2004年5月4日火曜日

布施克彦『24時間戦いました』ちくま新書

 

・日本は世界のなかでもとびきり豊かな国で、平均寿命もダントツだ。しかし、老後の生活の見通しはというと、はなはだ心許ない。定年まで働けるのか、年金はもらえるのか。とりわけ不安に感じるのは、その数が多い団塊の世代だろう。
・日本が経済的に頂点に達したのは八十年代で、団塊の世代はその屋台骨を支える役割を果たしてきた。ところがバブル期後の不況の時代になると、真っ先にリストラの対象になり、定年が間近に迫った今、年金問題に遭遇している。戦後の食糧難の時代に生まれ、受験戦争と大学紛争をくぐり抜けた世代はまた、その老後の生活においても生存競争を強いられるのだろうか。
・本書は、団塊の世代に属する著者が提案する退職後の人生設計である。著者は鉄鋼貿易を担当する商社マンとしてアジア、アフリカ、そしてヨーロッパで働き続けてきた。で、五十代半ばに退職。現在はNPOのスタッフとして活動し、文筆や大学での講師として働いている。
・団塊の世代は戦後の象徴的な存在として、これまでにもさまざまに取りざたされてきた。話題には事欠かない世代だが、その分、批判されることも多い。自己主張が強い、過度の思い入れや感情移入、数にものをいわせて存在を誇示しすぎる、自分の生き様の自慢話………。だから、上の世代からは厄介者扱いされ、下からは煙たがられてきた。
・この本は、そんな団塊の世代の特徴を良くも悪くも丸出しにしている。24時間働きづめの人生であったことを感慨深くふりかえり、にもかかわらず将来の生活が不安であることを嘆く。危機意識をつのらせているが、その批判の矛先は上の世代の失政に向き、下の世代のやる気のなさや遊び指向に向く。
・著者が力説するのは、ただ一点。どうせ頼りにならないのだから、あてにするな、である。定年が迫っている今から、老後の人生設計を真剣に考えること。必要なのはお金、時間の使い道、そして人間関係。生活苦に喘いだり、生きる目的をなくしたり、引き籠もってしまわないためにはどうするか。著者の結論はやっぱり、そのためには戦いしかないというものだ。
・確かにそういう面はあるのだと思う。年金はあてにならないし、子どもに負担もかけられない。企業戦士が鎧(背広)を脱いだら、いったい何が残るのか。定年退職の時期が迫っているだけに、問題は切実だろう。この本で提案されていることは、いかにも団塊の世代が言いそうな夢にあふれているけれども、それだけに、実現は難しい。いわく、田舎に行って農業をやろう、海外に出てボランティア活動をしようなどである。
・24時間働きづめだった人に見えなかった世界は、何より自分の足もとだったはずである。家庭生活を奥さんや子どもたちとどれだけシェアできたのか。自分の姿が彼女や彼たちにはどう映っていたのか。残念ながらこの本には、そんな話題はまったく出てこない。だからこそ、団塊の世代の将来は大変なのだと思うのだが………。

(この書評は『賃金実務』4月号に掲載したものです)

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unknownさんではなく、何か名前があるとうれしいです。