2012年3月12日月曜日

もう1年、まだ1年

・東日本大震災と福島原発事故から1年が過ぎた。もう1年かと思うし、まだ1年かとも思う。いずれにしても、小出裕章さんが言うように3.11以後世界は変わったのだという思いに違いがあるわけではない。

・原発事故で放出されたセシウムは4京ベクレルとも言われている。京は兆の上の単位で0が16個つく数字だ。そのうちの7割が海、3割が陸に撒かれたのだが、セシウム137の半減期は30年で土壌粒子と結合しやすいものだから、簡単に取り除けたりするものではないようだ。

・3.11以降に日本周辺で起きたマグニチュード5以上の地震は600回を超えている。3.11の時ほどではないにしても、その大きさにびっくりしたことが何度もあった。住んでいる近くが震源地になったこともあるし、東海、千葉沖、東京湾、そして富士山の噴火と注意を促す報告も多いから、意識の中にはたえずそのことがある。

・この一年であからさまになったこともたくさんあった。国策としての原子力発電を支えてきた国(経済産業省)と独占事業としての電力10社、学者とメディアが「電力村」を形成して、安全で安価でエコロジカルな電気という「安全神話」を作り出してきたこと。電気の値段が電力会社の言い値で決められてきたこと。再生可能エネルギーによる発電開発が、「電力村」によって抑えられてきたこと。等々、あげたらきりがないほどである。

・地震と原発事故後の政府や東電の対応に対して、それを検証する報告書が出始めている。「想定外」ということばが言い訳として使われたが、巨大な災害や事故に対処する心構えが皆無だったことはもちろん、マニュアルもなかったことが露呈された。都合の悪い、採算の合わない危険を無視してきた姿勢とあわせて考えれば、的確な事故対応などできるはずもなかったのである。

・政府は昨年暮れに「冷温停止状態」になったと宣言をした。「想定外」「直ちに身体に影響はない」と同様、曖昧でいい加減なことばで、メルトダウンをして燃料が容器の外に漏れだした状態を「冷温停止」などとは言わないのが常識のようだ。また「除染」もよく使われるが、それは汚染した土壌を取り除いてよそに移すことであって、セシウム自体をなくすことではないから、正確には「移染」に過ぎないのだという。

・事故は何となく終息に近づいていて、除染が進めば避難している人たちが家に戻れるような状態がもうすぐやってくるかのように取りざたされている。停止している原発を再稼働させようとする動きも目立ってきてもいる。東電も事故の責任には沈黙したままで、使用する燃料の増加や高騰を理由に電気代を上げようとしている。ここには3.11以降世界が変わったのだという認識はほとんどない。

・この1年で読んだ本は、今までとはずいぶん違うテーマのものだった。レビューで取り上げたものにも原発関連のものが多かった。その中でもう一度、紹介したいのはレベッカ.ソルニットの『災害ユートピア』だ。政府は原発事故についての情報を隠し続けた。その理由として繰り返されるのは国民がパニックになることだが、ソルニットは明らかにしているのは、これまで起きた大惨事の中で人びとがとった行動がパニックよりは相互扶助の気持ちと行動だったことである。この1年の経過を見れば、パニックを起こしたのが政府や東電のだったことは明らかである。

・もう一冊、ビル・マッキベンの『ディープ・エコノミー』は経済成長の神話への警鐘で、経済成長が一部の富裕層をさらに富ませる政策でしかないことと、生活の豊かさを量や便利さではなく、質とやりがいに求める必要性の強調である。R.ボッツマン&R.ロジャースの『シェア』とあわせて考えれば、豊かさの実感を個人的な所有ではなく共用、使い捨てではなく交換、あるいは贈与によって実現させていくという方向性への転換だろう。

・最後にもう一つ。この1年ではっきりしたのは、マスメディアに対する幻滅とインターネットへの信頼だ。僕はそのことを「地デジ化」の中で自ら経験したことを根拠にして、「電波村」と「ガラデジ」と表現した。限られたマスメディアとそれによる情報の管理という体制を維持しようとする力にかかわらず、情報の流れは多様化し、国境を越えて行き来する。原発から放出された放射能の流れを計測するSPEEDIの結果がいち早くアメリカやドイツから発信されたことは、その象徴だった。あるいは、数万人も参加した反原発デモがネットで生中継されていて、ニュースでほとんど報道されないというおかしさもあった。

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