2005年11月29日火曜日

Bob Dylan "No direction home"


  NHKのBSで"No direction home"を見た。3時間半の長さでくたびれてしまうかと思ったが、ずっと見入ってしまった。で、見終わった後は、しばらく放心状態。とにかく貴重な映像の連続だった。デビュー前から1966年までのディランの軌跡である。


たとえば、数年後には伝説のようにあつかわれ、くりかえし語られてきた出来事のほとんどが映された。ニューポート・フォークフェスティバルで絶賛され、プロテストの旗手といわれるきっかけになったステージと、翌年のバック(のちのThe Band)をつけて登場して、大ブーイングを浴びたシーン。そこに、パニックを起こしてケーブルを斧で切ろうとして止められたピート・シーガーの行動が本人のことばで裏づけられる。ディランの変身はたちまち世界中に伝わり、それ以降のコンサートでは、ステージはディランと客との喧嘩状態になる。特に、有名なのはイギリスでのコンサートで、会場からの「ユダ」というののしりに、「そんなこと信じない」といった後に「おまえは嘘つきだ」と叫んで歌い始めるシーンがある。これが映像として映し出されたが、バックに「でっかくやろう」と語りかけていたり、ステージに下がった後の言動まで記録されていた。


このような逸話は、当時は雑誌の記事でしか知り得ないことだったし、その海賊版を見つけて、ひどい雑音のなかから、それらしいやりとりを感じ取る他はなかった。その海賊版が正式に公表され、音を手に入れることができたのはここ10年ほどのことだ。それでも結構喜んでいたし、映像で残っているとは思わなかったから、びっくりしてしまった。寝ころんでテレビを見ていたのだが、そのたびに起きあがって、「えー」とか「うわー」とかいってしまった。
そのような一つ一つに、現在のディランやそのほかの当事者たちのコメントがつく。時間がたっているから冷静に振り返った発言が目立ったが、中には立場の違いがはっきりするおもしろいものもあった。たとえばディランのデビューアルバムに「朝日の当たる家」(これはとんでもない誤訳で、本当は「朝日家」で、ニューオリンズの売春宿の名前)を入れた。トラディッショナルだが、歌い方やコード進行はデーブ・ヴァン・ロンクが工夫したものだったようだ。ディランはそれをレコーディング後にデーブに言ったようだ。当然デーブは怒ったが、それでも了承した。しかし、それが納得のいかないことであったのは、現在の彼の口ぶりからもよくわかった。「朝日の当たる家」はその後「アニマルズ」が歌って大ヒット曲になる。デーブはその後で、ディランが「おかげでぼくがアニマルズのまねだと思われてしまう」と言った話を紹介して、愉快そうに笑った。


ディランはニューヨークに来てからオリジナルを作り始めたようだ。それ以前は、いろいろな人のコピーだったから、ミネソタの知人たちは、その変貌ぶりにびっくりした。中でもおもしろかったのは一般には手に入らないウッディ・ガスリーのレコードを何枚も盗まれたフォークソング収集家の話だ。ところが、若い頃のディランが人一倍功名心が強く、ずる賢くて要領もよかったことを強調する人たちもふくめて、登場する誰もが、自分がボブ・ディランという時代の寵児の誕生に関わったこと、その才能の開花に手を貸したことなどを得意げに話していた。あるいは、地味なフォーク・シンガーのままで現在に至っている人たちの、賞賛や批判、あるいは嫉妬などが混じり合った発言など。それにまた、ディランのコメントがかぶさって、ディランを中心にした感情の蜘蛛の巣ができあがる。なかなかおもしろい構成だと思った。
ディランの2枚目のアルバムのジャケットには、当時の恋人スーズ・ロトロと冬のニューヨークを歩く写真が使われている。そのスーズも出て当時のディランとの関係を話したし、スターになるきっかけを作り、その後コンサートに帯同して恋仲になったジョーン・バエズも登場した。ディランとロトロの別れにはバエズが原因したが、そのバエズは、ディランの才能に惚れ、そのすごさに怖れ、自分の世界からあっという間に遠ざかってしまったことを寂しそうに振り返った。そこにまた、ディランのことばが重なってくる。


ディランにたいする矛盾した愛憎の感情ということで言えば、アコースティックをエレキに持ちかえた直後の客の反応もおもしろかった。今までのディランは好き。しかし今日のステージのディランは嫌い。だから会場はいつもブーイングの嵐になった。そんな反応をしたファンのコメントの後に、楽屋裏でディランが「だったら、なぜチケットがすぐ売り切れてしまうんだ」とつぶやく。本当にそうだなと思ったが、ディランのステージの半分は生ギターをもったソロだから、客の気持ちは<見たい←→見たくない>で引き裂かれる。さらに客の中には、ロック・アイドルとしてのディランに惚れ込んだばかりの少女たちもいて、客層も二分されている。


3時間半の長いドキュメントは66年で終わっている。デビュー前の50年代後半から、わずか7年ほどの記録でしかない。ディランはその後、現在まで40年近くも歌い続けている。おそらく残された映像は膨大なものだろうと思う。彼のインパクトは確かに66年でいったんとぎれるが、その後に辿った道筋は、またそれなりに興味がある。「自伝」と同様、続編を期待してしまうのだが、スコセッシは、作るつもりなのだろうか。

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