきたが、それらが伝染性のものであり、飲む水や排泄物、ゴミ、あるいは蚊や蠅などを媒介にして感染することが明らかになるのは19世紀から20世紀にかけての頃である。
・清潔志向がアメリカで浸透しはじめるのはホイによれば1930年代以降のようだ。それは、学校教育とそこでの衛生教育、それに石鹸や洗剤、自宅用の上下水道、トイレやバスルームなどの普及と重なる。第二次大戦後の50年代になると、洗濯機や冷蔵庫等の家電製品が次々と家庭の必需品になって、そこで生まれ育った人たちには清潔で衛生的な暮らしが当たり前になっていった。このような傾向は日本でも60年代に現実化した。
・清潔志向はその後、清潔であるかどうか、健康的であるかどうかということよりも、清潔に見えること、感じられることという方向に徹底されていく。食品のパック包装は、消費者にとって衛生的に見えるばかりでなく、セルフ・サービスのスーパーが大量に販売するために考案した戦略だし、ギフト商品の売上げ増加にも紙の包装やリボンでの飾りが重要な役割を果たした。あるいは、石鹸や洗剤はテレビCMのスポンサーとしてもっともおなじみになって、アメリカでは「ソープ・オペラ」といった番組ジャンルが定着するようになった。サラサラの髪、すべすべの肌、真っ白のタオル、ぴかぴかの歯、石鹸の匂い………。
・森の中に生活していると、最近の清潔志向が意味のないことのように感じられて、テレビのCMに強い違和感をもつことが少なくない。白さやすべすべ、さらさらを気にしなければ、洗濯でも食器洗いでも洗顔でも、あるいは風呂に入っても石鹸や洗剤はごく少量でいいし、必ずしも使わなくてもいい。家の中に消臭剤をまく必要性もまったく感じない。それはちょうど、庭に雑草を生い茂らせ、山のような落ち葉をそのままに放置しておくことと同じなのかもしれない。放っておけば、それは結局、土に帰るのだが、都会ではそんなわけにはいかない。清潔感というのは、結局、都会で暮らすためのルールで、現在の生活を念頭におきながら2冊の本を読むと、そのことがよくわかる。
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unknownさんではなく、何か名前があるとうれしいです。