・町田康の名前はずいぶん前から耳にしていた。ロック・ミュージシャンで作家、どちらも評判がいい。しかしなぜか、食指が動かなかった。たいした理由はない。たまたまの出会いをのぞけば、これは良さそうだ、おもしろそうだと感じられるまでは手を出さない。僕にはそんな傾向がある。それに、ここ数年、時間的・精神的な余裕がなくて、小説を読むことがほとんどなかった。学生の論文につきあうこと、ポピュラー文化の文献を網羅して、それに目を通すこと。特にこの2年ぐらいはそうだった。本が完成し、大学の仕事の負担も軽くなって、今まで読まなかった本に目を向け始めた。で、まず読みたいと思ったのが、町田康の『告白』だった。
・きっかけは、僕の恩師の一人である仲村祥一さんから、『告白』を読んでいるという便りが届いたことだった。感想は書かれていなかったが、仲村さんが町田康か、と思ったら、無性に読みたくなった。80歳になられたというのに、新しいものへの好奇心はまだまだ健在なんだ、とあらためて感心した。
・『告白』は大阪の河内が舞台になっている。時代は江戸から明治に変わる頃で、河内音頭の『河内十人斬り』が物語のモチーフのようだ。この話はまた、実際に起きた事件をもとにしている。河内の水分という村に生まれた熊太郎は成長しても百姓などやる気のない極道になる。親の嘆きや村の人びとの悪口や嘲笑も気にせず、好き勝手な生活をしている。そんな彼が、嫁をめとるが、遊び仲間に間男されてしまう。その兄には借金を踏み倒され、村の有力者でもある親父からはバカにされて相手にされない。そんな腹いせから、一家を赤ん坊にいたるまで惨殺する。そして、山中での逃亡生活と最後の自殺。ストーリーはおおよそこんなふうなものだが、700ページに近い大作で、なかなかに読み応えがあった。
・僕は河内音頭の『河内十人斬り』は聞いたことがない。というより、河内音頭にこんなトピカル・ソングがあったことも知らなかった。河内家菊水丸のCDも出ているようだ。これも3枚組で200分に及ぶ大作らしい。これはこれで、ちょっと聞いてみたい気がするが、『告白』を読んで興味を持ったのは、最後の一家惨殺や逃亡といった派手な場面ではない。むしろ、前半の生い立ちや成長の過程の話である。
・どういうわけか、熊太郎は物心ついた頃から思弁的な性格だった。何かしようとしても、人と話をしようとしても、同時に頭の中でいろいろと考えてしまう。だから、出てくることばも行動も、スムーズでないし、相手や周囲の人にすぐ理解されるものにならない。熊太郎はそれが、親にちやほや育てられてできた、現実との断層の自覚に原因があると、ぼんやり考えている。親は褒めても悪ガキ仲間はバカにする。ことばの真偽、ことの表と裏、外見と内面、表現したいことと、それを伝達することの間にあるズレ。熊太郎は、そんな疑問やささいなことにひっかかって、いつもまごまご、しどろもどろしてしまう。
・この小説のかなりの部分が、この熊太郎の錯綜する心の動きととまどいの描写で占められている。それは冗談ポク、まるで講談の講釈士がするように語られているから、けっして深刻な内面の苦悩といったふうには読み取れない。けれども、これは間違いなく、近代小説の大きなテーマだった、自己と世界の対立とそれがもたらす苦悩の物語で、きわめて深刻な話なのである。
・この小説のおもしろさは、こういった問題を大阪の河内の農村に置きかえたところだろう。しかも、時代は江戸から明治への変わり目である。「近代的自我」にとりつかれた子どもを日本に伝統的な村社会のなかにおいて。その成長過程を想像したらどうなるか。僕は読み始めてすぐにそんな興味を感じて、一気に読んでしまった。家の中の、村の中の異物の物語を、異物の内面の側から読みとっていく。それはまた、異物の抱えた苦悩と同時に、それを受けとめる家族や村の人びとの態度や行動の特異さを描きだしていく。異物の側から見れば、伝統的な村社会はまた、何とも奇妙にみえる世界なのである。
・しかし、読み進みながら、これは現在の日本に典型的な自己と他者、個人と世間の物語なのではないか、という気にもなってきた。外見的には近代化したかのような社会であっても、日本は精神的には、そして人間関係的には、相変わらず村社会のままである。そのことを自覚せずに子どもをちやほや育て、自分の思惑に当てはめようとするから、異物のような子どもや少年・少女が続出する。熊太郎は自分から進んで極道になったのではない。それは、親や世間のインチキさに嫌気がさし、世間の掟にしたがうことに消極的に反抗した結果なのである。
・読み終わって、再認識した。これは、ミニ極道が続出する現在の日本社会を描きだした物語なのだと。おもしろいキャラをした、並はずれた力量の作家が出てきたと思う。今度はCDを買ってミュージシャンとしての町田康を聴いてみよう。
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unknownさんではなく、何か名前があるとうれしいです。