・チュニジア、エジプト、そしてリビアと中東で政変が続いている。その主体はふつうの人びとで、手段はデモによる意思表示だが、情報の伝達ややりとりにインターネットが使われているところが新しい。数千、数万、数十万の人びとが一緒になって、政権を批判し、変革を望めば、どんなに強権的な国家も、その基盤から揺さぶられて転覆してしまう。そんな様子が、手に取るようにわかる時代になった。この流れがどこまで続くか、予測もつかない状況にある。
・こんなニュースが飛び込んできたときに、たまたま、マーク・カーランスキーの『1968(上下)』(ヴィレッジブックス)を読んでいた。 1968年は世界中が大きく揺れた年として語られている。泥沼状態のヴェトナム戦争がアメリカの劣勢という事態になり、国内での反対運動が激化してジョンソン大統領が再選を諦めた。公民権運動の指導者だったマーチン・ルーサー・キングと大統領候補のロバート・ケネディが相次いで暗殺された。ソ連を中心にした東欧圏(ワルシャワ条約機構)に緩みが生まれ、チェコスロバキア(プラハの春)やポーランドで体勢を批判する動きが活発になった。中国の文化大革命とそれに呼応するキューバのカストロ。そしてフランスでは学生による街頭占拠や労働者のストライキが1ヶ月も続いた(五月革命)。
・もちろん、この年は日本でも大きな動きがあった。そのことについてもまた、すでに何冊もの本が出されている。たとえば小熊英二『1968 若者たちの叛乱とその背景(上下)』(新曜社 )、四方田 犬彦 , 平沢 剛 『1968年文化論』(毎日新聞社)、スガ 秀実『1968年』 (ちくま新書) などだ。こちらの方はどれも、大学生を中心にした政治運動や文化的な活動や現象に注目した内容になっている。日本国内における出来事とは言え、当然、それらの多くは欧米の動きと連動したものだ。
・カーランスキーの『1968』には、さまざまな出来事にメディアの力が大きく影響したことが指摘されている。マス・メディアとしてのテレビの影響力の強さが確立し、衛星放送による情報の流れのスピード・アップがはじまった。そしてイデオロギーの壁を越えたラジオ放送。だから、チェコやポーランドで発生したデモにはアメリカのやり方が取り入れられ、プラハのデモ隊の中にはヒッピーのような長髪でひげ面の若者が大勢出現した。茶の間に送られた映像が、ヴェトナム戦争の残忍さや惨さをリアルに伝えた。
・中東各国で起こったデモのきっかけは「Facebook」や「Twitter」を使った呼びかけややりとりだったと言われている。あるいは、「Youtube」へのビデオ投稿やインターネット・ラジオなどもある。これらによって、ネットに接続すれば、誰もがマスメデイア経由でなく、自分で知りたい情報や触れたい現実を目や耳にすることができる。強権的な指導者がどんなに規制をしても、その網の目をくぐって、情報のやりとりがおこなわれる。今回の出来事が明らかにした、新しいメディアの力である。
・「1968」で話題になったヴェトナム戦争は4年後にアメリカの敗北で終結し、欧米や日本の学生運動も数年のうちに沈静化した。しかし、東欧の共産圏諸国に自由が実現したのは20年も経った80年代の後半だし、アメリカの白人たちに肌の色に対する差別意識が薄まりはじめるにも、同じぐらいの時間が必要だった。ベルリンの壁崩壊に象徴される共産圏諸国の転覆には衛星放送が果たした役割が大きいとされているし、アメリカにおける肌の色という壁の崩壊には音楽やスポーツの力が強かった。そして、2008年に初の黒人大統領になったオバマはネットを駆使して流星のごとく現れ、あっという間に若者たちを虜にした。
・この半世紀近い間に起こったこと、変化したことは個人的にも社会的にも、そして世界的にもさまざまなことがある。しかし、2011年が、
1968年同様に、これから何十年経っても話題になることは間違いない。まだ2ヶ月ばかりしか経っていないのに、そう確信できるほどのことが今年はすでに起きている。