2004年4月27日火曜日

ウィルス、ジャンク、新研究室

 一時減少したジャンク・メールが、最近また多くなった。拒否のできないもの、返送や転送でやってくるものが多いから、受けとると同時に中身をあけずにまとめて削除している。同じもののくりかえしがほとんどだし、ウィルス・メールもたくさんあって、うっかりあけるわけにはいかない。ウィルス・メールの量には何度か波があって、多い日には数十通、ジャンク・メールも合わせると150を超えるような日もある。「サーバーからも削除」して「ゴミ箱に移動」、さらに「ゴミ箱をからにする」。こんな作業を日に何度もやらなければならない。


こんな状態だから、題名が英語やアルファベットのものはまったく中身を確認しないで捨ててしまっている。ひょっとするとおもしろいメールがあるのかもしれないが、いちいち確認する気にもならない。とはいえ、ジャンク・メールの増加とは反比例して、パーソナルなメールが海外から来ることは少なくなっていた。留学生からの相談も全くなくなったし、僕が持っているレコードを譲ってくれといった依頼もなくなっていた。そういえば、国内の他大学の学生からのメールもめっきり減った。卒論を作成する秋から暮れにかけては毎年何通も相談が舞いこんでいたのだがここ数年は、それもほとんどなくなった。

国内、海外を問わす、レポートを書くための文献探しなどは、ほかにあてにできるサイトがいくつもできたからなのかもしれない。ゼミの学生だけで手一杯なのに、とぶつぶつ言いながら相談に乗っていたのに、何も来ないと何となくさみしい。そんな気もしないではないが、院生がどんどん溜まってきて、今年は博論作成予定者が前期で1名、後期で3名、修論作成予定者が3名もいる。それに学部の4年生が10名。秋から暮れにかけていったいどういう状況になるか、などと想像しただけでぞっとしてしまう。

また研究室の引っ越しをした。東経大に来てから3つめの部屋。引っ越しは面倒だが、広くなることと、眺めが良くなることが魅力だった。最初に入った部屋から次に1.5倍になり、そして2倍になった。ずいぶんゆったりできる。部屋の真ん中に書架を置いて、二つに区切ったから、ゼミや院の授業もやりやすくなった。建物自体も変わって、今度の研究棟は傾斜地に建っている。ちょうど目の高さに森があって、夜には府中の町の夜景がきれいだ。遠くには富士山も一望できる。引っ越し時には、ちょうど窓いっぱいに桜が満開だった。これまでの部屋ではブラインドを落としっぱなしにしていたが、今度は部屋にいるときにはあげて、窓も開けるようにしている。今は風がさわやかで気持ちがいい。


管財課の人たちと何人かの院生にはずいぶんしんどい作業をしてもらった。本や書類がリンゴ箱で100箱、それに机や戸棚、テーブル、たくさんの椅子。さらには何台ものパソコンを運んでもらった。引っ越し先の研究棟は、どういうわけかエレベーターが各階の中間にあってきわめて使いにくい。しかも間の悪いことに定期点検にぶつかってしまった。

話をメールにもどそう。今、もっとも利用しているのは、学内でのやりとりだ。教務課(院)や学務課(学部)、教員同士、そして学生。レポートやレジュメはもうほとんどメールでの提出になった。大学には各教員に配られる必要な書類や届いた手紙などを投函するメール・ボックスがある。大学に出校するとまず、この棚を確認して書類や手紙を持ちかえるが、ネットのメールもほとんどこれと同じ役目をする場になってきた。そのような意味でいえば、メールはますます閉じた世界で使用されるものになったといえるかもしれない。

ところが、一方でジャンク・メールやウィルス・メールの山である。メールは郵便とは違って、不特定少数の人からパーソナルな便りがやってくる。そこがおもしろかったのだが、外からやってくるのはビジネスを意図したジャンクメールといたずら目的のウィルス・メールばかり。だからメールをチェックする楽しみはだんだん失せてしまってきている。不特定少数の人たちとの新しいコミュニケーション・ツール。メールにはこんな可能性を持ったのだが、それは普及期の一時的な現象に過ぎなかったのかもしれない。だんだんそんな感じがしてきている。

もっとも、『日本のポピュラー文化を学ぶ人のために(仮題)』(世界思想社)を作成中で、執筆者相互のやりとりをする掲示板を作ったから、その確認や書き込みが忙しくなりそうだ。これは一般に公開していないが、おもしろい話題や本の宣伝になりそうなことは紹介しようと思っている。

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unknownさんではなく、何か名前があるとうれしいです。