・気に入った人、いいな、と思った人にどうやって近づくか。相手とコミュニケーションをするか。そのきっかけを見つけることや、親しくなるプロセスをうまく作りあげることは、日常の直接的な関係のなかではなかなか難しい。あたりまえの話だ。だからこそ、信頼できる友だちや人生のパートナーとなる相手を見つけることに真剣になる。そして、真剣になればなるほど、その関係がうまくいかずに壊れてしまったりもする。
・ところが、ネットではそれが簡単のようだ。まず、気の合う相手をさがす選択肢が無数にある。興味対象が一緒、ものの考え方感じ方が共通する。要するに波長が合う相手を見つけることは、ネット上では難しくない。しかもそうやって出会った相手とは、波長が合うところだけでつきあえばいい。自分が誰であるかをあかす必要がないし、外見の良し悪しや表現(表情、仕草、ことばづかい等々)の巧拙を気にする必要もない。もっとも、文章力は大事な要素になるだろう。
・匿名のままで親しくなる。それは、社会的な体裁など考えずにホンネでつきあえる関係をつくりだす可能性をもつし、また、反対にまったくのフィクションの世界も創造させる。たがいに交差する部分、共感し合う感情は一点だから、そのようにしてつくりだされた関係や世界は、何の障害もわだかまりもなく、まっしぐらに突き進む。想像の世界でありながらまた現実の相手とする相互性をもった世界。ベンゼブはそれを「想像の中の相互的革命」だという。
・確かにネットにはそんな魅力がある。けれども容易で安直な分、壊れやすいしリセットもしやすい。日常から浮きあがった半分想像上の世界なんだという自覚を忘れると、ドラッグのように中毒にもなりやすい。恋愛関係が簡単に成立するということは、その他の感情、たとえば喜びや楽しさも共有しやすいが、また怒りや哀しみも簡単に増幅させてしまうことにもなる。誹謗中傷、あるいはネット荒らしが日常茶飯事になっていることをみれば、それは明らかだろう。当然、そこには詐欺や悪徳商法がつけこむ隙もたくさんあるということになる。自殺志願者が集まって集団自殺を実行する。そんなことが社会問題化したりもするのである。
・そんなことまで含めて、ネットのメディア論的特徴を考えるのは興味深いテーマだと思う。その材料としての「ネット恋愛」なのだが、読みはじめてすぐに不満を持ってしまった。ネットのメディア的特性は、かなりの部分で電話(携帯)と重なるし、文字のやりとりということで言えば手紙とも共通する。あるいはテレビとの違いは何なのか、といったことも考えてしまう。
・もっとも、そんな不満はこの本にかぎらない。この手のコミュニケーション論やメディア論には、コンピュータを使ったコミュニケーション(CMC)を直接的なそれ(face
to
face)と比較しながら検証するという方法がある。僕はこれには前から不満を感じていて、直接的な関係のなかにある多様で複雑な問題をほとんど無視してしまうから、分析が薄っぺらなものになってしまうと思い続けている。この本でも、ネット恋愛(on
line)とそれ以外のもの(off line)という乱暴な分け方をしていて、それが何ともおおざっぱな印象を与えてしまう。
・しかし、だからこそ、そこを批判的に読む必要があるとも言える。学生にハッパをかけて、300ページ近いこの本を、今学期中に読んでしまうつもりである。
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unknownさんではなく、何か名前があるとうれしいです。