2006年11月6日月曜日

学生が聴く音楽

 

・今年も「音楽文化論」の最初に、学生たちからいちばん好きなミュージシャンと、いちばん好きな歌詞を聞いた。一昨年と同じ形のアンケートだったが、かなり違いが出ておもしろかった。ただし、ぼくはほとんどJポップを聴かないから、その傾向などについては、ゼミの学生に教わりながら話しあった。
・まず、変わらない傾向からいうと、洋楽ファンがほとんどいないということ。100人を越える回答者のうち、洋楽をあげていたのはわずかに 3名だった。洋楽を聴かない傾向はもう90年代からずっと続いているが、マニアックなファンも少なからずいて、ぼくのゼミにはそういう学生が来たりしていた。ところが最近は目立たない。夏の野外フェスティバルなどでは数万人も集まってそれなりに盛況のようだから、ここの学生の特徴なのかもしれない。洋楽好きには男子学生が多いように思うが、そういえば、毎年女子学生の比率が上がっていて、席を見渡しても、それが目立つようになった。
・好きだと選んだ歌詞の内容にも、ほとんど変化はなかった。自分探し、応援や励ましの歌、そして癒し。こんな内容の歌が相変わらず新曲として出され、それなりに受け止められているようだ。ただ、その歌い手やミュージシャンになると、おやっと思える変化があった。一昨年は一番多かった浜崎あゆみが0票で、その次に多かったミスター・チルドレンも2票だけだし、ゆずも一人のみ。しかも、複数票を獲得した歌手やミュージシャンはCoccoや鬼束ちひろなど数人しかいなかった。
・理由をゼミの学生に聞くと、今は倖田來未がいちばん売れているが、それは歌詞がいいというわけではなくて、パフォーマンスの魅力だという。ようするにエロカワってやつだが、男ばかりでなく女にも好評らしい。そう言えば、今回のアンケートには倖田來未は1票もなかった。
・売れ筋にめぼしい歌詞がなかったとしても、なぜこんなに分散するのだろうか。ぼくにはほとんどの歌やミュージシャンの名がちんぷんかんぷんだから、これも学生に聴くと、割と古い人が多くあがっているという。たぶん中学生から高校生の頃に聴いていいと思っているものをあげたのではないか、というのである。実際、そういうミュージシャンに出会うと何年もつきあって聴くというパターンが多いようだ。もちろん、大学生でも最近デビューした人を聴かないわけではない。しかし、大学生にはすでになじみのミュージシャンがいるから、おもに飛びつくのは中高生というわけである。
・だとすると、ミュージシャンはデビューしたときについたファンと一緒に年を経ていくということになる。見崎鉄の『Jポップの日本語』(彩流社)には浜崎あゆみの歌詞の変化について1人称の単数(わたし)から複数(わたしたち)へという指摘がある。わたしはがんばる、たえる、強く生きるから、みんなも、君たちも、ともにがんばろう、強く生きようという変化だというのである。ここには、自己実現に成功して富も名声も手に入れたものが、手をさしのべるから君もがんばれとする傲慢さが垣間見えるという。そういう変化と、音楽に対する興味が減る年代が重なって急速に人気を失っていく。そういう分析もできるのかもしれない。
・こんなふうにみてくると、Jポップは10代の中頃の子どもたちの感受性に訴えかける音楽だといえそうである。それを引きずって20代前半頃までは聴く。だから、ミュージシャンは、その後も続けようと思えば、新しいファンをつかまなければならないが、それはきわめてむずかしい。もっとも、こんな傾向は、最近始まったものではないだろう。人気が落ちてもがんばって続ければ、やがて懐メロ歌手として再生する。そんなケースは歌謡曲の時代から無数にあったのだから。
・団塊の世代がいろいろ話題になったためか、吉田拓郎や南こうせつが「嬬恋」の感激をくり返してノスタルジーに浸っている。聴いているのはもちろん、仕事や子育てに忙しかった同世代のおじさんやおばさんたちだ。いい年して今さら「結婚しようよ」も「神田川」もないだろうと思うが、歌う側にはそれしか曲がなく、聴く側にも、聴きたいものがそれしかないのだから、しょうがないといえばしょうがない。
・もう何度も書いているけれども、日本人のミュージシャンには歌や音楽で食えなくなれば俳優やタレントに転身してというケースが多すぎる。歌は芸能界への、人気者への足がかりに過ぎない。そんなふうに軽いものとみなされている。ローリングストーンズやエリック・クラプトンやマドンナなど、定期的に日本にやってきては金儲けして帰るミュージシャンは数多いが、それに匹敵できる人は誰もいない。彼や彼女たちはもう何十年も、歌を作り続けている。そのまねができないのは音楽や歌が軽くみられていて、それ相応の才能が集まらないせいなのかもしれない。
・学生たちが「いい」とか「すき」としてあげる歌詞は、はっきり言って、どれも他愛がない。花鳥風月に思春期の淡い恋心、あるいは漠然とした人生への不安や悩み。これでは、20代の後半になったら、ちょっとあほらしくなってしまう。そして50代にもなると、その昔懐かしいうぶな心を持った時代を再度味わいたくなってくる。その間の時間をなぜ歌にして歌えないのか、それを聴きたいと求めないのか。Jポップの不思議である。

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