2004年11月2日火曜日

井上俊『武道の誕生』吉川弘文館

 

budo.jpg・アテネ・オリンピックで、日本はメダル・ラッシュに盛りあがった。一番の稼ぎ頭は柔道で、青い柔道着に違和感をもったとはいえ、選手の活躍があらためてお家芸であることを認識させもした。今回はその柔道についてである。
・柔道は日本の国技だが、その歴史は古くはない。というよりは明治から大正にかけて確立された、きわめて近代的なスポーツである。『武道の誕生』を読むと、その成立の過程がよくわかる。
・「柔道」は武術や武芸の一つとしてあった「柔術」をもとにしている。「術」を「道」に変えたのは嘉納治五郎で、彼は、各地に散財する諸流派を統合し、技の分類や段級制、あるいは試合のルールや審判制度を規定して理論的に体系化させた。しかも嘉納はそれを国内で確立させるだけでなく、同時に国際化させることも考えた。彼は日本人最初の国際オリンピック委員でもあった。
・この本ではそんな柔道の発展を、「伝統の発明」と「和魂洋才」という二つのキーワードを使って解きあかしている。
・伝統とは昔からあって現在に伝えらたもののことである。けれども、伝統といわれるものごとをよく見ると、そこには現在に合うように工夫された部分があるし、忘れ去られたものの再生であったり、場合によっては、新しく作られたものであることも少なくない。
・江戸から明治にかわって武芸や武術はその必要性を奪われた。食うに困った武士が見せ物として演じたりしたから、文明開化にあわない野蛮なものとしてあつかわれた。嘉納治五郎は、そこに「近代スポーツ」という性格を付与し、同時に伝統的なものを「道」として特徴づけようとした。それは日本人にとって受けいれられやすいものであったが、また欧米の人たちにとっても、ジャポニズムという魅力のひとつになった。スタイルを洋風にして、そこに和風の精神を注入する。「和魂洋才」によって「伝統」という名の新しいスポーツが「発明」されたのである。
・「柔道」は「剣道」もふくめて教育にとりいれられ、やがて軍国主義化の波のなかでスポーツよりは精神を鍛える手段に変質する。それは「没我献身」や「滅私奉公」といった自己放棄と国家への忠誠をたたき込むイデオロギーという性格を色濃いものにした。
・柔道は戦後になると再び、スポーツとしての側面を強くする。身体と同時に精神を鍛えるものであることが強調されたが、それは柔道にかぎることではなかった。メジャーリーグが身近になって、「精神野球」の特異さがあからさまになったことはその好例だろう。
・もっとも、オリンピックはますます商業主義化して、メダル候補選手のほとんどに強力なスポンサーがつくようになった。ドーピングで身体を改造させても強くなりたいという傾向も問題化している。こんなスポーツの現状にあって、「精神」とはいったい何だろうか。「精神」と「身体」と「金」。それは柔道だけの問題ではないようである。

(この書評は『賃金実務』10月号に掲載したものです)

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