・オバマ大統領の就任演説に熱狂するアメリカ人を見て、言葉がもつ力とそれを信じる国民性を改めて実感した。大不況という最悪の状況で船出した政権がこれから何を目指し、どんな国にしていくのか。「できる」とか「やる」といった単純なことばに積極的に反応するのはいかにもアメリカ人的で、楽観主義の見本みたいだが、「気分」や「空気」ばかりに反応する日本人には、状況や見方を変える気もないし、あってもどうしたらいいかわからない。政治家の発言にポリシーのはっきりしたメッセージが何もないことは今に始まったことではないが、こんな状況でも、さまざまな現状を批判する歌一つ出てこないのは、何とも不思議な感じがする。
・この欄で、ライ・クーダーの"My
Name is
Buddy"を紹介したのは一昨年の7月だが、その後で、これがカリフォルニア三部作のなかの一つであることを知った。猫が主人公の"My Name
is
Buddy"が歌うのは、20世紀の30年代で、大恐慌で失業者が溢れた世の中に、フォークソングが社会批判や抗議の武器として再生した時代だった。そのアルバムにはピート・シーガーも参加していたが、もう90歳になる彼は、オバマ大統領の就任を祝うコンサートの最後にステージに上がって、「わが祖国」の大合唱をリードした。恐慌に苦しみ、疲弊した人たちの気持ちを勇気づけるために、ウッディ・ガスリーがつくった歌である。ちなみに、原題は"This
Land is Your Land"だから、賛美するのは大地であって国家ではない。
・"Chaves Ravine"は40年代から50年代のロサンジェルスが舞台になっている。第二次大戦で労働力が不足して、メキシコから大量の出稼ぎ移民がやってきた。チャベス・ラバインはその人たちが住みついてチカーノのコミュニティになったところだ。ところが50年代になると、その場所は市の再開発地域となり、立ち退きを命じられて、跡地にはドジャーズを招くためにスタジアムがつくられた。このアルバムには、強制立ち退きに抵抗する歌、マッカーシーの赤狩りに乗じて、共産主義者を理由に弾圧するさまや、「赤と呼ぶな」といった訴えが叫ばれる。ことばはもちろん英語だけでなく、スペイン語も混じり、音楽にはラテンやジャズ、そしてR&Bが使われている。チャベス・ラバインのコミュニティ、反対運動で集まる人の前で砂塵をあげるブルドーザー、そしてドジャース。記憶から消されてしまった場所と歌と音楽の再現………。
・三作目の"I,Flathead"は、2008年にリリースされている。時は60年代で、このアルバムには自作の小説もついている。アルバムはいわば、その小説のサウンドトラックという趣である。残念ながら、僕は小説のついていないCDを買ってしまったから、その内容についてはよくわからない。ヒッピー文化が登場する直前の60年代前半のカリフォルニアが舞台で、ホットロッドのカーレースや、女の子とのデートなどが、さまざまな音楽と共に語られる。ラジオから流れてきたジョニー・キャッシュの歌に夢中になって、勉強も手につかなくなったことなどが歌われていて、このアルバムが彼の少年時代の追想であるようにも聞こえてくる。
・この三部作を聴いていると、音楽や歌をアルバムとしてまとめることが、一つの世界の創造であること、その多様な可能性が、まだまだいくらでもあるんだということがよくわかる。じぶんにとってなじみのある音楽と場所をテーマに20世紀という時代の変化を描きだす。音楽が何より好きで、それを通して世界を見、描き、主張する。こんなミュージシャンとアルバムは、日本からは絶対生まれてこない。そんなことばが思わず口をついて出た。ポピュラー音楽は、映画や小説やマンガに負けない表現手段である。そう思わないから、ことばに意味をもたせないで平気だし、すぐに転身してしまう。音は似ていても中身は全く非なるもの。日本のポピュラー音楽を聴くたびに、いつでもそう思う。
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unknownさんではなく、何か名前があるとうれしいです。