2005年3月16日水曜日

懐かしい歌

 

tomobe1.jpeg・洋盤でめぼしいニュー・アルバムがない。スティングの「Sacred Love」はまあまあだったけど、U2の「 How to Dismantle an Atomic Bomb」は完全に期待はずれ。そんなこともあって、早川義夫以来、日本人のミュージシャンに関心が移っている。昔懐かしい人たちが今も歌っていて、昔のアルバムがCDで次々復刻されている。すでにレコードでもっているものがほとんどだが、何枚か改めて買い直してみた。
・友部正人はずっと歌い続けていて、アルバムもコンスタントに出している。しかし、初期の「大阪にやってきた」や「にんじん」にくらべると、いまひとつぴんとこない気がしていた。
・『にんじん』を聴きなおしてみると、このアルバムのすごさがあらためて実感される。浅間山荘事件と新宿の雑踏を重ね合わせて歌った「乾杯」、JR中央線の阿佐ヶ谷駅から見えた夕日を描いた「一本道」、富山県高岡での暴走族の様子を語る「トーキング自動車レースブルース」等々。いい感覚をしている。歌の一つ一つが一枚の傑作画のようだ。同じ印象はもちろんデビュー作の『大阪へやってきた』にも感じた。
・1991年に出た『 ライオンのいる場所』にも湾岸戦争をテーマにした「モンタハ」といった曲がある。その時々に出会った出来事や、した経験を歌にしたものを「トロピカル・ソング」というが、彼の歌作りにはそんな姿勢が一貫しているようだ。しかし、いまひとつぴんとこない。
・たぶん、これは友部がつくる歌以上に、それを聴く僕の姿勢のせいなのだと思う。『にんじん』や『大阪へやってきた』を聴きながら僕の頭に浮かんでくるのは、それをよく聴いていた頃の僕自身であるからだ。そうすると、改めていいと思っているのは、それが僕にとっての懐メロであるからなのかもしれない。

minami1.jpeg・同じような印象はディランIIの『きのうの思い出に別れをつげるんだもの』や、南正人の『回帰線』と『ファースト・アルバム』にももった。思い出す光景は、彼らをライブで何度も聴いた時の僕であり、その時代の僕自身の心もちや行動なのである。別れをつげて忘れてしまっていたはずの思い出がよみがえる。ちょっと前なら、ぞっとするほどやりたくないと思っていたことだが、それがそれほど不快でもない。というより、素直に懐かしいと思って、感慨に耽ってしまったりする。
・たとえば、早川義夫の「風月堂」は『言う者は知らず、知る者は言わず』ではじめて聴いたが、そこで歌われている登場人物が、まるで自分であるかのように思ってしまった。ただし、その場所は新宿風月堂ではなく、京都ほんやら洞で、70年代の前半である。

黒い上着と 長い髪
本を抱えて 煙草を吹かして
ぼくはいつも 外を眺めてた
石のテーブルで コーヒーを飲んでいた

・もちろん、友部も、南も、そしてディランIIの大塚まさじもずっと歌い続けていて、新しいアルバムも出している。高田渡の映画もできているようだ。それぞれが、どんなふうに年月を重ねてきたのか、今度は新しいアルバムをじっくり聴いてみようと思う。 


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