2010年10月11日月曜日

イザベル・アジェンデ『精霊たちの家』河出書房新社

 

・今年のノーベル賞にペルーのバルガスリョサが選ばれた。僕はこの人を含めて、南米の作家の小説をほとんど知らなかった。と言うより、どんなジャンルであれ、南米の著者が書いた本を読んだことがないといった方がいいかもしれない。それだけなじみのない世界だが、アメリカに行った折りにシアトルの知人に勧められてイザベル・アジェンデの小説を読んだ。

Allende1.jpg ・イザベル・アジェンデは1942年生まれのチリ人で、1973年にピノチェトのクーデターで倒されたアジェンデ大統領の姪に当たる。アジェンデは1970年に大統領に選ばれ、社会主義政権を実現させ、銅山の国有化や農地改革などを断行したが、アメリカのCIAやチリ国内の資本家や地主勢力が後押しする軍部のクーデターによって殺害された。1973年9月11日のことである。ピノチェトの軍事政権はは、アジェンデを支えた勢力を厳しく弾圧し、数千とも数万とも言われる多くの人びとが投獄され殺されたが、その中にはビクトール・ハラのようなフォーク・シンガーやノーベル賞を受けた詩人のパブロ・ネルーダもいた。

・『精霊たちの家』は1982年にスペインで出版されている。ピノチェト政権を強く批判する内容で、チリでは輸入はもちろん、個人が持ちこむことも禁止された。しかし、ヨーロッパやアメリカでは大きな反響を呼び、1993年に映画化され、メリル・ストリープなどが出演している。日本でもこの本は1989年に翻訳されて出版されている。僕は映画も翻訳も知らなかったが、知人から進められて読んで、その物語としての力に圧倒され、引き込まれてしまった。

・『精霊たちの家』はチリの名家に生まれ育った女たちと、たたき上げで大農場の経営者となり政界にも進出した男の物語である。物語の中で流れる時間は半世紀で、家族の物語はそのままチリの歴史を映しだしてもいる。特権階級と貧しい鉱山や農場の労働者、白人とインディオ、激しく対立しあう右と左の政治運動、そして詩人やミュージシャン、芸術家たち‥‥‥。その関係は当然、家族の中にも持ちこまれる。革命運動に走る息子や、小作人の子として生まれ、反体制のミュージシャンになった青年を恋する孫娘と、彼や彼女たちを許さない父(祖父)。アジェンデの社会主義政権が誕生し、家族の者たちはその支持、不支持を巡って激しく対立するが、それでも家族の関係は切れずに持続する。父は社会主義政権を打倒した軍部による独裁を支持するが、その圧政にも疑問を持つようになる。関係を引き裂いた娘の恋人(ミュージシャン)を国外に逃亡させることに尽力し、投獄されていた孫娘の釈放に懸命になる。

・物語は孫娘に抱かれながら男が死ぬところで終わる。孫娘は投獄されていたときのことを話し、祖父は彼女の恋人が国の外で生きていることを告げる。「祖父は私の話を聞いて、なんとも言えず悲しそうな顔をした。それまで立派なものだと信じきっていた世界が足もとから崩れ去ったのだから、それも無理はなかった。」祖父は家族とチリについて彼女に話し、その物語を書くように孫娘に勧める。孫娘は祖父のことばを頼りに物語を書きはじめる。

・『精霊たちの家』はイザベル・アジェンデの処女作で、彼女は現在に至るまで数多くの作品を書いている。けれども、日本語に翻訳されたのは、この一冊しかないようだ。チリという国が日本からはあまりに遠いせいなのかもしれない。しかし、精霊たちが家の中を徘徊し、奇妙な現象が現実のこととして起こる物語は、インディオの神話のように豊かだし、アメリカに操られてきた南米の政治や経済の歴史を家族の物語として描き出す筆致は鮮やかだ。ほかの作品も英訳版で読んでみたい。読み終わって一番に思った感想である。

・PS.チリで一番の話題は、落盤事故が起きて生き埋めにされた人びとを炭鉱から救出するトンネルが完成したというニュースだろう。2ヶ月あまり地下深く閉じ込められていた人たちが、もうすぐ地上に帰ってくる。しばらくはそのニュースで盛りあがって、日本人にとって遠いチリという国が近く感じられるに違いない。

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unknownさんではなく、何か名前があるとうれしいです。